60 二十三区内エントランスロビー付き住宅
次の日曜日。午前十時。
マサトは、リナと待ち合わせた。
場所は、中野駅である。リナの家の、最寄り駅だ。
黄色い電車に乗って、マサトは中野に、約束の時刻より十五分早く到着。
タイムリープしてくる前の「一回目」の人生も含め、休日に女の子と待ち合わせなど、初めてだ。しかも、本人の家へお邪魔するのである。
「一回目の三十代」の頃、婚活をしており、その期間だけは一応、女性と待ち合わせたことならば、あったけれど。
おしゃれ着も特には持っておらず、部屋を探し回り、無難そうな私服を引っ張り出した。
新品に近い水色のポロシャツ。下は、ジーンズよりはまだしも「よそ行き」っぽい、黒の長ズボン。
いずれも、多分、正月あたりに祖父母から買ってもらった物だが、記憶は「三十年」を隔てているため、よく覚えていない。
(しまったなー。せっかく、宝くじで当てた大金もあるんだから、高い服を買っておくんだったな)
後悔するマサト。
ケイコとの仲もさほど進展していないため、デートなどは当分先だと思っていたのだ。
まさか、降って湧いたように、別の相手と「リア充」イベントが発生するとは。
もっとも、余り浮かれた気持ちはない。
中身が「四十代」であるマサトは、たとえ美少女であろうとも、中学生と遊ぶことを楽しいとは思えないからだ。むしろ、自分に対する気持ち悪さや罪悪感を覚えてしまう。
「一回目」からの知り合いであり、恩義もあるケイコに対してすら、少しその自己嫌悪があるほどなのだ。
まして、「二回目」で初めて知り合ったリナには、なおさらである。
(まあ、今日の用件は、弟さんに会うことだしな。肩の力を抜こう)
中野駅の改札を出ながら、マサトは深呼吸をした。
出入り口付近で待つ。
やがて。
「鈴坂先輩!」
駅前の人ごみの中から、九時五十五分、リナが現れ、一旦、傘をたたんだ。駅舎の屋根の下、二人は並び立つ。
六月終わり。まだ梅雨であり、この日も、しとしとと雨が降っていた。
リナは髪を後ろで結んでいた。おしゃれというより、雨に濡れないためという感じだ。ヘアゴムも地味である。
私服姿はかわいかったが、いわゆるデートの装いには見えない。
上は、ブラウンのTシャツ。半袖の外側に、縦の折り目がくっきりと入っている。
下は、黒と白の、細かなタータン模様のズボン。裾が広く、スニーカーにかぶさっている。
上下とも、きっと、高価なブランド品なのだろう。だが、印象としては地味めだ。
リナ本人としても、多分、「今日は男の子と会うぞっ!」というテンションでは、この服を選んでいないはずだ。ドライな用事という位置づけであろう。
もとをたどれば、マサトがリナに対してガツガツせず、「大人目線、おじさん目線」で接しているのが、いいのだと思う。この無害な態度こそ、リナから気に入られているに違いない。
互いに、軽いあいさつを交わしたあと、リナは、
「じゃあ、早速行きますか。すぐ近くですから」
「すごい、駅前なのか」
思わず、感嘆の声がもれる。
リナが、不思議そうにフフッと笑って、
「何がすごいんですか?」
「地価が高いんだよ。しかも東京二十三区内でしょ。坪単価がね」
リナは傘を開きつつ、
「なんか、鈴坂先輩、時々、言ってることがおじさんみたい」
リナの皮肉に、
(済まんのう。そりゃあ、本当は四十五歳ですから)
心の中でそう答えてから、苦笑してマサトも傘を差した。
雨模様とはいえ、休日である。
人通りも、全体的にお出かけの雰囲気だ。
徒歩五分ほどで、見上げるようなマンションに着いた。
「まさか、ここ?」
「そうですけど? まさか、って……。先輩、大げさ!」
と、吹き出すリナ。
「いや、いや。全然、大げさじゃない」
かぶりを振って、マサトはため息をついた。
銀色の外観。窓は、各階とも横一直線につながっており、太い線みたいに見えた。
低層階は店舗になっているのか、白く出っ張っている。
頭上に差した傘を、かすかに後ろへずらして、建物を仰ぐ。
「タワマンだね。すごいな」
「タワマンって何ですか?」
リナが聞き返してきた。
(……あっ、この時代には、まだない言葉だっけ? ――まあ、いいか。単なる略称だし)
マサトは、隠さずに説明してしまう。
「タワーマンションの略」
「へえー。けど、タワーって言うには、低いんじゃ?」
子供らしい、素直な感想が返ってきた。きっと、東京タワーとかサンシャインビルなどと比べて言っているのだろう。ほほえましい。
「でも、相当なもんだろう? 十五階じゃ利かないよね。もっとか?」
「二十六階建て」
淡々と、リナが即答した。
「ひゃー。高い! 最相さんちは何階?」
「二十一階です」
「そうかあ。高層階ほど、高級って言うよね」
「どうなんですかね」
リナの口調が、そっけなくなってくる。この話題に、飽きてきたのかもしれない。
(タワマンは知らなくても、億ションなら知ってるかな?)
と思ったが、ウザがられるかもしれないので、黙っておくことにした。
庶民のマサトには新鮮で、興奮の連続だが。何しろ、自分は言うに及ばず、親類、友人にも、こんな高級マンションに住む者はいないのだ。
もう一言だけ、聞いてみる。
「眺めとか、最高でしょ?」
「うん。まあ、それは」
やはり、短い返事。
首を縦に振り、リナは傘をたたんで水滴をはらう。入り口に着いたのだ。
リナの、色白の細い腕が、傘の赤と並んで、コントラストがきれいだった。普段の秋月塾では、長袖のブレザー姿なので、見えない部分だ。
入ると、高い天井、豪華なシャンデリアが迎えた。ソファーやテーブルが並んだ広い部屋だった。受付まである。応接室と呼ぶには、立派過ぎる。談笑する人々。
「いきなり居住エリアじゃないんだな」
いちいち驚くマサトに、今度はリナも破顔して、
「珍しいスか? エントランスロビーです。マンションに来たお客さんを、一旦、ここで出迎えるんですよ」
「ホテルかよ……」
マサトには別世界だ。
それから、モニター付きインターホン、オートロックの入り口をくぐる。ここから先が、住人だけの区域。エレベーターで二十一階へ。
通路に並ぶドアの一つに、「2104 SAISHO」の表札。銀色のプレートだ。
「着きましたよ。ここです」
鍵を回すリナの後ろ姿が、やけに頼もしく見えた。
いよいよ、リナの住む最相家の部屋に入る。
ドアをあけると、玄関ホールも広く、床には大きな石がはめ込まれ、つやつやだった。大理石だろうか。
「いらっしゃい。リナが秋月塾でお世話になってる、鈴坂先輩ですね。リナから話は聞いてます。今日はようこそ」
と、リナの母親が出迎えた。リナに似て、美人であった。背は、リナより頭ひとつ分、高い。
ウェーブのかかった、ボリュームのある長髪。お化粧だろうか、上品な甘い香りもした。ロングワンピースに、ガウンを羽織っている。
我ながらキモいと思ったが、一瞬だけ、二人のバストサイズを見比べてしまった。
リナは、Tシャツ越しでも余りふくらんでいない。母親の方は、くっきりと胸が盛り上がっていた。
恐らく、年齢は四十歳に届くか届かないかの辺りだろう。
マサトの「中身」の年齢と近いし、
(もし、一緒に食事とか行くなら、リナさんよりも、こちらのお母様の方だなあ)
そんな馬鹿げたことを考えつつ、しばし見とれてしまった。
短いあいさつが済んだら、早速、リナに案内され、奥へ通される。そこが、リナの弟の部屋だという。
リビングらしき、ひと続きの部屋を横切る。
外は雨なのに、室内が明るいのは、どこまでも伸びている巨大な窓のためだろう。ガラスが横に長く、区切りがないのだ。
家具と内装の調和も、シンプルで美しい。
一方、リナの弟の部屋に入ると、中は対照的で、散らかっていた。
高さの違う段に、電子キーボードが四台も置かれている。床には、エフェクターやミキサー、アンプなどの音響機器。それらをつなぐケーブル。相当な音楽好きのようだ。
部屋の中央には、小学生の男子が一人、かしこまって立っていた。
リナが、その少年を片手で示し、
「弟のタダシです」
と紹介する。
「――」
心臓が、マサトの胸の中でドクッと跳ね上がった。
驚きの余り、すんでのところで、叫び出しそうになったが、
「……ぐっ!」
歯を食いしばり、ギリギリでこらえた。
(うおおっ! タダイションだ! こんな所で会うなんて、ウソだろ……)
何ということか……。まだ、あどけないが、見覚えのある顔だったのである。
タイムリープする前、「一回目」の人生で、非常によく知っていた人物だ。
面識はなかった。マスコミを通じて知った有名人。
最相直史。未来の大スターである。
今から約「八年後」、天才シンガーソングライターとして、「タダイション」の芸名でデビューし、一大ブームを巻き起こすこととなる。
【続く】
リナママにときめいちゃうマサト、切ないけど、でも、これが実態なんだと思う。
青春を懐かしむ・やり直すことと、今さら少女と交際することとは、イコールにはならないですよね。きっと。
リナの実家をどこにしようか、白金とか田園調布とか青葉台など、いかにもな高級住宅街も考えたのですが、ちょっと描写に自信もなく……(行ったことすらないですし・苦笑)。
中野に落ち着きました。
戸建てにすると、マサトの実家とかぶっちゃいますから、じゃあタワマンにするかと。
そうしたら、結構、場所が限られてしまうのですよ。
なぜなら、規制緩和でタワマン建設が急に増えたのは、1999年頃からなので。
物語の舞台はそれより前であり、(小説本文にも出ているとおり)当時はタワマンという言葉も一般的じゃなかった。
で、調べると、その時代に既にタワマンがあって、しかも総武線「黄色い電車」沿線となると、実は中野ぐらいしか出てこなかったりもするのです。




