三之六
泣き声を、聞いた覚えがない。
笑い声を、聞いた覚えがない。
そう、あの子を見つけ出した時から、あの子の世界に色は無かったのだろう。
母親は、良いとは贔屓目にも言えなかった……。
『……こんにちは。今日は随分と寒いなぁ、……こないなとこで、どしたん?』
『……お母さんを、待ってるの!』
数時間も放っておかれた公園の隅。
慌てて迎えに来たのは父親だ。
母親も父親に連れられてきたけれど、その目に生気は感じられなかった。
……病んでいたのだ。寒空の下震えもしない幼い娘を見下ろして、さらに分厚いコートを娘に差し出して、『帰ろう』と母親は言った。
あの子は、うん、と大きく頷いて、両親に手を引かれて歩き出した――――。
おかしいやろ。陽が沈むころに迎えにきたくせに、既に厚着させてるくせに、まるで30分前に遊びに来て、もう暗いから帰ろうねー、みたいなノリで来るなんて。
『小春ちゃん』
『あ、お兄ちゃんー』
『お昼、食べたか?』
『食べてないなぁ』
『最後に食べたん、いつ?』
『……えー? いつだったっけ……』
『あかんよ。朝、昼、夜。ちゃんと三食食べな』
『……? そうなの?』
『……そうなんよ』
幾重にも複雑に乱雑に配置された姿見。その光の屈折により行き場を失う招かれし客は、その現在の身体は真っ直ぐに過去を見つめたままに、過去の己の項垂れを傍観する。
見つめた瞳が過去の風景を映すということは、彼は今、此処にはいないのだろう。瞳がその時を映すのなら、今彼の目の前にいるのは、今彼が立っている時間は――。
泣き声が聞こえる。
いいや、聞こえない。
頬を撫でても、この子はただ、嬉しそうに微笑むばかり。いつも、いつも、いつも……。
足元に跪いて見上げたあの日も、この日も、来る日も、行く日も、あの子は泣かない。木枯らしの日も、灼熱の日も、凍て付く日も、……名に相応しい陽の下でさえも、この子は孤独に、有り得ざる仕打ちに、涙を見せなかった。
「琥珀」
その声は、はっきりとその兄の鼓膜に飛来した。鏡に映る数多の幼い小春を前にして、兄はその声に反応をしない。
「琥珀や、……琥珀」
嗚呼、だって、その声すらも――この硝子迷宮が見せる過去の幻だ。
もうこの手に戻らない女の声だ。もう、この身体を抱かない温もりの遺物だ。
「ふふふ、琥珀。お前は今日も、可愛いね……」
幼い己にそう微笑んだ女の声を傍目に、兄は――琥珀は、小春を見ている。
幼い小春。他の子どもに比べたら、手入れのされていない姿形。母の手の指先を知らない頬、髪、身体。父の不器用な温もりでは、少女の形に艶は出ない。
それは琥珀にも言えることだ。兄の不器用な愛では、その少女に年相応をもたらせない。
琥珀は、鏡の前に膝を付いた。豪奢な縁に手を置いて、幼い小春に何を話そうと口を開いては閉じている。それを繰り返している。
琥珀は考えているのだ。自分に何が出来るだろうか。自分に、この妹を救う手立ては、何が残されているのだろうか?
小春が一人にさせられた場所を見つけることは出来る。(連れ戻すことは出来ない)
小春に食べものを運ぶことは出来る。(色とりどりの調理は出来ない)
小春を慰めることは出来る。(現況を変えることは出来ない)
小春を笑わせることは出来る。(元凶を追いやることは出来ない)
「こ、はる……小春……絶対俺が……お兄ちゃんが……」
助けてやることは――。
『助けることは出来ない』
鏡の中の小春が、はっきりとその言葉を口にした。
薄汚れた頬で、綺麗な笑顔で、痩せた膝で、ボロボロな髪先で。
『お兄ちゃん』
『お兄ちゃん』
『お兄ちゃん』
『お兄ちゃん』
『お兄ちゃん』
『琥珀』
『お兄ちゃん』
『お兄ちゃん』
『お兄ちゃん』
『お兄ちゃん』
声が反響している。
今までの罪が、兄を責めているのか。
「ごめん……ごめん……!! 小春、俺は、なんて……無力で……」
「――お兄ちゃん!!」
その時、縁を握りしめ、滑り落ち、床に手を付いた琥珀の頭上にあった姿見が、はっきりと異なる声を招き入れた。
その声は、小春に違いなく。その声は、琥珀に時を取り戻させる。
「お兄ちゃん!! 聞こえますか!? どこにいるの!? お兄ちゃん、――お兄ちゃん! 戻って来て!!」
その眩い光は、闇の中で千々に引きちぎられようとした兄の身体を繋ぎ合わせ、その形を美しく変貌させている。
「え、――手!? こ、こうですか? うわあ、すごい。お、お兄ちゃん! 小春だよ! ここから出してあげる!! 早く手を、――手を掴んで!!」
兄は、呆然としながらも手を取った。その力強さに――、嗚呼、と微笑んでいる。
「ぐええええええ!」
琥珀を引きずり出した勢いで二人畳を転がれば、下に小春、上に琥珀という比重を間違えた着地点に留まりを見せる。
琥珀は慌てて上から退くと、小春に手を差し出した。
「なんやえらいカオスな空間に飛ばされたわ。ありがと、小春がいなきゃ今頃俺……ちびってたわ」
「ちびってた!? 大変大変、すぐに見つけられてよかったよ!」
「こ"は”る”~~!!」
兄の熱い抱擁に、小春は一瞬髪を跳ね上げたが、すぐにその強さを受け入れた。
傍に立っていた輝夜は、その光景にひとまずは……と安堵の息を付いている。
はァーー。めんどくさ……と頭を抱えながら、視線を寄越した琥珀を、とりあえずは微笑んで歓迎の意を示した。
「無事でよかったわ、……ええと?」
「ああ、俺、琥珀っていいます」
「琥珀くん」
「ん――、君はいらへんな。多分……うん」
「……? じゃあ、琥珀。落ち着いたら居間にいらっしゃい。とりあえず、葵は宥めておいたからもう大丈夫でしょう。はああ……硝子迷宮を我儘に濫用するなんて、ほんっとあのバカ! 何してるのかしら……!!」
ああ、でも、と輝夜は冷たい目を下ろした。
「葵を挑発したのは、琥珀ね?」
「……まあ、そうでも無くはないないないないない感じ」
「……どうして男どもはこうも自分勝手なのかしら!!」
そう強く言って、輝夜はズカズカと奥へ行った。
残された二人は――というか琥珀は、うるうるとした瞳を小春に向けて、「やーん怖い~!」と口実に、再び小春に抱き着いている。
小春は琥珀をあやしながら、「あはは……」と苦笑いを浮かべるより他にはなかった。
ぐえ。更新滞り侍。
ごめんなさぁ~~い! だってFGOの原稿あったしぃー、奏章の更新もあったしぃー……。
俺は悪くねぇ! ぴぃ。
あ、そんでもって大阪と京都に先日行ってきました!
ユニバはワンピース、京都は観光!
よかったなぁ~特にユニバ! サンレスとプレショ! サンジ、かっくぅぅぃいいいいい。




