63 固定電話同士で
二日後の午前。
運よく、母と、妹のアイリが外出してくれたため、自宅で一人になることができた。
そこで、ケイコに電話をかけることにした。
別に、母や妹にバレたところで支障はあるまいが、小言や冷やかしぐらいはありそうだ。恋愛絡みであり、受験生でもある今、立場的に面倒なことは確かである。聞かれないにこしたことはない。
時は1990年代の半ば。
まだ、携帯電話は普及しておらず、家に一台しかない電話機を使う。
(ええと、たしか、この中に……)
電話台の下に、中学の三年B組の連絡網があった。紙一枚。
まず、学級担任が五人ほどの生徒へ、同じ内容の連絡事項を電話する。あとは、それぞれが、リレー方式で、順繰りに次の人へ電話していく仕組みだ。
(電話連絡網も、レトロだよなあ。SNSが普及した令和の時代では、多分、こういうのもなくなってたんだろうなあ)
タイムリープしてくる前、マサトは独身で子供もいなかったので、実態はよく知らないが。
それはともかく、この連絡網を見れば、クラスメイトの電話番号が分かるというわけである。
井崎恵子の欄を見て、その番号をかける。
六回目のコールで、ガチャッと相手が出た。
中身が「四十代中年」のマサトは、こういう時にも冷静だが、やはり、ちょっとはドキドキする。
もっとも、仮に「ケイコの父親が出る」というベタな展開となっても、今のマサトなら、サラリーマン流の交渉術で、上手に切り抜けられる気がする。
「はい、井崎です」
事務的な口調。マサトは、
「あの、済みません、私、中学の三年B組の鈴坂と申しますが、そちらにケイコさんは……」
「あたしだよ。声で分かるだろ。何が、そちらにだよ」
「いや、お母さんという可能性も……」
「――ケイコの母でございますう。いつも、ケイコがお世話になっておりますう」
ふざけるケイコに、マサトはブッと吹き出す。実は、それ以前から、「この声は恐らくケイコだな」と気づいていた。
同時に、暖かいものが、マサトの胸の中へ流れ込んでくる。
夏休み中であり、もう三週間以上会っていない。久々の会話ということで、ケイコもテンションが上がっているようだ。
それがうれしいし、さらに、それを隠そうとしないケイコの素直さもうれしい。
何より、ケイコの声が聞けたことが幸せだ。
互いの笑いが落ち着いたら、マサトは、
「いきなり電話して、ごめん。今、電話、大丈夫?」
「誰か、聞いてないかってこと?」
「ああ。御家族がそばにいたら、うるさくないかな、というのもあるでしょ」
「平気じゃないのかなあ。自分の部屋の前だからさ」
「へえ、電話と近いんだ?」
「コードレスホンなんだよ。あたしの部屋の前に子機があるの」
「ああ、なるほど」
「うち、農家だからさ。家がやたら広いの。電話、一台じゃ足りなくて」
「鳴っても、聞こえない?」
「――それと、鳴ってから、取ろうとして走っても、間に合わない。ああー、切れちゃったーって」
と、ケイコの声が笑った。
マサトも小さく笑い、
「それで子機を……」
「そう。あとね、お父さんとお母さんは、農作業でしょっちゅう家を出てるから、今、家の中に誰がいるのか、はっきり分からないの。だから、とにかく、電話は、鳴った時に近くの人が取るというルールになってて」
「そういうことか」
受話器を持ったマサトがうなずく。
数秒の沈黙。
ケイコが、息を吸い込む音。
(ああ……話題が変わっちゃう)
もう少し、気楽な雑談を続けたいところだけれど、そうもいかないようである。
「――で、どうしたの、突然、電話してきて」
ケイコの声音が、やや固くなっている。
(やはり、聞かれるか。そりゃそうだわな)
何しろ、ケイコと電話でしゃべること自体、初めてなのだ。
マサトは、あらかじめ考えておいた口実を述べる。
「暑中見舞い、届いたよ、って。ひまわりのイラスト、元気が出ました」
「暑中見舞い、って……。出したの、七月終わりだよ? 鈴坂君から返事も来たし。それだって、もう、だいぶ前でしょ」
ケイコが怪しむ。
「――」
こういう時、ケイコは、大きな黒い瞳で、まっすぐにマサトの目をのぞき込んでくるのだ。それで、大抵、マサトはウソをつき通せなくなってしまう。
今は、電話であり、ケイコの顔は見ないで済む。だが、これ以上ごまかすことに、マサト自身が耐えられそうもなかった。
「ごめん。おっしゃるとおり、暑中見舞いは口実です。だけどさ、これでも一生懸命考えた口実なんだよ。悪かった。か、勘弁してくれ」
素直過ぎるセリフが口からこぼれて、マサトは、自分でも戸惑う。
当然、ケイコはもっと戸惑っているはずだ。ケイコの声に、クッと音が入った。笑いそうで笑っていない感じか。
「何言ってんだか。――いいよ、本当の理由を鈴坂君が言ってくれたら、許す」
キッパリとした太い声。
タイムリープ初日、ケイコの着替えを見てしまったあの時、
「許す!」
責める女子たちから、マサトを守り、かばってくれた、あの一言と重なる。
にもかかわらず、まだウジウジとためらってしまうマサト。
「……結構重いぜ」
「重いのか。じゃあ、あたし、深呼吸するわ」
受話器から、スーッ、ハーッという息が聞こえてきた。
「……」
マサトは、なぜか涙が出そうだった。
ケイコの優しさ、発想の若さ、女の子にここまでさせてしまった己のふがいなさ、辺りが原因か。
「――さあ、心の準備、終わったよ。どうぞ」
もう、言うしかない。マサトは、飾らず、ストレートに、
「寂しくて。井崎さんの声が聞きたくなって」
ケイコは、即答した。怒ったような口調で。
「どこが重いんだよ! バカじゃないの?」
「バカ……?」
「最初からそうやって言えばいいじゃん。――あたしも同じだよ。鈴坂君の声、聞けてうれしい」
途中から、静かな話し方になった。声が低いので、まるで時代劇などの「姉御」のようで、渋い。
マサトはホッとした。
「本当か!」
「うん」
正直なところ、ケイコのことは好きだが、この電話の動機は不純だ。
タダシの一件で疲れ切り、半ば現実逃避的に、身近な・同レベルの女の子を欲した、というのが本音に近い。
つまり、マサトの庶民的な素朴さを利用している最相家と、やっていることは大して変わらないのだ。
だが、それについていちいち悩むことも、ないのかもしれない。
将来のことも頭をよぎるが、
(僕たち、まだ中学生じゃねえか。もっと、刹那的でもいいのかな)
と、マサトは気づく。
それこそが、青春をやり直すということなのではないだろうか。
考えてみれば。
一生付き合う人間など、ほとんどいない。
事実、この先、ケイコとも、高校か大学かは分からないが、どこかで疎遠になる可能性が高い。
でも、それが何だというのだ。
将来のことまでは分からない。けれど、今、一番会いたい人に会う。それでいいではないか。
「一回目」では、それをサボった。だからこそ、妖精に注意されたのではなかったか。
ケイコの、現時点の気持ちも聞けた。
もう、ためらわない。
「井崎さん、せっかくだから、夏休み中に一度会わない?」
マサトは、サクッと誘っていた。
【続く】
まだ、インターネットが普及してなかった頃。
作者の小学校では、「運動会を決行か、延期か」を生徒に連絡するために、とても原始的・アナログな方法が用いられていました。
それは、当日の朝、学校の屋上に旗を立てて、その色で伝えるというもの。
赤い旗なら決行、緑は延期、という具合。
当然、学校は家からは見えませんから、見える場所まで移動するわけ(笑)。団地の外とかね。
面倒でしたねえ。ただでさえ、朝は時間がないのにさ。
中学校では、「決行の場合は、朝7時に花火を打ち上げる」方式。
近隣に、ドンドンドンドン響き渡るの。でかいし、長いし。日曜日の朝にだよ?
今だったら、まあ、クレームの嵐でしょうな。
地域全体で地元の学校を支えるんだ、という機運があったとも言えそう。
でも、当時から、「うるせえなあ」とキレてた方々もいらっしゃったと思う。難しいですよね。




