一之七
シズコの家は、本当に近いものだった。
地図が示したのだ。間違いはないと理解はしていても、こうも近いと何か腑に落ちないというか、すっきりしないというか……。
別に冒険を求めていたわけでもない、んだけど。
「さて……あとはどれが本人か、ね」
「――勝手に若い女の人だと思ってたんですけど、違ったりするんですか?」
「違う場合もある、わね。ある程度は前世に引っ張られたりするんだけど……所詮肉体は魂の写し鏡だもの。でもね、性別が違ったり、姿がまったく異なっていたり……人間じゃ無かったり、するのよねえ」
「た、大変です」
「そそ。あー、でも今回は大丈夫……なはず。誓いがあるんだし……」
輝夜は家の影に小春を誘い込むと、一つ手提げバックを小春に預けた。彼自身は前髪を手鏡を見て直し、こほん、と咳払いをする。
「じゃあ、ちょっと家宅捜索してくるから」
「かたくそうさく」
「ええ。小春ちゃんは少しここで待っててね?」
「え、どうやっ――――」
輝夜は真昼の白い太陽の下でそう微笑むと、はらりと姿を溶かした。
小春が視線を惑わすと、下に何かが這う動きを見る。
「……へ、び?」
それはするりと家の塀を超え、小春を木陰に置いて行った。
小春は息を一つ吐くと、塀に背中を預けて空を見た。
まだ寒い昼の空。春になるのに、春一番さえ感じさせずに凍える夜を導く。
目を閉じる。
――――不思議と、あそこにいた時に聞こえていた彼らの声はしなかった。
それが少し寂しいと、小春は目を僅かに開く。
広すぎた世界を埋めてくれていたあの存在達は、もう私のことなんて忘れたのだろうか。
お母さんとお父さんは、今――――。
「小春ちゃん、お待たせ」
「ぅえ!?」
なんと輝夜が家の曲がり角から何食わぬ顔で出て来た! まるでこの家の住人みたいに!
「ど、どうでしたか?」
「ばっちり――。ばっちりだわ! さあ、作戦を練るわよ! 座敷童を我が家に召喚!!」
とまあ、召喚されたわけである。
ちょこんと小春の上に座る座敷童は、少し緊張した面持ちで肩をあげていた。
輝夜は布擦れの音を這わせながら、机の上に右手をおいて座敷童に顔を近づける。
「今日は、覗くだけよ」
「……わかってる」
「シズコさんがいることを確認して、あたし達に必ず報告してね。あたし達は外で待っているから。……わかったわね?」
「……うん」
小春は座敷童を両手の上に抱えて、外へ出た。
もう陽は落ち切った――どころか、丑三つ時の雪の夜である。
「最近はよく雪が降りますね」
小春は歩きながら座敷童に話しかけた。
少しでも緊張が解けたらいいな。
「……そうね。珍しいわ」
「寒くて嫌になっちゃいますね~」
「……寒いのは人間たちだけね。……ああ、でも、シズコが寒がってるかも。早く会いたいな……」
「……シズコさんって、どんな人なんですか?」
座敷童はちらりと小春を見た。
マフラーをぐるぐるに巻いた小春は、白やかな頬で笑んでいる。
「……シズコは、病弱な子だったの。だけど、優しい子だった。あたしがシズコと会ったのは……今でも思い出せるわ。紅い落ち葉が溢れる森、その中に、シズコが迷い込んできたの」
彼女は思い浮かべる。出会いの日々、今尚褪せることのない、喜びの日を――――。
「シズコが怖くないように、同じくらいの姿になって助けてあげたの。そうしたらね、シズコ、あたしと離れたくないって大泣きしたのよ。泣いて泣き止まずに、血を吐くほどに……」
しんしんとした市街地を歩いていく。
家にはそれぞれ暖かい灯りが灯っていて、凍える外の世界など知らないという顔をしている。
「あたし、初めてだったの。だから――シズコの家にいることにしたわ」
「ついた――。良い? 言うとおりにするのよ」
輝夜が珍しく、声のトーンを落として淡々と話している。
見つかるな、焦るな、必ず顔を見ろ。
そう言って、小さな瓶を座敷童に差し出した。
「これは、血よ」
血にしては透き通る色――無である。
「……血?」
「これを口に含んでいる間、あなたは人間から気づかれにくくなるの」
「……蛇らしいね」
「どうも――。じゃあ、座敷童。いってらっしゃい。必ず境界は、守りなさいね」
その声を背中に負って、あたしは瓶を傾けた。
菊人形と見出されるこの身体も、血肉通う命の器だもの。舌から伝う血が、この身体の細胞を震えさせる。
少し胸が気持ち悪い。でも、行くわ。シズコ、……あなたに会いたい。
人間の家にあたし達物の怪を遠ざける塞ぎは、無いに等しいというくらいに無防備。というのも当たり前で、この時代に妖への備えをしている家のほうが不自然。
だからこそ、あたしはすんなりと家へ招かれた。
明かりの差す扉へ近づく。僅かに切り取られたかのように中を見せる硝子に手を這わせて、中を見る――。
男と女が話している。顔を見る。違う――――。
であれば、最後の一人だ。骨董屋の話では、この家は三人家族。一人娘、その子が――。
「ただいまぁー」
不意に右から風が抜ける。慌てて物陰に身を隠す。
「クソ寒い……!」
靴を脱ぎ捨てる音がして、どんどんあたしへ近づいてくる。
あたしは目を大きく開いた。ごくり、と喉を鳴らす――――。
ああ、シズコ。今回の生では、こんなに、大きく……。
「……あれ? んー……虫でもいたのかな……」
口を押えて慌てて飛び出して来たあたしを抱えた女の子が、心配そうにあたしを見ていた。
あたしはただ、喜びに震える身体を抱いて、その子の髪に身を隠している。
ああ、震える、震える――――。
約束が、果たされる瞬間を、望んでいる。
誓いを今こそ果たす。
誓いは必ず果たされる。
それが命を繋ぐということ。
それが、縁と、いうもの。
**
骨董屋。
それは境界を守るものであり、縁の揺らぎを見守るものだ。
この世とあの世の幽明境に店を構え、そこに訪れる客に対し必ず最善を尽くす。
傾くはあちら側、歩くはこちら側。
故に幽明境、敢えて絵の具に水を落とす。
「座敷童、あなたをあの家に送り届ける方法はただ一つ――――」
輝夜が言う作戦とは、実に簡単なものであった。
あなたはプレゼントよ、と座敷童に微笑んでいる。
高校を卒業し、大学生になる娘へのプレゼント。
祖母か祖父か、まあ、そういう感じのプレゼント。
世を濁す方法は我らの十八番。心配はしなくていい。
ただあなたは、意識が元に戻ろうとするときに、自然と家に憑くことに神経を使いなさい。
「さあ、約束を果たすときね」
紙箱に座敷童を入れて、輝夜と小春は黒猫の配達員の衣装へと着替えた。
二人木陰から身を出して、とある一軒家の鐘を鳴らす。
「はい」
「配達でまいりました。――受け取ってください」
「……はい」
時刻は夕暮れを指し、どちらからもどちらの顔も見えないはずだ。
だからこそ、全てに水を落とす。
「ご卒業、おめでとうございます」
配達員二人は、深く頭を下げた。
玄関が戸を閉ざすまで、頭を下げていた。
どうか彼女達が――今世で、笑えるといい、と。
古めかしい人形は、祖母のお古だという。
いらないんだけど、と顔を背ける傍ら、わたしにはとても価値のあるものを偶然ゲットした、そんなウキウキが胸を占めている事実をちょっぴり打ち明ける。
あなたには、この特等席を用意してあげるね。
裁縫……とか、やってみようかな。手芸屋さんは鎌倉駅までいけばあるよね? ないかな?
まあ、いいや――! お人形とかほんっと興味なかったんだけど、おばあちゃん、たまには気が利くじゃん!
FGOのイドを読んで脳が焼かれました。
ただ床に這いつくばり低気圧の圧を受け呻くことしかでき……。
――次のおおかみは二章だぜ! どうだ? 私、かなり純情派な物語が紡げてるんじゃないかしら!




