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愛者永遠  作者: 桜宮朧
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居場所を知る百合

〔元和元年 二月二十八日〕

卯の刻、自然と目が覚めた。眠さがかなり残る中、辺りを見渡すと万葉様がいなかった。

「万葉…様?」

屋敷のどこかにはいるはず。そう思っても、不安で堪らなかった。髪を結うのも忘れて、万葉様を探した。と、庭から風を切る音がした。急いで行ってみると、木刀で素振りをしている万葉様の姿だった。

「ほ…」

一安心し、その場に膝から崩れた。

「…光?」

「っ!」

ぱっと顔を上げると、万葉様がこちらに近づいていた。

「どうした?光。」

「あ、朝起きたら、万葉様の姿が見えなくて心配したんです!それで…さ、探しましたっ。」

「…すまん。お前が起きる前には戻ろうと思っていた。」

「本当ですか?」

「本当だ。」

「…っ~…。」

「光、髪を結っていないんだな。」

「万葉様のせいです。」

「悪かったよ、光。」

そっと、万葉様は私の頭に触れて撫でた。

「っ!ま、万葉様⁉」

「お詫びだ。」

「も、もう少し、違う形があるでしょうに!私は、童ではありませぬっ。」

「そう怒るな。」

「…光さん!こちらにいましたか。部屋におらず、心配しましたよ。」

「あっ、風雅さん。おはようございます。」

「ワンッ、ワンッ‼」

「白銀も、おはようございます。」

「光様、支度しに行きましょう。」

「分かりました。…万葉様は?」

「儂はまだ素振りをしている。」

「頑張ってくださいね。」

私は風雅さんと共に部屋に戻った。半刻経ち、万葉様とは菊の間で合流した。

「…では、いただこうか。」

「はい。」

「いただきます。」

「いただきます。」

朝もそれなりに豪華だった。やっぱりお味噌汁が美味しかった。白米も。

「…本当に、帰るのか…?」

「はい、そうですね。私がここにいても何をするわけでもないので。」

「……儂の傍に居るは、嫌か?」

「っ!へっ⁉え…えっと…」

嫌ではない。万葉様と居るのはとても安心する。けど…迷惑かも知れない。

「儂は、またいつお前に逢えるか分からない。ここに居れば、少なくとも毎日逢える。」

「…万葉様的には、居てほしいのですか?」

「……」

恥ずかしいのか、私から目線を逸らし味噌汁を飲んでいた。私は一旦、持っていた箸と茶碗を置き万葉様を見つめた。

「私は、何もできませぬ。ここに長居していたらただのお荷物です。でしたらあの家で万葉様に逢える日を指折り数える日のほうがいいです。それに、私と万葉様は恋仲ではありませんし、ただ互いに知り合い程度でお話仲間と言いますか…なので…」

「分かった、単刀直入に言う。…居てほしい。お前はお荷物ではない。儂の疲れをその…癒してくれる唯一の存在だ。」

「癒し…」

「…と、兎に角、お願いだ。帰らないでほしい。それが正直だ。」

「…分かりました。もうしばらくお世話になります。」

「……うむ」

私も、はっきり言ってしまえば私も嬉しい。これからどんな生活になるか楽しみ。万葉様は食事のあと、すぐに自室に戻った。書き物が残っていると言って。私はのんびりとお茶を飲んだ後、万葉様の部屋に向かった。その途中、花宮さんに会った。

「おはようっ!光ちゃん‼」

「おはようございます、花宮さん。」

「光ちゃ~ん、その言い方は堅いよぉ…馨ちゃんでもっ、馨でもっ!いいからねぇ~。」

「いいのですか?」

「いいの、いいの。そういえば光ちゃん!羽織、被んなくなったねぇ。」

「あっ……」

正直、すっかり忘れていた。皆さんがあまりにも普通に接してくれるから…。

「そっちのほうが全然いいよ!ほんっとうに、可愛いねぇ。光ちゃんは。同じ背丈でもこんなに可愛さが違うとは。絶世の美女とはこのことだなぁ、ふむふむ。」

「か、馨ちゃんのほうが私より何倍も可愛いですっ。」

「えぇ~…。そうかな~。」

「可愛いです。」

「…ふふっ、ありがとっ。」

「あっ、そういえばしばらくまた、ここでお世話になります。」

「えっ‼そうなの!やった~‼もう少し光ちゃんもこと知りたかったからちょー嬉しい~。あっ、理由として何⁉」

「えっと…万葉様に、居てほしいと…言われたので。」

「ふぅ~ん…」

と、馨ちゃんはにやけた表情になった。

「どうしたのですか?」

「いや。当主様、やっと一歩踏み出したんだなぁって。」

「一歩?」

「なんでもないっ。私、そろそろ行くね。じゃね!」

「はい、また…。」

一歩、とはどういうことなのか疑問を浮かべたままだったが、考えていても仕方ないと思ったので忘れることにした。またしばらく歩いていると曲がり角から大柄な男性が現れた。目つきが怖い方で左目の傷が一層怖さを引き出していた。髪は鬢付け油で固めているのかかっちりとしてて後ろのほうへと流していた。右の瞳でぎろりと睨まれた。

「…ちっ、なんでこんなとこに妖がいんだよ。」

「…え…えっと…」

「何か言えよ。なぁ?」

「ひっ…」

何、この人。すごく怖い。蛇に睨まれた蛙になってしまった。殺される、そう思った。何もできず固まっていると私の後ろから声がした。

「兄者!怖がらせていけないですよ。女子には優しく。」

後ろから現れたのは私の背を少し超えるくらいの男性だった。私の横を通り過ぎ目の前に現れ深くお辞儀した。

「…兄者が申し訳ありません。兄者、大の妖嫌いでして。何度も説得はしているのですか。」

「…はぁ…」

「あっ、申し遅れました。おいら、“(かすみの)()衛門(えもん)”といいます。」

「私は光と言います。…そちらの方の名前は…」

「貴様に教える名前はねぇ。」

「兄者、ちゃんと自己紹介はしてください。おいらからは言いませんからね。」

「…だったらいい。」

そう言い残し、体の向きを変えどこかに行ってしまった。

「あぁ‼兄者!…申し訳ありません。…一応、おいらから言っときます。兄者の名は“(おぼろの)()衛門(えもん)”です。我々両名、以後お見知りおきを。」

「あっ、はいっ。よろしくお願いします。」

「…噂通り、綺麗な髪ですね。」

「えっ⁉噂?」

「はい。主に、花宮さんが。すごく可愛らしい、とっても綺麗な髪の持ち主、など。」

「まぁ…馨ちゃんたら。」

「…あと、しばらくまたここに居るそうですね。」

「はい。」

「何かあったらおいらにも言ってください。まぁ、当主様が解決なさると思いますが。」

「あ、はい。分かりました。当主様も忙しい場合があると思うのでその時に。」

「お役にたってみせます…。」

「はい、ありがとうございます。」

「…じゃあ、おいらはこれで。兄者を見つけなきゃ。それじゃ。」

「それでは…」

ここは居心地がとても良い。まるで本当の家に帰ってきたよう。

「そうだ。少し屋敷内を散歩しようかしら。あっ、でもご迷惑かしら?…万葉様に聞いてからにしましょう。」

少し急いで戻り、屋敷内を散歩していいか聞いた。

「…別に構わぬ。あ、しかし今は鍛錬している者もいるから気をつけてな。」

「分かりました。行きましょう、白銀。」

「ワフッ!」

白銀と一緒に散歩に出掛けた。

「とても広いわね。道に迷ってしまいそう。」

「ワンッ。」

「でも大丈夫よね、白銀がいるんだし。」

「ワウッ」

「…また、当主様に怒られるよ⁉いっつも怒られているじゃない!」

「そんなに怒るな、早乙女。鍛錬だと言えば大丈夫だ。」

「さすがに無理でしょ。米俵を二つ肩に担いで鍛錬ですって。てかなんで持てるわけ⁉」

「…どうなさったのですか?さ、早乙女さん…。」

「あっ、光ちゃん。」

じとっと私を見るや否や、早乙女さんが近づいてきた。

「馨にも言われたと思うけど、ここにいる人は家族同然だと思っていから。名前で呼んで。」

「あっ…ごめんなさい。では躑躅さん。」

「さん付けか…。」

「え、えっと…躑躅ちゃんというより躑躅さんのほうが合っているというか何というか…。」

「…ま、いいわ。あたし、面倒なこと嫌いだし。獅子王さん、くれぐれも気をつけてくださいよ。あたし、馨のところに行ってくるので。」

「分かっているよ。」

「そういえば、光ちゃんはこれから何するのかしら?」

「あ、屋敷内を散歩しているのです。」

「ふぅ~ん、そうなんだ。気を付けてね。」

ひらりと手を振って行ってしまった。獅子王さんと呼ばれた人と二人きりの空間になった。獅子王さんは先ほどの朧左衛門さんより一つ背が高かった。容姿は先ほどの朧左衛門さんと似た髪だが鬢付け油は使用せず雑に後ろに流していた。ひょろりと一房前に垂れていた。ちらりと私は見上げた。獅子王さんの私より深い青の瞳と私の瞳が交差した。

「えっと…」

「君が、光さんかい?」

「えっ、あ…はい。」

「…そうか…。」

私はこてんと首を傾げた。初めましてと言うのが普通だが何故か、初めましてではなくお久しぶりですのほうが脳裏に浮かんだ。こんなに背の高い方ならば印象的で覚えているはず。

「あの、獅子王さんで合っていますか?」

「ん?あぁ。“獅子(しし)(おう)(じゅう)兵衛(べえ)”俺の名だ。」

「獅子王さん。私は名乗らなくて大丈夫みたいですね。」

「皆の者が噂しておるからな。」

「少し、恥ずかしいですね。ふふふ。」

「…なぁ、あんた。」

「はい?」

「東郷さんには会ったか?」

「…はい、少しだけ。あ、殆どお話はしていません。」

「そうか。」

獅子王さんはどこかうれいを帯びた表情になった。

「あの…つかぬ事聞きますが…」

「なんだい?」

「……やはり、確信がないので止めておきます。申し訳ありません。」

「そうか。俺はどんな質問にも答える覚悟はしていたがな。」

「確信がないことを聞いてもご迷惑だと思いますし。それに、鍛錬の邪魔になると思うのでそろそろお暇します。では。」

「あぁ。」

私は白銀と散歩を再開した。

  ◇

しばらく歩いていると、久しく会えた方がいた。

「翡翠様。」

ぴくりと翡翠様は反応した。左から右に向かって流れる前髪に胸元までの長さの一本に結んでいるので、すぐに分かった。

「あ、れ?光さん。どうしてここに居るのだ?」

「えっと、暫くここに居候させてもらうことになりまして。」

「いや、そうじゃなくて…なんでここを知っているの?」

「あら?聞いていませんでしたか?私、万葉様と知り合いでして。昨日雨宿りをさせてもらったのですが、万葉様がここに居てほしいと言われました。」

「へ、へぇ~。」

「皆様に知れ渡っているのでてっきり翡翠様は知っているものかと…。あ、でも昨日はお会いしませんでしたね、そういえば。」

「あ、あぁ。少し遠方のほうに行っててね。今日の朝方帰ってきたんだ。」

「そうなんですか。」

「まぁな…」

翡翠様は何故か焦っているかのような話し方だった。前に会った時は落ち着いた話し方だったのに。

「…あの、何かありましたか?先ほどから落ち着いていないように見えますが…」

「えっ⁉あ、いや……そんなことはないよ。あはは…」

「それなら…宜しいのですが。」

「じゃ、じゃあ俺は」

「…心地が良いですね、白銀。」

「ウォンッ」

しばらく歩いていると蔵があった。近づいてみると鍵がかかっていなかったので少し覗いてみた。するとそこには色々な巻物や本があった。

「わぁ~…すごい。白銀、入ってみましょう。」

「ウォン。」

少し埃っぽかったが、気にせず散策した。

「これ、全部…退治記録なのかな?」

「クゥウゥ…」

しばらく散策していると入口のほうで音がした。…もしかして、鍵を閉められた?私は焦って急いで入口に戻った。

「…あれ?閉まっていない…。じゃあ、さっきの音は何でしょうか?」

「ウゥゥウ…」

白銀が鼻を動かし、辺りの匂いを嗅ぎ始めた。

「どうしたの?白銀。」

「クゥ…」

まるでこっちに来いと言わんばかりに歩き出した。訳が分からず、ついていくと一人の男性が本を読んでいた。集中して読んでいたので話しかけていいものかと少し悩んだ。すると男性はこちらに視線を向けた。右の目が前髪に隠れているのが印象的で、後ろで髪を結っていた。薄っすら紫がかった瞳が私を捉えた。

「……いたのか。」

そう一言だけ言うと本にまた視線を向けた。

「…えっと、光と申し上げます。その、この蔵…すごいですね。」

「……妖退治屋の退治記録や御伽草子まである。ここに立ち入る者は少ない。」

「そうなんですか。」

「君が名乗ったならならば、こちらも言う必要があるな。」

ぱたんと本を閉じ、視線ではなく体を向けた。

「“円城寺寿”だ。よろしく頼む。」

「寿さん、よろしくお願いします。」

「あぁ。」

また寿さんは本を見始めた。多分これ以上話したりしないと思ったので蔵を出てまた別の所へと移動した。しばらく歩いていると大きな池を見つけた。ごく自然に近づいた。石に囲まれた普通の池だ。綺麗な水草があり鯉が泳いでいた。そういえば、この屋敷には初めて入ったのに一度来た感覚が私の中で駆け巡る。僅かな頭痛がしたその時、ふと昔の事だろうか、朧気な記憶が脳裏に浮かんだ。小さい男子が隣にいる、顔は逆光のせいか覚えていないせいか分からない。ただ声が甦った。

“君の名前は何と言うのだ?”

少しだけ高いその声、柔らかさと威厳を持ち合わせたその声。…一体、誰なんだろうか。

「クゥゥン…」

「…どうしたの?白銀。」

「ワウッ」

「少し考え事していただけよ。」

白銀を少しだけ撫でた。この先は道場らしき場所で人も多そうだった。戻ろうとしたその時、眩暈に襲われた。頭痛もしてきた。気持ちが悪い。立っていられなくなりその場にしゃがんだ。

「ワンッ!ワンッ!」

「…大丈夫よ、白銀。いつものことだから、ちょっと休憩すれば治るから。」

「ウゥゥウゥ…」

最近は元気だと思ったのに。

「はぁ…はぁ…」

「ワゥゥン…」

「っ!光さん⁉」

「…風雅さん。」

「具合が良くないのですか?お水でも持ってきましょうか?」

「…大丈夫です、お気持ちだけ受け取ります。」

「ですが、あの。」

私は、これ以上心配をかけたくなかったので頑張って立ち上がった。

「部屋に戻って、少し眠ればきっと大丈夫です。」

「それなら、宜しいのですが…何かあったら言ってくださいね。」

「はい。」

私は少し微笑んで、自室に戻った。風雅さんには申し訳なかったな。あんなに心配してくださったのに。

  ◇

「…ただいま帰りました~。」

「あぁ、お帰り。…光、あまり顔色が良くないように見えるが大丈夫か?」

「えっ…と…だ、大丈夫です。」

「そうか?だが、儂は心配だ。布団敷いてやるから待っていろ。」

「で、ですが…」

万葉様は書き物していた手を止めて、布団を用意し始めた。

「ま、万葉様は仕事していて大丈夫です!壁にもたれていても寝れるのでっ。なので、その…。」

ちらっと机の上を見た。まだまだ仕事は大量にあった。私なんかのためにわざわざ手を止めて申し訳なさで胸がいっぱいになった。私は思わず、万葉様の袂を手を握った。

「…光?」

「や、やはり申し訳なくて…。具合が悪かったのも一時的なので、もう元気です!」

万葉様は眉をひそめた。布団を床に置いて私をじっと見つめた。

「儂は、本気で心配しているんだ。また倒れるじゃないかとはっきりと言ってしまえば怖い。」

「…万葉様…」

「…休んでほしいが儂の仕事を心配して、眠れぬというなら…ついてこい。」

万葉様が歩き始めたので、疑問が浮かんだままだったがとりあえずついて行った。行きついたところは万葉様の隣の部屋だった。狭すぎず広すぎずちょうどよい部屋だった。

「お前が今日から使いたいというならここを使え。」

「…ありがとうございます…」

「しっかり、休むんだぞ。」

「はい。……お仕事、頑張ってください。」

「あぁ。」

  ◆

…申の刻、煙管の煙がゆらりゆらりと漂わしていた。一服吸っている儂の所に一人、来客が来た。

「…失礼致す、東郷殿。」

こんっ…と灰を煙草盆に落とした後、答えた。

「入れ」

襖が開き、獅子王が深く一礼した。儂はもう一度煙管に刻み煙草を入れた。

「…もうすぐ夕餉の時間なのに、突然の訪問をお許しください。」

「別に…構わぬ。それに、お主が来るというこったぁ何か急用だろ。ま、とりあえずそこに座れ。」

「ありがとうございます。」

儂は煙管を吸いながら。おおよそこやつが聞きたいことを尋ねた。

「光のことだろう?」

「…はい。」

「そうか…」

「今朝、会ったんです。彼女と。ずいぶん変わりましたね、光殿。」

「…そうだな。」

「東郷殿もお会いになられたのですよね?何故、そんなに関わらないのですか?」

「…あいつは、儂らの事なんぞ覚えとらんかっただろ?」

「確かに…そうでしたが…多少なりと、覚えている様子でした。」

「ほぉ、何故そう思う。」

「光殿が俺に何か質問しようとしていましたが、やはり確信が持てぬということで聞くのを止めていましたが、光殿が聞こうとしていたことは、多分“どこかで会うたことはありませんか?”だと思います。」

「…ふむ、何故そう思う。別のことだったらぁ、どうする。」

「…別のことでしたら、それはそれでいいでしょう。」

「はんっ、なるほどな。」

儂は一旦、煙を吐いた。

「…当主様も覚えておいでなのでしょうか?」

「……知らんな、小僧のことなんぞ。」

「人間というのは、記憶を忘れやすい生き物だ。だから…当主様も…」

「断定は、出来るのか?」

「…出来ませぬ。」

「なら、小僧が覚えていると信じておけ。」

「はい。…では俺はこれで失礼致します。」

「あぁ。」

獅子王はまた深くお辞儀をして出て行った。儂はふと縁側に出て、空を仰いだ。橙色に染まっていく空。儂の煙管の煙がゆらりゆらりと消えていく。…獅子王と会話をしていたら百人一首の和歌が一つ浮かんだ。

「…瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ…」

あやつらのこの先がどうなることやら。ま、想像しても意味はない。

  ◇

戌の刻、風雅が儂の所に訪ねてきた

「…当主様、光様に粥を作ってあげたほうが宜しいでしょうか?」

「…そうだな。作ったほうが良いかも知れぬが、彼女は食べるかどうか分からぬな…」

「どうしましょう…」

「うむ…」

「どうした、お前ら。」

「あ、東郷さん。」

東郷さんは少しだけ開いている襖から光の様子をちらりと見た。

「…あいつは具合が悪いのだな。」

「はい。それで粥を作ったほうが良いのか、風雅と悩んでいて。」

「…作れ。きっと喜ぶだろ。」

「……風雅、頼めるか?」

「はい、了解しました!」

風雅は急いで台所へと向かった。

「…小僧。」

「何でしょうか?」

「…こいつは、誰かに頼ることに慣れておらん。だから、過剰でも良いから接してやれ。こいつは身分や容姿で何事も懸念する女子だ。」

「……何故、そんなに光のことを知っているのですか?」

「…さぁな。こやつの態度を見ていたら何となく分かっただけよ。」

そう言いながら、儂の横を通り過ぎ多分、椿の間に向かったと思う。東郷さんの背中を見つめた後、光に視線を向けた。足音を立てて起こさぬよう細心の注意をし、彼女の近くに座り込んだ。銀色に輝く髪が儂のほうに流れていた。そっと髪に触れ、唇を近づけた。

「…お前のその苦しみを、儂にも分けてほしいのう。だが…少なくともここにいれば、何かしら対応はできる。だから…“ここに居てほしい”と言ったんだ。」

しん…と静かな時間がしばらく続いたが足音がしたので風雅が来たと思い、一旦廊下に出た。

「当主様、ちょうど良かったです。粥が出来たので渡そうかと」

「…風雅が…食べさせれば良いだろう?」

「何を言っているんですか。ここは当主様がやるべきですっ!ささ、勇気を振り絞って。」

「お前な…」

「冷めてしまいますし、私はこれからやることがあるんです。では。」

風雅は儂に押し付け、そそくさと風雅は立ち去った。

「お、おい。風雅。……っ。」

儂が渡すしかない状況になった。…もう腹をくくろう。

「……光、起きれるか?」

「…んっ…んん…」

「粥を風雅が作ってくれたのだ。」

彼女はぼんやりと瞳を開け、ゆっくりと起き上がった。

「か…ゆ…?」

「あぁ。」

寝起きだったが粥の香リがしたのか段々と彼女の目が覚めてきた。

「…わぁ…ありがとうございます、万葉様。風雅さんにも後で伝えておきます。」

「体調は、どうだ?」

「寝たおかげで先ほどよりだいぶ回復致しました。」

「それは良かった。あ、粥。温かいうちに食さねば……」

と言いながらじっと粥を見つめた。やらねばならぬ。勇気を出せ、儂。

「どうなされましたか?」

「……光。」

「はい。」

「口を開けろ。」

「・・・はい⁉え、えっと万葉様がそのっ、食べさせるということですかっ?」

「あぁ。」

「そ、そこまでお手を煩わせたくありませぬっ!」

儂は構わず、粥をれんげで掬い冷ました。

「ん」

「…~っ…い、いただきます…」

「…どうだ?」

「……美味しいです。」

「良かった。」

「万葉様、お仕事のほうは…」

「それなら、心配はない。もう終わらせた。」

「まぁ、そうなんですか。」

「後は、蔵に仕舞うだけだ。」

「良かったです。」

「粥を食べたら、また寝ろよ。」

「はい。」

しばらくして食べ終わり、珠乃にお椀を渡した。

「…そうだ、明日は儂も退治に行ってしまう。何かあったら風雅に言え。風雅は居てくれるから。」

「あ、分かりました。」

「早朝から出てしまう。午の刻辺りには帰ってこれるかもしれぬ。」

「そうですか…。頑張ってくださいね、万葉様。」

「あぁ。…お休み、光。」

「お休みなさい。」

彼女は優しく微笑んだ。儂は、彼女のその笑みが好きだ。

  ◇

〈同刻、とある場所の部屋にて〉

「父上…今日、あの人に会いました。その…ちゃ、ちゃんと生きて…ました。」

「……生きておったのか、奴め。」

「はい…。」

「他には、何かないのか。火影。」

「えっと…なんか身なりの良い青年の方と親しそうでした。ですが、その者とは初めて会った者ですのであの人とどういった関係かは分かりません…」

「…羽織などは着てはおらなかったか?」

「羽織、ですか?…いえ、着ていなかったです。そういえば、翡翠様のことを知っていました。あ、そういえば総髪でした。」

「そうか。ならば、妖退治屋の……あの者だろうか…」

「分かるのですか?」

「さぁな、少ない情報では分からぬ。が、検討はついている。

「…そう、なのですか?」

「あぁ。一人、総髪の男を知っている。」

「…父上の、お知り合いなのですか?」

そう聞くと、父上は振り返りにたぁと笑った。

「っ」

「何時しか、会いに行かなくてはなぁ。」

「……」

「ま、そんなことは一旦置いといて、一人殺らなくてはいけない者がいる。その者を始末してから、会いに行くか…」

「…始末…。」

「自室に戻れ。夕餉はもうすぐだろう。」

「そうですね。…では失礼致します。」

「あぁ、そうだ。火影。」

出ようとしたその時、父上が話しかけた。

「な、なんでしょう。」

「もうその女とは会うな。」

「…分かり、ました。」

父上の部屋を出て、しばらく歩いた。あたしはふと夜空を仰いだ。下弦の月が細く浮かんでいた。ぼんやりと無意識に口が動いた。

「姉様は…自由でいいな…。」

ばっとあたしは口を押えた。こんなこと…言ってはいけない。聞かれたら…父上に聞かれたら…殺される…。ぎゅっと瞳を閉じ、震える自分の身体を抱き部屋に戻った。

                                  (続)

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