不安と愛情を憶える百合
〔元和元年 三月一日〕
未の刻に光と出掛けることにした。その理由は簡単だ。仕事が終わっていないからだ。必死に報告をまとめたりした。光も光で女子とお茶を飲みながら話を楽しんでいた。その後、羊の刻ぐらいに仕事がやっと終わった。光にも話し支度するように伝えた。儂が着替え終わり待っていると、何やら話し声が聞こえた。
「…今日はお出掛けですし、いつもと髪の結い方を変えましょうか。」
「あ、ありがとうございます。」
「…やっぱり。光さんは纏めた髪も似合いますね。しかし…簪がないのが寂しいですね…。」
「高いので…私みたいな身分では買えませんよ。」
「確かにそうですよね。何故あんなに高いのかしら。もう少し安くてもいいのに。」
「実際につけて歩いていた方がいて、そのとき初めてこんなに綺麗なものが存在するんだ~って思いました。」
「ふふ、ほんに綺麗ですよね~。」
簪…か。確かに光なら似合いそうだな。そんな考え事していたら襖が開いた。
「あ、万葉様。お待たせしました。」
「いや、大丈夫だ。…纏めた髪でも愛いな。」
「っ!そ、そんなことありませぬっ!」
赤くなった頬を隠すようにそっぽを向いてしまった。ふと、髪を纏めた光を見ていたら昔、儂が幼い頃に会った娘と似ていた。しかし顔も容姿も朧気だ。
「…さて、行くか。光。」
「は、はい。」
儂が先に馬にまたがり光を引っ張り上げた。袴ではないからまたがらず馬に乗った。
「光、しっかり儂の腰を抱いとけ。」
「はい…。」
ぎゅっと光が抱きつくととくとくと心音が伝わった。手に少しだけ触れてみた。
「…ん?」
「ひゃっ!」
「光、寒いのか?手が冷たいが…。」
「き、気にしないでくださいっ。」
「…そうか…。では行くぞ。」
「はい。」
馬を駆けていたらぽつりぽつりと光が話しかけてきた。主に妖退治屋を散歩したこと。
「…散歩中、色んな人に会いました。後、お池を見ました。」
「池?あぁ、あそこか。綺麗だろう、夏になれば蓮の花が咲くのだ。」
「…あの、ですね…万葉様。」
「…なんだ?」
「私…一度、妖退治屋に来たことがあるような気がします…」
「……え…?」
「あのお池を見ていたら、小さな男子を思い出しました。顔は分かりません。名前も分かりません。」
「…他に似た池があるとかないのか?」
「あんなに立派な池を見たことがあるのは他にはない、はずです。それに記憶ととても酷似してました…。」
「そう…か。…言われてみれば儂もそんな記憶があるような…。」
「お池ですか?」
「まぁな。でも、違う場所にもいたような。儂も同じく小さき女子が記憶の片隅にいる。お前と同様、顔も容姿も名前も覚えてない。」
「…不思議ですねぇ。もしかたら夢かも知れないですね。」
「そう、かもな…」
その後も色々話に花を咲かせながら目的地に着いた。光はいち早く駆け寄りしゃがみ込んだ。
「…わぁ…可愛らしい花が咲いてます!」
「名前は分からぬが、綺麗だなと思い連れてきたのだ。」
「これは…姫金魚草ではないですか?」
「姫金魚草?」
「はい。こんな花を咲かすのは姫金魚草しかないはずです。」
「…詳しいな。」
「お爺さんに色々と教わりましたから。」
しゃがんでいた彼女は立ち上がり、奥にも咲いている方見てくると言い行ってしまった。彼女はただ楽しそうにはしゃいでいた。…何をしていてもただごく普通の女子と何も変わらないのに何故…内面を見ようとせず彼女を拒むのだろうか。しばらく彼女を眺めた。…もし伝えるとしたら今ではないか…?
「…っ…」
言いたい…いや、言う。この想いを伝えたい。
「光。」
「…はい、何でしょうか?」
彼女の青玉の様に煌めく瞳と儂の瞳が交差した。あぁ、全部が愛おしい。
「…光…その…だな…」
「……」
「あ…っ…」
「どうなされたのですか?万葉様。」
「…いや…なんでもない。日が落ちたしそろそろ帰ろうかと。」
「あ、そうですね。夜になってしまうと野盗とか出てしまいますし。」
「あぁ。」
やはり勇気が…出てこない。いっそ仕舞い込んでしまうというのも良いのか。馬に乗り、光を引っ張り上げながらそう思った。しばらく駆けていたらまた光から口を開いた。
「…そういえばこの道、反対側に私の村がある道ですか?」
「ん?あぁ、そうだな。どうかしたのか?」
「いえ、大したことではないのですが確かこの近くに夕日がとても綺麗に見える場所があるんです。」
「折角なら行くか。」
「宜しいのですか?」
「あぁ。」
光の言う通りに行ってみると、崖がせり出している場所が茂みから見え隠れしていた。
「あそこです、あそこ。」
「少し歩くようだな。」
馬を降り、落ちない程度の所まで進んだ。
「ここ、私好きなんです。昔、たまにその男子と夕日を見に来ていて…」
そう光が言っていたが何も耳に入ってこなかった。何故か懐かしさに身を包まれた。儂は来たことがある。何度も何度も。
「…知っている」
「まぁ!そうなんですか?でしたら、私の村に来た帰りの際に…」
「いや、違う。ずっと昔に来たことがある…。その小さき女子と…」
そう言いながら光を見た。…記憶の片隅に居たその女子と光の姿が重なった。だが、他人の空似かもしれない、けど…
「…儂らは一度、逢ったことがある、と思う。」
「……」
光は当然、驚いた表情をしていた。そして胸の辺りでぎゅっと手を握った。
「…光。儂はここで何かお前に言った言葉があるような気がする。覚えているか?」
「いえ…覚えて…おりませぬ。」
「そうだよな、儂も覚えてない。確かここで何か会話を交わしたような。。」
儂は少し、脳内を巡らせた。だが、薄っすらと思い出すだけで確信はなかった。
「万葉様?」
「…あ、すまん。やはり思い出せなくてな。だが…妙にお前といると懐かしくて、心地が良い。」
「……。」
すると彼女は、静かに涙を流していた。
「…ひか、り?」
「すみません…、私…その時の事、憶えていませんが…万葉様の笑みを、一度昔…見たことあるような気がして…」
儂はふと、あの時が鮮明に蘇ってきた。そうだ、ここで別れを告げたんだ。忙しくなるから、また会えるか分からない。だが…迎えに行く。
「…儂は、きっと二度お前を好きになったのだな。」
「万葉様…」
「光…」
そっと光の頬に触れた。と、光はその儂の手を包み込み幸せそうに頬ずりした。。
「……好きだ、光。」
「……」
はっと彼女は息を飲みもう一度瞳を閉じた。
「…私には“恋”をいうものが分かりません。ですがきっと今、私が抱いてる感情は万葉様と一緒なのでしょう…。」
「光…」
「ずっと傍に居てください。例えどんなことがあろうとも…。私と…生きてほしいです…。」
「あぁ。ずっと一緒だ。」
「…大好きです。」
何も意識せず、光を抱きしめた。強くも優しく。そっと離し、玉響に見つめたあと光の唇に触れた。
「…束の間、瞳を閉じてくれ。」
「……はい。」
儂も瞳を閉じ、そっと彼女の唇に重ねた。柔く熱く永遠にも感じられた時間だった。熱の余韻もありながら唇と唇は離れた。光の頭を軽く撫でた後、馬には乗らず手を繋ぎ帰ることにした。…しかし儂は本当に光に会ったことがあるのだろうか。そんな疑問を抱いたが頭の片隅に置くことにした。
◇
申の刻、湯あみの後私は上機嫌で縁側で風を浴びながら髪を櫛で梳かしていた。
「…おやっ!光ちゃんだ~。」
「あ、馨ちゃん。こんばんは。」
「こんばんはっ!…光ちゃんが髪をおろしてるの二度目だなぁ~。」
「あの時が初めてでしたものね。。」
「そういえば、何かいいことあったの?」
「へっ‼い、いえ…あの、えっと…実は…」
馨ちゃんに耳打ちで話した。今日の出来事を。あの幸せな時間を。
「え~~~っ‼嘘っ!嘘嘘嘘!良かったじゃんっ!」
「ほんに嬉しくて、今でも頬が熱くなって…それで風にあたっていたんです。」
「良かった~。本当に~。あ、でも要注意してほしい人がいるんだよな~。」
「朧左衛門様…ですか?」
「いやっ、朧さんも注意してほしいけど…もう一人。瑠璃って名前の人。まぁいつもクミっていう子とサナエって子と三人でいるから分かりやすいかも。」
「そうなんですか?」
「まぁ、光ちゃんここに来て日が浅いから分からないだろうな~。う~む…」
「大丈夫です。とりあえず三人で行動なされてる方が瑠璃さんですね。」
「そうだね~。そのほうが分かりやすい。」
「ありがとうございます、馨ちゃん。本当に頼りになります。」
「えっ!いやいやそんなに頼りにはなってないよ~。」
「頼りになっています。私と同じくらいの年齢の方と話すのはここが初めてですので。大変、心強いです。」
「え~…照れるなぁ~。」
「…しかし…少し朧左衛門様が怖いです。どんな反応をなさるのか。」
「あぁ~、確かにねぇ。掟を決して破りたくない人だから…。」
「掟?」
「すごいゆったりした組織だけど意外とちゃんとした掟があるのよ。まぁ、後々に当主様から説明があると思う。」
「馨ちゃんも覚えているのですか?」
「・・・ごめん、そこまでは覚えてない・・・」
「あぁ、ごめんなさい。」
「いや、大丈夫!皆、覚えてないから!」
「ふふっ、そうなんですね。」
「胸を張って言える。分からないと。あ、でも最低でも覚えなきゃいけないのは覚えてる!」
「私も覚えるのが大変そうです。」
「あはは、頑張って~光ちゃん。」
「はい、頑張ってみます。」
…その後も暫く話を楽しんだ。途中、躑躅さんも加わってさらに盛り上がりながら話をした。
◆
〔同刻 梅の間にて〕
今日のことを伝えるため、東郷さん獅子王に朧左衛門を集めた。光と恋仲になったことや将来について。一通り話し終えると朧が怒りを含めた声で一言、言った。
「…今のは事実にございますか…?」
「あぁ。」
「っ!お考え直しを‼掟に反しております!」
「……別に、良いではないか。血の繋がった妹が現れるかは分からぬ。されば心より愛おしいと思える光と添い遂げたほうが儂は幸せだ。」
「…東郷殿も!渋兵衛も!何か言ってくれ。」
「…儂は…何も異存ないが。」
「俺も、東郷殿と同意見だ。」
「東郷殿…。長年途切れなかった掟をここで破るのですか?」
「確かに、お前の言いたいことは分かる。だがな、小僧の妹がどんな手を使っても誰なのか分からねぇ。だったら途切れさす他ねぇだろ。」
「…っ…。で、でしたらいとこなどは…」
「馬鹿言え。妹すら見つかってねぇのに、どうやっていとこを見つけんだ。大体こんな世の中故、死んでるかも知れねぇ。掟に書いてあっても無理なもんは無理だ。」
「…妖退治屋の掟の巻物より“一、妖退治屋の当主は実の妹を許嫁とする。しかしいない場合はいとこから嫁をとること”と記されているが、見つからなかったら他のものと婚姻を結んでも良いと思うぞ。」
「……」
「血が濃ければ濃いほど良いが、今回の件は妖退治屋の歴史上、異例だ。父親は産まれて間もない小僧を手放し、妹がいるだなんだっつー書状はよこされたがどんな容姿かは書いちゃいねぇ。…おい、小僧。あんときの書状はあるか。」
「…多分…蔵のほうにあるかと…」
「なら取ってきて貰えるか。」
「分かった。」
儂は急いで蔵に向かった。巻物の数が多く半時かかった。一番上の隅のほうに埃をかぶった状態で見つけた。少しだけ払い、梅の間に戻った。
「…ありました。東郷さん。」
「ん。」
東郷さんは早速、朧の前に書状を広げた。
「ほれ、書いてないだろう。妹は、一人なのか二人なのかも。どんな娘なのかも書いてねぇだろ。これでも血眼になり妹探せっていうのか、てめぇは。」
「う…っ…」
「朧、時には妥協も必要だ。妖退治屋にとって大切なのは妹と夫婦になることではない。どれだけここを継承させるかだ。」
「…分かった。当主様の意見は受け入れる。だが俺はあの女が嫌いだ。」
「今はそれでいい。だがよく考えろ。光はお前に特別何かしたか?」
「……」
「見た目だけで人を判断しないでくれ。儂はそれが何より嫌いなのだ。」
…しばらく朧は黙り込み、何も言わず部屋に戻っていった。
「……じゃあ、儂らも部屋に戻るぞ。小僧。」
「失礼いたします、当主殿。」
「あぁ。」
二人が去った後、書状を手に取りまじまじと見てみた。東郷さんの言うとりぶっきらぼうに妹がいる、のみだった。
「…妹、か。」
会ってみたい。だが、会ったところでどうする。何も知らない相手に突然、儂の許嫁だと言っても理解されないだろうな。そもそも相手にも好いた男がいれば尚更、理解出来ないだろうし、怒るかもな。
「…ふぅ…」
今日は一段と疲れた。光に癒してもらおう、それがいい。儂は光に会うため梅の間を後にした。
(続)