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「えーん! 時間に余裕持って出たはずなんだよー!」


 涙をぷらんぷらんさせて走ったって、学校との距離が近くなるわけでもないんだよ! と、小春は白い息を吐きながら走っていた。

 簡単に括っただけのおさげ髪が肩に当たって跳ねているが、小雪を払い落とすことは出来ないようだ。


「 おはよう 」


「おっ……はようございます! 良い天気ですね!」


 不意に声を掛けられて、急ブレーキを掛けて止まった。傘をくるりと回して、小さく頭を下げる。自分で言った後にちょっと言葉に引っかかったけど、まあまあ先を急がないと!

 通学路の途中に在る木造の時計。目に入れてスピードを上げた。

 上がる息をさらに加速させて、小春は走る。辺りには自分と同じような学生がいないことも相まって、心臓がバクバクと唸るようだ。

 走れ走れとアスファルトを蹴った曲がり角――――わあああああ!


「いったー……」


 目の前にふいに現れた黒い影。ぶつかる、と思った瞬間に右足は強烈なスピンをかけて、小春を端に放り投げた。そのお陰で影にぶつかることなく、小春は壁にべしゃりとぶつかって、傘を放り出しお尻を冷たい道路にずどんっ、と落とす羽目になってしまった。

 とほほ、ぶつからなくて済んだから……別にいいもん!


 雪が随分強くなっていたんだな、と小春は気づいた。前すら上手く見えず、影の人が男なのか女なのかもわからない。傘はどこだろう、と首を振ると顔に影がかかった。

 綺麗な人だった。そして和服。こんなひどい雪の中で傘一つ差さず、この人はどこへ行くんだろう? あっ、違う? もしかして私が飛ばしちゃった!? 大変です、どうしようどうしよう!


挿絵(By みてみん)


 小春は一人で混乱していたので、和服のその人が手を差し出していることに気付かなかった。ただ暴れ馬のように左右を見渡して、近くに転がっている傘に駆け出した。それを掬い上げて振り返ると、小春は首を傾げることになる。


「……あれ?」


 そこには誰も、何もなかった。

 はらはらと舞う雪が小春の瞼に落ちるだけで、人影も、跡も、何もなかったのである。


「んじゃなあいです!! 急げ急げ!! ……あ――――!?」


 小春は左手首に付けた時計を見て叫び声を上げたのではなく、握っていた拳の中にあるものを見て、悲鳴を上げた。

 丸く可愛い形に彫られた木彫りのキーホルダー。小春が家を出る時に掛けた鍵。道路を歩くお婆さんに呼び止められて、振り返りながら握った鍵。


「お母さんの……鍵……!」


 慌てて鞄の中に手を入れると、また金属を叩く小さな音がした。しまった、自分のものも持ってしまっている。急いで家に帰らないと……!







 何があっても時は止まらない。小春は顔を中央に寄せながら再び駆け出した。ずるりと滑る煉瓦っぽい石畳が恨めしい。

 雨雪で視野が悪いのだ。天気は不安定なようで、雨になったり雪になったり忙しない。同じような慌ただしさで走る小春ではあるが、次第に強く吹き付ける風に鞄を持つ手を添えた。

 違う。震えた腕を抑える為に、手を添えた。


「……あれ?」


 目の前に広がる光景に、首を傾げるしかなかった。

 小春は自らが通う高等学校の門を潜ったはずである。石で造られたアーチを潜って、半開きの格子みたいな扉に雪が積もる様を見て、校舎を吹雪越しに見たはずなのに。その奥に、生徒が何人も歩いていたはずなのに。

 どうして目の前に、巨大なお屋敷が建っているの?


「ゆ、め?」


 はたりと傘を落して、額を拭った。すっかり湿った身体にもう傘は相応しくなかった。

 小春は目の前の代わり様を起こし得る簡単な結論を得て、腰に手を当て息を吐いた。

 なるほどなるほど、私は夢を見ているんだ。それにしては雪の冷たさだとか冬の気温がリアルだけど……。


「寒い……」


 ぶるり、と震えて取り敢えずと歩を進めた。

 好都合にも、屋敷の扉は開いている。夢から醒める少しの間、この疑似的な寒さを凌ぎたいと小春は腕を抱えて走った。


「いやいや、不気味だぁ……!」


 武家屋敷、と言うべきか古いお屋敷とそのまま言っていいのかなぁ。小春の頭は深く思案する余裕は無く、扉を閉めて靴を脱いだ。明かりは雪が反射する太陽光を返して屋内に入れる程度しかなく、体重に合わせて軋む木の床は随分と年季が入っている。抜けそうな床だ……と玄関の隅に蹲って、小春は寒さに震えた。


「――…………ゆき」


 反射で顔を上げた。男の声が聞こえたのだ。

 屋敷の奥? 誰かいる?

 小春は急いで立ち上がって、髪を感覚で整えた。制服の端を正して、おずおずと廊下を覗き込む。


「……聞こえる。足音? ……よし、よし! あのう、すみませー――――っ!?」


 耳をすませば、確かに規則性のある足音が聞こえる。小さく擦る音であるが、誰かがこの屋敷にいる。

 小春は喜んだ。よかった、一人じゃない。家に帰るまでに、誰かにお礼を言いたかった――――と明るんだ顔で駆け出した小春の手を、背後から取る一人が居た。


「えっ、ちょ、ちょちょちょ!」


 湿る白い靴下の回転力は主の抵抗を殺し、ずんずんと玄関へ行く。一段降りて、小春は焦りの中で靴の中に二回で踵を両方投入し、腕の引かれるまま吹雪の外へ出た。


「あの、何でしょう! 私、先程のお家の人に――――」


 その人は振り向いたかと思えば、次の瞬きの間にはっきりと小春の視界に顔を晒す。

 綺麗な人、だった。今、静かに降り積もる雪のような儚さを持った美しい人だと感じた。

 その人は、開いていたはずの手に小春の傘を持っていた。二人傘の下に入って、声一つ出さずに小春を見下ろしている。

 小春は声が出なかった。瞳を小さく揺らして、彼とも彼女ともわからないただ美しい人の瞳に縫い付けられていた。


「髪留め……」


 あ、男の人だ。雪に落ちる真雪のような声。


「何故、髪留めが違う?」


「……え? ええと、机とタンスの隙間に落ちちゃって。時間も無いし、違うのでいいや、って……」


 その人は眉を顰めた。

 小春はぎくりとしてしまったが、なんとか不思議そうに首を傾げる行為を行えた。何をそんなに嫌がっているのだろう、という意志を見せることを。


「行こう。引き返せる内に」


 そのまま二人傘の下、手を繋がれたまま木の門を超えた。今にも崩れそうな柱は鳥居になれず、喰われた跡を晒している。

 雪の降りしきる昼間に出会った二人は、屋敷に後ろ髪を引かれる少女と白髪の鮮やかな真紅の羽織を着た和服の青年である。青年の顔を覗き見ても、彼は怒った様に唇を結んでおり少女はそれ以上声をかけられなかった。握られる手と、引く強さと、雪を防ぐ傘の温もりに何かと戸惑うばかりだった。


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