56 民間サラリーマン VS ベテラン教員
マサトの胸の中で、たくらみが芽生える。
(沢村先生と二人きりで話せるなんて、貴重なチャンスなんだから、生かさない手はないわな)
人を呼び出して、サシで話すのは難しい。有能な相手は特にだ。
また、相談事は、その道のプロに尋ねるのが効率的だ。
以上のことは、かつてのサラリーマン生活で得た教訓である。
マサトは口を開く。
「沢村先生、その件に関してなんですが、何かアドバイスといいますか、いい方法はありませんか?」
「あん? どういうことだ?」
「数学を効率的に学習できる優れた教材とか、教えるのがうまい予備校とか、沢村先生は御存じではありませんか?」
マサトは、具体的に質問した。
ただ漠然と勉強法を聞いても、きっと、普通の答えしか返ってこないだろうと予想したからだ。例えば、「分からない箇所までさかのぼって、基礎から復習し直せ」など。
聞きたいのは、そんなありきたりな助言ではない。欲しいのは、沢村が公立校の数学教師として持っている、独自の情報や人脈なのだ。
「むっ……」
黒板を背にして立つ沢村は、明らかに面食らっていた。
マサトのしゃべり方が、中学生離れしていたからだろう。もしかすると、マサトの目つきも、獲物を狙う蛇のような、いやらしさを発していたかもしれぬ。
小太りの沢村は、白髪頭を片手でバリバリとかいて、
「何を言い出すかと思えば……。問題練習なんて、何を使ってでも、出来るだろ。学問に王道はない。コツコツやりなさい」
ワイシャツの上に着ている、グレーのベストの、ズレを直す沢村。
(あっ、何か隠してる! 心当たりがあるんだな)
マサトは看破した。
沢村先生の態度が、急に気まずそうに、ぎこちなくなったのを、見逃さなかった。マサトの「中身」は、民間で駆け引きをしてきた、経験豊富なサラリーマンなのである。
そこで、間髪を入れずに、マサトは切り返す。
「指導者なんて、誰でも同じだとおっしゃる?」
「えっ。そうは言っておらんよ。というか、何? 何の話だよ」
「いつも、僕がお見受けしている限り、沢村先生は、ほかの先生とは一線を画した、独自の指導法を実践されていますよね」
「んなことはねえよ」
沢村は、伝法な口調で否定したが、どこか、わざとらしい。マサトの魂胆を、警戒しているのだろう。
一方では、かすかに、口もとがほころんでいた。自尊心がくすぐられている証拠だ。
(しめたぞ!)
マサトは、そこを集中的に攻める。
「今日の授業の時も、よそのクラスの成海君が入ってきて、秩序が乱されそうでしたけど、沢村先生は見事なお手並みで解決されましたよね。しかも、僕も含めて、全員の顔を立てたではありませんか」
「それがどうしたの」
無表情で、沢村が問う。話の流れを慎重に追っているようだ。
マサトは、ヨイショも交えつつ、トークを展開する。「一回目」の人生で、労働組合の幹部をやった時、経営陣と、こんなふうに交渉したものだった。あの経験が生きている。
「ルールはルールとして、自分なりの創意工夫も付け加える。で、最後は自分の裁量において責任を取る。沢村先生の哲学といいますか、そのような取り組み姿勢があるからこそ、今、この補習の場ができた」
「――」
ついに、沢村は口を挟むのをやめた。
マサトの、もう一押し。
「で、僕に対する今の御忠告に至るわけでしょう。数学の理解度の低下。沢村先生のおっしゃるとおりです」
ここで、あえて話を中断し、ハーッと長めに息を吸い込む。
(さて、そろそろ、トドメだな)
沢村と視線を合わせ、深くうなずいてから、マサトは続ける。
「この御忠告も、普段の授業では言えなかったはず。恐らく、この補習の機会があったからこそ、告げることが出来たのだと思うのですよ」
「……まあ、かもな」
小声だが、沢村が初めて肯定した。
「でしょう。ならば、せっかく、そういう貴重なやり取りができたのです。沢村先生、さらに、もう一歩、踏み込んではいただけないものでしょうか?」
「踏み込む、とは?」
「独自の教育方針を模索し続ける沢村先生です。きっと、様々な勉強方法を御存じのはず。新聞にも、本にも載ってない、テレビでもやってないような」
「――」
持ち上げたあとは、自分を下げて、低姿勢で。
「厚かましいのは分かってます。本当は、先ほどの御忠告をいただけただけで、感謝すべきです。でも、僕の人生が懸かっておるのですよ。甘ったれは百も承知の上で、沢村先生がお持ちの情報などを、何か一つ、一つだけでも、おすそ分けいただけないでしょうか?」
沢村は、一瞬、おびえたような表情をのぞかせた。顔をしかめたので、しわが強調され、沢村が老人のように見えた。マサトの中にひそむ怪物に、気づいたのだろうか。
とはいっても、マサトはしょせん、平凡な元・中年サラリーマンにすぎないのだが。しかし、外見は、学ラン姿の十五歳の少年なのだ。十分に「怪物」たり得るだろう。
沢村は、身を預けるように、教卓に寄りかかり、前のめりにマサトの方へ顔を突き出してきた。床から、ガタッと音が響いた。
少しギクッとするマサトだったが、ひるまない。
(ああ、主導権を握りたいのだな)
そう悟ったからだ。
沢村は苦笑を浮かべて、
「……お前、本当に中学生か?」
「生意気でしたら、謝ります。ただ、僕も必死なんですよ。必死に考えてるうちに、一時的に、頭のレベルが上がったのかもしれません」
「そうか。まあ、成長期だもんなあ」
「口ばかり達者で、中身が伴ってないかもしれませんが」
「フッ、そんなこともねえだろうさ。鈴坂の言いたいことは分かるよ」
マサトがへりくだると、やんわりと沢村がフォローしてくれた。
沢村は、姿勢をまっすぐに戻す。
一応、沢村の中で、つじつまは合ったようだ。
(ほっ)
胸をなでおろすマサト。
(……よし、ここまで来たら、殺し文句を言おう)
マサトも姿勢を正して、
「僕も、沢村先生の側の人間になりたいんですよ」
「俺の側?」
「はい。周りに流されず、自分の頭で考えて、積極的に未来を切り開いていきたいんです。沢村先生のように」
沢村の目を、まっすぐ見上げる。
多少、カッコ良く言い過ぎはしたけれど、マサトの本心に近かった。
ちょっとワクワクしている自分が、新鮮でもあった。
タイムリープ前に妖精から言われた、
「もっと楽しそうに生きたらいいじゃないですか」
の一言が、不意に頭をよぎる。
沈黙を、外の雨音が埋めた。
タイミング良くというか、雨は強まり、音が大きくなった。
沢村が、周囲をきょろきょろ見回したあと、声をひそめ、
「俺から聞いたということを、絶対に秘密に出来るか?」
「はい」
「そうか。じゃあ……」
と、マサトから目をそらし、ぼそっと沢村が続ける。
「……今から俺が言う住所と名前をメモしろ。いいか、一度しか言わんぞ」
【続く】
成人の日ですね。
作者の成人式は、横浜アリーナでした。
最後に、余り有名じゃないロックバンドのコンサートがありましてね。
半数ぐらいの新成人はゾロゾロと席を立ってしまったけれど、私は全部見たの。結構良かったし。
それから15年後くらいでしょうか。
とある年の、成人の日。
ふと、あのバンドはどうしてるかなあと、ググってみました。
私はさほど音楽ファンというわけではなくて、音楽・歌の情報は、マスコミや有力サイトから得る程度の興味関心しかなかったのですが。
少なくともその範囲では、このバンド名を耳にしたことは、成人式以来、一度もありませんでした。
ひょっとして、とっくに解散してるかしら?
そうしたら、継続していました。
しかも、その日更新されたブログで、
「15年ほど前の今日、横浜アリーナで歌ったよなあ。思えば、あれがたった一回の大きな会場だったね」
などと懐かしんでいたんです。
その素直さ、明るさに、私は泣きそうになっちゃった。
その頃、ある災害の影響が長引いていて、私はちょっと疲れていたのだけど、ああそうか、私も、手に入れてきた幸せをちゃんと覚えておかなきゃって。
年明け早々、災害や事故、事件が続いていますが、無関心にも前のめりにもならずに、今まで築いてきた自分なりの人脈や影響力を、適切に使っていこうと思っています。




