57 座卓に集って畳敷きで
数学教師の沢村が教えてくれたのは、個人が経営する数学教室であった。名を、秋月塾といった。
マサトの家から、電車で三駅の場所にある。東京方面とは反対の、千葉駅寄りだ。マンションの一室。
経営者・兼・先生の、自宅を使っている。
主に口コミで生徒を募集しており、特に宣伝はしていない。
マサトは、親に話す時、「高校へ行った先輩から、うわさで評判を聞いた」とウソをついた。
次の土曜日に、父親と二人で見学へ行き、一週間後、正式に入塾となった。
中学から帰宅し、そのあと、改めて塾へ行く。月曜と水曜、午後六時半から八時。
先生は、塾の名のとおり、名字を秋月といい、四十代後半ぐらい。やせた物静かな男性だ。
博士(理学)の資格を持ち、大学の研究室で非常勤研究員として働く傍ら、自宅で数学を教えている。
沢村先生の出身大学の、後輩だそうである。
「数学の能力もさることながら、とにかく、教え方が滅法うまい」とは沢村の評。
実際に習ってみると、まさにそのとおりであった。
マサトがどこでつまずいているのかを即座に発見し、覚えるべき公式・解くべき練習問題を厳選してくれた。口頭の解説も、分かりやすい。
マサトは、
(ここまで良質な先生が、こんな、小ぢんまりした塾にとどまっているのは、変だ。月謝だって、高めだけど、法外な値段でもないし。恐らく、外部からの入塾は受け付けておらず、一見さんお断りなのでは?)
と推測した。
すなわち、マサトの加入に関しては、裏で沢村が口添えをしてくれたのではないか、ということである。
秘密にすると約束した以上、真相は確かめようがない。だが、「元・社会人中年」の直感としては、そうとしか思えぬ。
(多分、非常勤研究員だけでは食えないので、塾も開いたけど、数学者としてのプライドもあって、折り合いをつけてるんだろうなあ。塾での収入が、研究員の給料を超えないように抑えてるとか、一人一人にちゃんと教えられる以上の生徒数は採らないとか……)
この辺が、当たらずといえども遠からずのところではないだろうか。
秋月塾のクラスは、合計八人であった。男女混合。
中学三年生が、マサト含め五人。他に、中学二年生が三人。
広めの四角い部屋。真ん中に、脚の低い、大きなテーブル。座卓と言った方が適切であろうか。天板は長方形。
生徒は、畳の上に直接座り、勉強をする。秋月先生は、一人一人のそばへ順番に回り、指導をしていく。
各人、内容や進度はバラバラだ。教材は、秋月が自作したテキストである。原稿はパソコン、ワープロ、手書きを組み合わせて作成し、個人で印刷屋へ発注したという。
レイアウトには素人感・手作り感こそあるものの、タイムリープ前も含め、今までマサトが見てきたどの参考書よりも、分かりやすい。
ある時、マサトが、
「このテキスト、もし市販したら、相当、売れるんじゃないですかね」
と冗談めかしたら、生徒一同はどっと笑い、口々に賛同した。
それを聞いた秋月は、うれしそうではあったけれど、力なく笑い、
「私がそばで直接教えながら使わないと、不安になっちゃうんですよね。たまにだけど、誤字脱字やミスも見つかるから。それとね、このテキストの中には、大学の数学科で初めて出てくる公式とか、私が研究室で実験中の不完全な解法も混ざってるのね。もちろん、中学数学の範囲なら、支障なく解けるんですけどね。……だからね、このテキストは、なるべく学校とかには持って行かないでもらえると助かるかな」
秋月先生のこの言いつけは、皆が守っているようであった。無論、マサトもそうした。
なお、生徒たちは、皆、別々の学校へ通っており、ここ秋月塾で知り合ったようだ。
マサトは新参者であり、余計な詮索はしなかったが、漏れ聞こえる雑談などの範囲では、そのように推定された。
何となく、普段の友人関係とこの場所とが、明確に切り離されている様子なのだ。
それにしても、だ。
マサトは考え込んでしまう。
中学の沢村先生に取り入って、もぐり込めた秋月塾は、予想以上に閉鎖された、ある意味、ちょっと醜悪と言えなくもない世界であった。
(タイムリープしてくる前の日本では、『上級国民』という嫌な言い方もあったけど、なーんか、それに近い、不健全な空気を感じてしまうよなあ)
数回、秋月塾に通った段階での、マサトの率直な感想であった。
つまり、
(決して当人に素晴らしい才能があるわけじゃなくて、一般には出回りにくい席順表を、特定の集団だけ、内輪で共有してる感じというか。いやらしいよなー)
別に、今さら、いい人ぶる気はない。
マサト自身、タイムリープによって得られた「プラス三十年の人生経験」を武器にしている。これだって、卑怯といえば卑怯であろう。
ただし。
(……好きでタイムリープしたわけじゃないけど――)
当初、マサトが望んでいたのは、「一回目」と同レベルの中小企業の正社員として、「現在」へと戻ってくることだったはずである。
甘い汁を吸うことに対して、拒否できるほどの善良さはないとしても、少なくとも、鈍感にはなりたくない。欲をかいて、自分を見失うのは嫌だ。
だが、今はいずれにせよ、
(とりあえず、目先の勉強に集中するのが得策か)
と、マサトは結論づけるのだった。
さて。
秋月塾におけるマサトの学習は、順調に進んだものの、一つだけ、困ったことがあった。
当初、マサトは、部屋の隅に空いていたスペースに座ることとなり、結局、そこが定位置となった。
その向かいには、一学年下の女子がいた。東京の名門私立女子校の、中学ニ年生である。
下ろした長髪で、ほっそりした体型。顔立ちは美しいが、どちらかというと派手な、ギャルと呼べそうな雰囲気の少女だ。
名前は、リナといった。
リナは、学校帰りに秋月塾に寄るのだが、毎回、黒いブレザーの制服姿であった。
顔を合わせるたびに、
「鈴坂先輩、今日も頑張りましょー」
などと、気さくに話しかけてくれる。
まあ、それはいいのだが、
「――」
畳に直接座っている状態なのに、リナは無防備にあぐらをかいたり、膝を立てたりしてくる。問題は、ここであった。
リナの制服は、タータンチェックのスカートで、丈が短いため、かなりの頻度で、中が見えてしまうのだ。
その上……。
ブルマーなどは履いておらず、いつもスカートの中は、薄手の下着一枚なのであった。
【続く】
秋月先生は、那須正幹先生の(かの『ズッコケ三人組』シリーズの作者です)、「お江戸の百太郎」から拝借しました。
児童書で、時代劇・少年探偵物です。
面白くて、当時、何度も読み返しました。
地の語りの文は、ですます調。
江戸風俗の解説もあって、おもちゃの弓矢を射るゲームでは、うろ覚えですけど、「わざと女性従業員のお尻を狙う客もいました。そういう、ちょっとエッチないたずらをする場所でもあったのです。」などと、大人向けのものもあってね(笑)。
子供に対しても、保護者・大人に対しても。
読者や世間を、作り手が信頼してる感じが良かったですね。
で、新キャラ登場。リナちゃん。
作者的に、ここいらで美少女を出して一発テコ入れを……というのも無いでは無いが(笑)、実は、リナは、物語完結に関わるキーパーソンでもあったりするのです。




