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魔法使い、弟子、そしてピーマン

 時計塔の鐘が鳴る。

 カモメが鳴いている。潮の香りがする。

 真上から差す日光が強い。

 日光に照らされて公園の噴水が虹を作っている。


 港町アスタ。

 近くで採れる白い石でできた町であり、そのため全体的に白っぽく見える。そこらを飛んでいるカモメまで普通の町よりも白く見える。


「ここがアスタか。けっこうきれいな所だな」

「はい! 私、ここに住みたいです!」

「ははは……。仕事で寄っただけだって」


 そのアスタの中央公園に奇妙な出で立ちの少年と、軽装の少女が歩いている。


 少年は黒いローブに黒いとんがり帽子という、「わたしは魔法使いです」とでも言わんばかりの格好だ。髪は金髪で短く、くしゃくしゃになってあちこちで渦を巻いている。この格好を見た人のほとんどはぎょっとする。


 しかし、わざわざ声をかける人は少ない。稀に「どうしてそんな格好なのか」と尋ねられると「僕は魔法使いの話をする吟遊詩人なので」と返して、質問した相手をもれなく複雑な表情にした。少年の名前はレインと言った。


「そんな格好で暑くないんですか? 夏なのに」

「ああ、大丈夫。涼しいよ。魔法かけてるから」

「え!? じゃあ、私にもかけてくださいよ!」


 少女は目を吊り上げて大声で言った。


 少女の格好はレインと比べると普通だ。紺の帽子に、紺のシャツ、紺のスカートの出で立ちで、茶色の旅行カバンを両手で持っている。服は地味だが、長い金髪のためにかなり目立つ格好になっている。


 表情も感情もころころとよく変化する。基本的にニコニコしているが、機嫌がよくても悪くても笑っているので表情から機嫌をうかがうことはできない。レインはよく「いつ爆発するかわからない爆弾を抱えてるような気分だ」と思っている。少女の名前はサーニャと言った。


「え、ああ、そうか、ごめん。忘れてたよ……」

「もう! ……ああ、涼しい!」


 魔法をかけてもらってサーニャの機嫌はよくなったようだ。レインは少し肩の力を抜いた。


 サーニャが手書きの地図を眺めて、宿屋を探し始めたので、レインは公園を見回して少し散歩することにした。公園と言っても噴水以外はほとんど何もない。海が一望でき、ベンチが置いてあるくらいだ。レインはとっくに海の見える景色に飽きていたので、カモメを観察しはじめた。


 レインが観察に夢中になっていると、気づけばサーニャがすぐ後ろに立っていた。


「いつも思いますけど、どうしてその帽子をかぶってるんですか?メリット無いですよね?」

「なんでって、そりゃあ。僕が魔法使いだからだよ。他に理由なんてないさ」

「私、レインさんの友達の魔法使いと何回か会いましたけど、誰もとんがり帽子なんてかぶってなかったですよ」

「ふーん、そうだっけ?」

「そうですよ。変ですよ」

「まあ、僕は僕なので」


 レインはそう言ってカモメに意識を戻そうとした。サーニャはそんなレインの前に回り込む。そのせいでカモメが飛んでいき、レインは眉をひそめた。


「答えになってませんけど?」

「……そうだなあ。僕は誰かに気兼ねすることなく、自分は魔法使いだって堂々としていたいんだよ」

「そんなことしたら捕まるじゃないですか」

「だから、この帽子でガマンしてるんだ。全く不自由な世の中だよね」

「うーん……、わかるような、わからないような……。すごくモヤモヤします」

「まだまだだなあ」

「あなたのせいですよ!」



 ***



 公園を抜けて市場のある通りに入る。多くの露店が立ち並び、様々な物が売られ、たくさんの人がいる。


 ある店は野菜と果物を所狭しと並べ、

 別の店では巨大な肉をいくつも吊るしている。

 日用品や雑貨を扱う店もあった。


 しかし、やはり港町だからだろう。海産物を売る店が最も多かった。様々な魚が並べられ、売られている。中にはその場で調理している店もあった。市場全体に香辛料と魚の生臭さの混じった独特な臭いが立ち込めている。


 サーニャは魚はあまり好きではなかったので、野菜を売る店を探しているうちに、レインがどこかに行っていた。慌てて探し回ると、一軒の店の前でしゃがみ込んで商品を見ていた。


 その店は(おそらく)雑貨屋で、小物をたくさん置いていたが、どの品物もサーニャは見たことが無かった。それどころ用途すら予想できない。


 見た限り、粘土をこねて作った人形か、器の類ではないか、という推測しかできなかった。それも半分くらいしか当てはまらない。残りはもう何が何だかわからない。材質も用途もわからなければ、形状も見たことがないようなものばかりだった。


 店主は不愛想な中年男性で、目つきが怪しかった。レインは売り物の中でもとりわけ大きな器(?)を手に持って興味深そうに眺めていた。


「もう! どっか行かないでくださいっていつも言ってるじゃないですか!」

「なあ、これよくないか?」


 レインはサーニャの文句を無視して器を嬉しそうに見せてきた。


「そんなもの買ってどうするんですか?」

「え? かっこいいだろ? これ」

「かっこいいですって……!?」

「あ、いや! そ、それだけじゃないさ! ほ、ほら! 15番の触媒用の容器にちょうどいいと思うんだ!」

「……ふむ」


 サーニャはレインの言葉に腕を組み、器をにらみつけて考え始めた。


「えっと……、サーニャ、さん……?」

「なるほど、そう言われれば。それなら、仕方ないですね」

「えっ……?」

「なんですか?」

「いや、なんでもないよ!?」


 レインは無事にその用途不明の器を購入した。お金を渡す際、その手はわずかに震えていた。


 レインは器をローブのポケットに無理やり入れた後、普通に歩き始めた。店主はその様を見ていたが、すぐに興味を失くしたように目を閉じた。



 ***



 宿は一見して簡素な見た目だった。外観も室内も白い石を切り出して作られているようだ。壁の表面は触ってみると冷たく、なめらかだ。階段を上ると廊下があり、部屋がいくつかある。そのうちの一つが泊まる部屋だ。部屋にはベッドが二つあり、窓際に小さなテーブルが置かれている。窓からは海が見えた。一階に調理場があって、各自で調理することができるらしい。主人に作ってもらうこともできるが、こちらは宿代とは別料金とのこと。


「わあ……! いい眺めですね!」

「そうだな」


 サーニャは部屋に入るなり、帽子と旅行カバンをベッドの上に放り投げ、窓を開け放った。ふわりと風が室内に入り、カーテンとサーニャの髪が巻き上げられる。この町に来てから嗅ぎなれた潮の臭いがする。レインはサーニャのはしゃぎっぷりに苦笑しつつ、いくつかの荷をローブから取り出してベッドに置いた。


「ちょっと早いけど、ごはん食べに行かないか?」

「ああ、行きます行きます」

「宿の一階の食堂でいいか?」

「うーん、どうせならレストランがいいです」

「わかった」


 宿を出た通りをしばらくぶらつき、最初に目の付いたレストランに入った。やや暗く落ち着いた雰囲気の店だ。まだ早い時間だからか客は少ない。メニューを見てもよくわからなかったので、店員におすすめを聞いた。


「旅行でいらっしゃったんですか?」

「そうです」

「でしたら、魚団子のシチューが良いと思います。クセが強くなくてどなたにも好評です」

「一番クセの強い料理は?」

「……え? あ、ああ、そうですね……。レーネという魚の目玉と肝臓の酢漬けが見た目と味のインパクトが強いです。

 現地の者でさえ、好みが分かれますね」

「では、僕はそれを」

「少々お高いですが」

「大丈夫です」

「あ、私は魚団子のシチューをお願いします」

「かしこまりました」


 魚団子のシチューはすぐに来た。店員の言った通り、美味しかった。サーニャはパンをかじり、シチューをすする。


 サーニャが半分ほど食べ終えた頃、レインの料理が来た。まず目につくのが目玉だ。拳大の目玉がでんと皿の中央に居座っている。その周りを肝臓の酢漬けと思われる切り身がぐるりと並んでいる。サーニャはその見た目と強烈な臭いに一瞬で食欲がなくなった。慌ててシチューをすする。


 レインはというと、平気な顔でまず酢漬けを一口。


「うーん、まあまあかな。一口いる?」

「いえ、いいです」

「そう」


 ナイフとフォークを使って目玉もきれいに食べていく。


「こっちはうまいな」

「そ、そうですか」

「サーニャはそういうのでよかったのか?」

「ええ。ちょっとそれを食べる勇気は私には無いです」

「そう」

「前々から聞きたかったんですが、レインはどうしていつもそういう強烈なものを頼むんですか?」

「ん、言ってなかったっけ。思い出だよ」

「ああ、思い出作りですか」

「そう」

「意外ですね」

「へえ、そうかな」

「ええ。あなたは研究以外ほとんど興味が無いと思ってました」

「ま、だからこそだね。こういうのでも食べない限り忘れちゃうから」

「なるほど」

「旅をしてるんだから、旅の思い出くらいは持っておきたくなってね。

 何年か前からこういうのを注文することにしてる」

「……」


 サーニャはレインの皿に乗った肝臓の酢漬けを黙って見つめている。


「いる?」

「……一切れだけ」

「……。……どう? 美味しい?」

「……まずい」


 サーニャは酢漬けを口に入れたまま、噛むことすらできずに固まっている。しばらくしてシチューと一緒に食べることでようやく噛んで飲み込んだ。顔には「食べるんじゃなかった」とありありと書いてあった。


「いい思い出になったろう?」

「悪い思い出になりました……」

「ははは。僕はこの後、支部に行って仕事をもらってくるけど……、サーニャはどうする?」

「……もちろん、今日もついていきます」

「無理だと思うけどなあ」

「いえ、今日こそは! きっと!」



 ***



 前の町でもらった地図を頼りに路地裏を進んでいく。次の角を右、その次は左、突き当りを右、その次を左、目の前の階段を下りて、左、右、三つ目の角を右、突き当りの階段を上って、その次は右、しばらく進むと脇道に階段があるのでそれを下りて、突き当りで右へ曲がる。最後に行き止まりに行きついた。


 もしも地図が無かったから到底たどりつけないし、帰ることもできないほどに入り組んでいる。この道順は重要で、この通りに来なければ目的地にたどり着くことはできない。


「ええと、ここかな」


 目の前の建物はこの町では珍しく、赤茶けたレンガでできていた。レインは目の前のレンガの壁の一部に目立たない魔法回路が彫られているのを見て、回路を観察した後、何か他に目印が無いかと探した。すぐに引き抜けそうなレンガが見つかり、それをゆっくりと引き抜いた。すると音もなく足元のレンガがカタカタとめくれ上がり、数秒後には地下へと続く階段が出来上がっていた。下からゆっくりと冷たい空気が流れてくる。


「ああ、よかった。崩れたらどうしようかと思った」


 レインはホッとため息をついて地下へと階段を下りて行った。レインの姿が路地から消えると地下への階段は現れた時と同様に静かに消えた。階段が消えると同時に灯りが点く。オレンジの淡い光で、レインの胸元当たりの高さで浮いている。足元が見える程度の明るさだ。レインが近づくと、一定の距離を保とうとするかのように離れる。


「人工精霊系の魔法かな。すごいな」


 触ろうとするとするりと逃げる。逃げるが、離れていかずにすぐそばにとどまっている。光の精霊は案内するようにレインの少し先をふわふわと浮かんでいる。


「そっち? ついていけばいいのかな?」


 精霊についていった先には扉があった。木製の飾り気のないシンプルなドアだ。扉の上には「局長室」と書かれたプレートがある。ノックをすると返事があった。中に入る。


 部屋は全体的に暗い。作業に必要な場所だけ明るくしているようだ。部屋にはたくさんの机とタイプライターが置かれている。椅子は無く、人もいない。だが、タイプライターはあちこちでひとりでに動いているようだ。部屋の奥には巨大な木製の古いデスクが置いてあり、その上に書類が山のように積まれている。先ほどのような光の精霊があちこちを飛んではデスクの上の書類を運び、増やしたり減らしたりしている。


 書類の山の隙間で何かが動くのがわかった。暗かったので、それが人の顔だと認識するのに少し時間がかかった。彼女が局長のようだ。


「どうも、あなたが『星屑』ですか?」

「ええ。私はレイン。星屑の魔法使いです」

「私はローザリー。アスタ支部局長です」


 局長は挨拶するとすぐに顔を伏せて書類仕事に戻った。


「失礼。忙しいもので、仕事をしながら応対させていただきます」

「ええ。かまいません」

「全く、本部には仕事の量を少しは考えて欲しいものです……。ああ、失礼。誰かと話すのは久しぶりなもので。つい愚痴を」

「ずっとお一人で仕事を?」

「ええ。ここには私しかおりませんから」

「……マジですか?」

「マジです」

「人と話すのは久しぶりとおっしゃいましたが……」

「ええ、実に三年ぶりですね」

「三年、ですか……」


 レインは驚きのあまり、二の句が継げなくなった。魔法結社の仕事が忙しいのは知っているが、ここの支部は特にひどい。それだけ彼女が優秀だということだろうが……。


 と、精霊がやってきて、ドサドサっとデスクの書類を増やした。それを見て局長が顔をしかめる。


「いけないですね。世間話が過ぎました。早く終わらせてこちらに集中しなければ私の残業時間が伸びてしまいます」

「ええと、仕事はどのような内容ですか? 魔物の討伐だとありがたいのですが……」


 レインは「魔物の素材を手に入れられるかもしれないですから」と心の中で続けた。実際のところ、魔法結社から回される仕事の半分は人間には手に負えないような魔物の討伐だ。今回もそうだろうと思っていた。町の外の平野は特に問題なさそうだったので、海だろうか。それなら少々面倒だな、とまで考えていた。


「いえ、今回の仕事は調査です」

「魔物の?」

「いえ、人間です」

「人間、ですか?」

「ええ。ああ、失礼。資料をお渡しするのを忘れていました」


 意外だ。人間の調査なんて仕事は初めてだ。


 局長はデスクの上の山の一つから紙の束を一つ引っ張り出した。そのせいで山がいくつか崩れてしまったが、気にするそぶりはない。もう十分にデスクの上は大惨事になっているだろう。引っ張り出した書類を精霊を介して、レインに渡して続ける。


 書類には顔写真と簡単な情報が書かれていた。


「あなたに探して欲しいのは彼です。

 人間と言いましたが、それは正確ではないかもしれませんね。正確には魔法使い、です」

「え?」

「星屑の魔法使い、レイン殿。

 あなたの仕事はこの町のどこかにいるその男を……その魔法使いを見つけ出すことです」



 ***


 魔法は禁忌だ。


 ずっと昔、たしか200年くらい前に一人の天才魔法使いが世界を滅ぼしかけたせいで魔法は禁止され、世界に魔法使いはほとんどいなくなった。


 まあ、それは方便で実際のところ、好奇心で魔法を研究してしまう者はいる。だから当時の魔法使いと人間の王は契約によって魔法使いを縛ることにした。こうすれば魔法で世界を滅ぼすようなことはできなくなる……とまでは言わないが、難しくなるからだ。


 表では、魔法を禁忌とし、愚かな魔法使いは見つけられ次第処刑されている。裏では、魔法はひっそりと使用され、賢い魔法使いは人間に支配され、より賢い魔法使いは町の中に潜んでいる。



 ***



 私は6歳のとき、魔物に襲われたことがある。村を襲撃してきた魔物で、すごく凶暴だったという。魔素に侵されたイノシシだったらしい。


 その夜、イノシシが村に侵入してきて、村はパニックになった。あちこちで叫び声が上がった。怒号と悲鳴が混ざりあっていた。私は逃げる途中で両親とはぐれてしまい、訳も分からずにただ泣き叫んでいた。


 すると、通りの向こうを闊歩している巨大なイノシシと目が合った。イノシシはこちらへと向きなおして真っすぐに走り出した。ああ、死ぬんだな、と思ったのを覚えている。


 そのとき、気付けば男の人が私の前に立っていた。レインのように昔の魔法使いのような格好をした老人だった。顔は見えなかったが、老人だと思ったのは手がしわがれていたからだ。


 その人が手を動かすと、どこからともなくざらざらと欠片があふれ落ちた。欠片はまるで夜空の星のように綺麗な砂粒だった。手の動きは魔物が突進しているにもかかわらず、ひどく緩慢だったが、その人には恐怖も油断も感じられなかった。


「さぞや苦しかろう、今ここで命を返すがいい」


 その人がそう言って何かをつまみ取るような仕草をしたかと思うと、イノシシは走るのを止めた。まるで道端に生えている花を摘み取るような動作だった。イノシシは突進した勢いのまま何度も転がって、やがて完全に止まった。転がった勢いで身体がもげていたが、血は出ていない。よく見れば全身が石のようになっていた。いや、半透明の結晶になって崩れ、キラキラした煙を上げている。多分、さきほど老人の手から零れ落ちた星の欠片と同じものになったのだと思う。


「大丈夫か?」


 その人の声がひどく優しかったのを覚えている。



 ***



「あれ……? またいなくなってる……。どうして……?」


 サーニャは迷路のように入り組んだ路地の中でへなへなと座り込んだ。大した距離は歩いていないはずなのに、なんだかものすごく疲れた。人払いの魔法というやつのせいなのだろう。レインはすたすたと歩いていくのだが、サーニャはどうにも集中できなくていつの間にかレインを見失ってしまうのだ。今日など、無理やり手を繋いで歩かせたのに、気付いた時には一人になっていた。


 それはどの町の支部へ行くときも大体同じだった。ふと気付くとレインがいなくなっているのだ。一度だけ、レインの地図をくすねて一人で行こうとした時があったが、その時は大変だった。途中で地図の見方がわからなくなるわ、いつのまにか歩く気力もなくなるわで帰れなくなってしまったのだ。レインが気づいて探しに来てくれなかったら誰にも気づかれずに死んでいたかもしれない。


 助けに来てくれたレインは怒らなかった。ただ静かに謝っただけだった。


「遅れてごめん。もっとしっかり地図を管理するべきだった」


 サーニャにはその言葉がショックだった。単純に怒られた方がまだよかった。これ以来、サーニャは魔法や仕事についてはレインに逆らうまい、と思うようにしている。


 しかしそれはそれとして、へたりこんでいる弟子を置き去りにして先に進んでしまうのはどうかと思う。夕飯にはレインが嫌いなピーマンをたくさん入れてやろう、とサーニャは誓った。



 ***



 そのまま道端で座り込んでいるとレインが戻ってきた。どこか顔色が悪いように見えた。


「おかえりなさい。どうかしたんですか?」

「え? いや、なんでもないよ? どうして?」


 サーニャはヘンだな、と思った。なんだか声のトーンが少し高いし、目が泳いでいる。いつもなら、これから退治する魔物の素材のことを考えて、どこかよくわからない場所をボーっと見ているのに。


 だが、なんとなく答えてもらえないような気がしたのでそれ以上は聞かないことにした。


「なんでもないならいいです。ああ、あと、今日の晩御飯はピーマンです」

「え? ピーマン? ……ピーマンの何?」

「いえ、ピーマンです。ピーマンのピーマン炒めです」

「えっと……、その……怒ってる?」


 レインがしどろもどろに尋ねる。そうして慌てている様を見てサーニャは内心でほくそ笑んでいたが表情には出さなかった。


「怒ってないですよ。ただ、ピーマンがすごくたくさん食べたくなっただけです」

「サーニャ、その、できれば……、ピーマンは……」

「あたしの料理が食べられないって言うんですか?」

「いや! そう、じゃあない、けど、さ……。その、でも、えっと……」


 レインが焦点の定まらない目で冷や汗をかきながら必死に知恵を絞っている。その様があまりにもおかしくてサーニャは笑いだすのをこらえるのが大変だった。もう、これくらいでいいか。


「わかりましたよ。しょうがないですね」

「ああ! ……ありがとう!」

「ピーマンと玉ねぎの炒め物にしましょう!」



 ***



 夕食は本当にピーマンと玉ねぎの炒め物になった。レインはサーニャがニコニコしている目の前で全部平らげなければならなかった。


 夕食後、レインはひどく疲れた様子だったが、コートを着て部屋から出ようとした。その気配に皿を片付けようとしていたサーニャが振り返った。


「どこか行くんですか?」

「ちょっと散歩に行ってくる」

「ああ、ちょっと待ってください。私も……、ああでも」


 と言って手元に視線を落とした。食器を持ったままなのだ。


「いいよ、特に用も無いから」

「いえ、あなたは少しでも目を離すととんでもないことになりますから。ついていきます」


 そう言ってサーニャはベッドの上に放置された数々の荷物のうち、今日レインが買った器を見た。あの時は気づかなかったが、あれは目が飛び出るほど高かったのだ。


「待っててくださいね。……いいですね!?」

「わかったよ」


 サーニャは一階に下りて食器を宿に返すとすぐに戻ってきて、あっという間に準備を整えた。レインは少々困った様子だったが、無視した。また散財されてはかなわない。


「さあ、行きましょう」



 ***



 町のところどころに街灯はあるが、それでもかなり暗い。夏なのに風が冷たい。潮風があるからだろうか。


「星が綺麗ですね」


 そう言われて、レインは空を見上げた。星なんてほとんど見えなかった。


「ほとんど見えないじゃないか」

「だってずっとうつむいてるんですもの」

「考え事がしたかったんだよ」

「私がいるとできないんですか?」

「……」


 そうじゃない、とは言えなかった。


 ローザリー局長から、「今回の仕事は魔法使いを探し出すこと」だと聞かされてからずっと悩んでいた。


 なんとなく、サーニャには言わない方がいいと思った。


 たぶん、この仕事を嫌うだろうと思った。魔法や魔法使いが大好きな彼女はきっとこの仕事をよく思わない。彼女は案外傷つきやすい。だから、レインは今回の仕事についてどう伝えればいいのかわからなかった。


 そのまま伝えるべきなのか。

 内容は教えず、黙っているのか

 嘘をつくのか。

 サーニャはおしゃべりだから、一緒にいると考えが上手くまとまらないのだ。


「君はおしゃべりだからな。考えごとしたいときは放っておいて欲しいな」

「さっきも言いましたけど、あなたは目を離すととんでもないことになりますから」


 サーニャは苦笑いしてそう言った。レインは返事をせずに黙って歩いた。サーニャはそれきり話しかけてこなくなった。


 しかし、考えは一向にまとまらなかった。おしゃべりだから、というのはどうやら違うらしい。正解は見えないままだ。


 しょうがない。嘘は思いつかないし、黙っていてもバレそうだ。

 本当のことを言おう。


「サーニャ」

「はい」

「その……、今回の仕事だけど……」

「はい」

「……。……その、人探しだ」

「人探し、ですか? 珍しいですね」

「ああ、うん」


 思わず、中途半端な言い方をしてしまった。仕方ない。どうしても言えないらしい。もう、この方向でいこう。


「罪を犯して逃げているらしい。中々捕まえられないので僕たちにお鉢が回ってきたそうだ」

「危ないんですか? 何の罪を?」

「強盗の類だよ」


 局長に見せてもらった書類によると、魔法を使った証拠があるだけで罪は犯していないようだった。だが、サーニャに同行されても困るので少しばかり大げさに伝えておこう。


「危ないから今回は留守番を―――」

「イヤです」


 サーニャが顔をぐいっと近づけて真顔でにらみつけてきた。思わずのけぞってしまう。


「イヤって……、だから危ないんだって」

「あなたの方がよほど危なっかしいです。放っておけません」

「だ、だだ、だから、おち、落ち着いて……」

「落ち着いています。私は冷静です」


 そう言いながらサーニャの圧力は増していく。レインはもう少しで転んでしまいそうだ。


「サーニャ、身を守れないじゃないか。危ないよ」

「大丈夫です。問題ありません」


 何が大丈夫なのか。全然論理が通っていない。そうか、僕の話を聞く気が無いのか。そっちがそのつもりならこちらにも考えがある。


「はあ、わかったよ。一緒に行こうか」

「はい」


 サーニャが圧力をひっこめて微笑んだ。レインは顔をひきつらせて笑いながら考える。


 明日はどうやって彼女をまいてやろうか?



 ***



 目が覚めるとレインはいなくなっていて、テーブルには書置きが置いてあった。


「一人で探しに行ってきます。ごめん。レイン」


 サーニャはその書置きを見るなり破いてばらばらにしてゴミ箱に捨てた。そのまま無言で朝食を取り、食べ終えると買い物に出かけた。そんな朝早くに店なんて開いていないのだが、彼女は気づいていない。出かける時に宿屋の主人にあいさつされたが、無視した。足早に市場を目指して進んでいく。


 買うものは決まっていた。ピーマンだ。市場にある全てのピーマンを買おうと思っていた。


 いっそ生で食べさせてやろうかと、考えながら歩いていた時、横から走ってきた誰かにぶつかった。その勢いで転んでしまう。


「あっ……、す、すまない……!」


 男が申し訳なさそうな顔で突っ立っている。昨日、みょうちきりんな器やらを売っていたあの男だ。心配そうな顔はしているのだが、きょろきょろと辺りを見回していて落ち着きがない。今にも走り出してどこかに逃げ出したい、と顔に書いてある。サーニャは立ち上がって男に話しかけた。


「大丈夫です。ケガもありませんし」

「そ、そうか……。どうしようか……」

「お急ぎでしたら、どうぞ。私は大丈夫なので」

「そうか、悪いな……」


 そう言って男は走り去って、あっという間に見えなくなった。見かけによらず足が速い。サーニャがスカートに着いた砂を払っていると、誰かが走ってくる足音が聞こえた。


「ぅあ!」


 サーニャがその声の主に気付いて、顔をさっと上げると、レインがしまった、という顔をして立っていた。


「や、やあ、サーニャ。き、奇遇だな……」


 走ってきたのはレインらしい。呼吸が荒い。もしかしたら、先ほどの男を追っていたのだろうか。


「あ、あはは……、その、えーっと……」

「昨日の雑貨屋なら向こうへ走って行きましたよ」


 サーニャが先ほどの男が走り去った方向を教えると、レインはぱあっと顔をほころばせた。すかさず、レインをきっとにらみつける。レインの表情が瞬時に固まる。


「どうぞ、お一人で行かれては? 私は足手まといのようですし」

「えっと……、い、一緒に行く、かい……?」


 レインにはサーニャの後ろにうず高く積まれたピーマンの幻影でも見えたのかもしれない。



 ***



「走れ、く、く走れ」

「わあ、こんな魔法もあるんですね」

「あ、ああ」


 レインが「速く走るための魔法」をサーニャにかけるとサーニャはぴょんぴょんと飛び跳ねて笑った。それを見て、レインもぎこちなく笑う。まだ少し怖いのだ。まだ早朝の誰もいない路地をタタタタ、と軽い足音を立てて走って行く。風が気持ちいいな、とサーニャは思った。


「どこへ行ったかわかるんですか?」

「臭いが見えるようになる魔法をかけてるから」

「なるほど」

「まあ、強いにおいのするものを身に着けられると追うのが難しくなるんだけど……」

「バレなければそんな対策はされないんじゃないですか?」

「どうだろう……」


 レインはどこか歯切れが悪い。昨日からずっとそうだ。サーニャは自分がやけに機嫌が悪い理由がわかった。


「そういえば何か、隠してますよね?」

「それは、えっと……」

「さっきの人のことですよね?」

「……ああ、そうだ」

「ひょっとして、あの人は魔法使いなんですか?」

「ああ」

「あの人を探す仕事で、だから私に黙ってたんですね?」

「ああ」

「……」

「ごめん」

「まあ、いいですよ」


 レインが突然立ち止まり、建物の上を指さした。うなずくと、レインは建物の上に飛び上がった。サーニャもそれに続く。できる気がしたのだ。これも魔法のおかげだろう。レインは建物の上から周囲を見回している。臭いを探しているのだろう。


「あのとき買い物したのは偶然なんですか?」

「ああ、あれね。見つけたのは偶然。でも店主が魔法使いだってすぐ気付いたよ」

「仕事の依頼を受けてすぐに行かなかったのはどうしてですか?」

「君が散歩について来なかったら、その時に全部済ませるつもりだった」


 呆れたものだ。本当にとんでもないことをしようとしていた。まあ、仕事だから責められたことではないけど。


「じゃあ、逃げられたのは?」

「それは単純に不注意だ。あいつ、僕の顔を見た途端逃げ出したから」

「何かしたんですか?」

「何も? 僕があいつを魔法使いだと気付いたように、あいつも僕のこと気付いてて、次に見かけたら逃げようと思ってたんだろう。……あっちだな」


 レインは男の痕跡を見つけたらしい。またジャンプしようと屈み、動こうとしない私を見て止まった。


「どうかしたか?」

「私、ついて行ったら足手まといですか?」

「大丈夫だと思う。あいつは危険なやつじゃないよ。……多分」



 ***



 そのあとすぐに逃げた魔法使いに追いつけた。この町の中央にある噴水のある公園。そこからさらに町の出口に向かう途中、つまり高台に向かう階段の半ばあたりで、手をついてぜえぜえとあえいでいた。


「これ以上は走れないようだな。もう逃げないでくれるとありがたいんだが」

「……ふん」


 魔法使いは眉間にしわを寄せて鼻で笑うと、手をレインに向かって伸ばした。


「もう逃げられないなら戦うしかあるまい?」

「いや、そんなことはないだろ」

「つべこべ言うな。ここまで追い詰めておいて。お前を叩きのめして私は……!」


 そのとき、男はレインから少し距離を置いて立っていたサーニャに気付いた様子だった。驚いて目を丸くする。同時に手を下ろし、深々とため息をつき、階段に腰かけた。


「いいのか?」

「お前、バカじゃないのか? ここまで魔法を使えない奴を連れてくるなんて」

「あんたは攻撃しないでくれたじゃないか」

「くそっ、地獄に落ちろ」


 レインは男の所まで階段を上ると、少し距離を置いて座った。もう息切れもしていない。レインはポケットからクシャクシャに丸まった紙を取り出して広げながら話しかけた。


「魔法結社のことは知っているか?」

「ああ」

「これから魔法結社からの伝言を伝える。いいな?」


 男は目を伏せて返事をしない。レインはそれを肯定と取ったようで、そのまま読み上げ始めた。


「アスタの町に潜み魔法研究を行う貴殿に通達する。

 貴殿も知っていると思うが、結社の庇護下にない魔法研究は禁じられている。

 明後日までにアスタ支部へ来られたし。

 来ない場合は、貴殿の罪を問わなければならない。

 賢明な判断を期待する。

 貴殿の魔法が人の世のためとなることを願っている。

 アスタ支部局長 ローザリー」


 レインは紙を読み終えると、「この書状はいるか」と尋ねた。

 男は黙って首を横に振った。

 レインは紙をまたクシャクシャに丸めてポケットに入れた。


「以上だ。伝言は伝えた。僕も素直に行くことを勧める」


 レインは数秒、男の反応をうかがっていたが、何も言わないのを見ると踵を返して歩き去ろうとした。しかし、男は顔を上げて言った。


「なあ、お前はどうなんだ?」

「何が?」

「その、魔法結社に入って後悔はしていないのか?」

「ああ……。後悔はしていない。ほとんどそれしか選択肢が無かったからな」

「どんな扱いを受けるんだ?」

「その質問は無駄だと思うね。あんたには逃げ切るだけの能力も無謀さも無いだろう?」

「それもそうだな……」


 男は立ち上がって口元を歪めて笑った。


「もう少し自由な身で居たかったんだけどな」



 ***



「私が止めるとでも思ったんですか?」

「いや?」

「私がケガすると?」

「うーん、どうだろう」


 魔法使いに伝言を伝えた帰り道、レインにどうして黙っていたのか問いただした。日が昇ってきて、昨日市場が立っていた通りにも人が増えてきた。鶏を追いかけて走り回っている子供が目の前を横切る。


「じゃあ、一体どうして黙ってたんですか?」

「なんでかな……。さっきまでは傷つくかも、とは思ってたけど。多分そうじゃなかったんだと思う」

「えっと……?」

「つまり、えーと……、どう言えばいいかな。僕も君を傷つけるから言いたくないと思ってたんだけど、多分、本当はもっと別の理由があったんだと思う」

「別の理由? 何ですか、それ?」

「さあね。僕もよくわからない」

「……説明になってませんよ?」

「自分の考えなんてそうそう理解できる物じゃないだろ? 他人の考えの方がまだマシさ」

「……なるほど。……いや、私にはあなたの考えてることなんてこれっぽっちもわかりませんが」

「僕も君の考えはわからないなあ」

「……ちゃんと考えてしゃべってますか? 言ってることメチャクチャですよ?」

「ふふ、気の重い仕事が終わったからなあ。つい」

「しょうがないですね」

「あー……、もう今日は一日だらだらしよう……。

 ところで、ご飯はどうしようか。ちょっと早いけど、レストランにでも―――」

「は?」


 レインはサーニャの声色を聞いた瞬間悟った。

 サーニャは今朝置いて行ったことを許したわけではなかったのだ。今の発言がどういうわけか消えかかっていた怒りの炎に油を注いでしまったらしい。


「あはは、決まってるじゃないですか。レインの好物ですよ?」

「へ、へええ……、なんだろう、気になるなあ……」

「レインが食べたいって、それはもうわかりやすくアピールするから、私もちゃんと答えますね」

「あ、ありがとう……」


 レインはもうすでに泣きそうである。

 圧が、圧がすごいのだ。

 なんというか、凄みが。にじみ出ている。


「今日は三食、ピーマンですよ?」


 もはや、料理ですらなかった。

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