54 パンダエプロン
ケイコの机は、教室の一番後ろの列である。
席から立たずに、椅子の背もたれを後方へ傾けるケイコ。椅子の、四本の脚のうち、前二本が床から離れる。
(オイオイ、女の子が、そんなに股を開くなよ……)
座ったままガバッと股を広げるケイコを見て、マサトはギョッとする。
紺色セーラー服のスカートは長いので、裾は両の膝小僧に引っかかって、それ以上、後退はしなかったけれど。
もしもミニスカートだったら、中が丸見えになっていただろう。お行儀のいい体勢とは言えぬ。
教室の後ろの壁には、生徒のロッカーがある。真四角に仕切られた、ふた無しのタイプ。
ケイコは、椅子を後ろへ傾けた状態で、上半身をぐるりとひねり、自分のロッカーから、白いきんちゃく袋を引っ張り出す。
(まったく。横着するなよなー。ちゃんと、椅子から下りて、取れよ……)
半ば呆然と立っているマサトが、内心でツッコミを入れているうちに、ケイコはこちらへ向き直り、ガタンと椅子を元に戻す。
おかっぱ頭の黒髪が、跳ね上がって、パサッと戻る。
ケイコと一瞬だけ視線が合ったので、我に返ったマサトは、
「――いや、あのさ、御親切は有り難いんだけど、女子のエプ――って、聞いてる?」
うつむいたケイコは、大きめのきんちゃく袋を机に載せ、中をまさぐっている。マサトの戸惑いなど、お構いなしだ。
すぐさま、たたまれた布を取り出した。色は水色だ。恐らくエプロンだろう。
マサトは息を整えて、ゆっくり、はっきりと言い直す。
男子としては、言っておかねばならない点がある。女の子の服を、なし崩しに借りるのは、良くない気がする。
「男が、女子のエプロンを借りるのは、ちょっとまずいだろ」
ケイコは、顔を上げて、こともなげに、
「なんで? だって、制服の上に付けるんだよ? 何が問題なの?」
「――」
マサトの頭の中で、一瞬、良からぬ場面が浮かぶ。
夜中に、ケイコのエプロンを抱きしめて、部屋で荒い息を立てている自分だ。
本当に、こういうことを実行するかどうかは別にしても、である。男なら、冗談や漫画なども含めて、こういったシーンを知らぬ者はいまい。
(90年代の中三女子かあ。まだ、知らないんだろうなあ、このような世界があることを。いや、知ってて言ってる?)
長く考えている暇はないので、オブラートにくるんで聞いてみる。
「何、って。井崎さんは、抵抗、ないの?」
「別に?」
そう答えるよりも、エプロンを投げよこす方が早かった。
(わっ! 投げるなよな)
とっさに、マサトは両手を上げてキャッチする。青い布の、やわらかい手ざわり。
と同時に、
(頭、切り替えるか。空気を読もう。時間もないしな)
そのように判断して、
「――じゃあ、悪い、借りるわ。ありがとう。洗って返すから」
「いいよ、そのまま返してくれれば。家に、他のエプロンあるし、まとめて洗濯するよ」
「お前ら、夫婦漫才は、もういいよ」
男子生徒の田丸が、少し離れた席から茶々を入れる。「ヒューヒュー!」という冷やかしも飛んだ。
沢村が、太い人差し指でこめかみをコリコリとかいて、
「夫婦の意味、分かって言ってるのか、お前ら……」
苦笑して、たしなめる。
「へえ……」
マサトは、横目で密かに感心する。
女性差別意識が濃いめだったこの90年代に(何せ、まだ体操服のブルマーが普通に残っているほどの時代なのである)、セクハラ野次に加担しないとは。
(沢村先生って、意外と良識派だったんだな)
ちょっと見直した。
もっとも、このころのB組においては、マサトとケイコは「仲の良い二人」というふうに認知されており、からかわれても、サラッと受け流せるようにはなっていた。
実際のところは、タイムリープ初日から仲は大して進展しておらず、時々一緒に下校する程度の関係ではあったが。
ただ、これでさえ、マサトの「一回目」の中高生時代には、全くなかったことである。
マサトがエプロンを付けると、
「パンダかー」
正面に、大きなイラスト。顔のアップだ。いかにも、女子中学生っぽい。
「似合ってるぞ」
「そう、そう」
田丸のコメントに、ケイコも、きんちゃく袋を机の横に掛けながら、うなずいた。
沢村は、
「高安先生には、今から、俺が電話して、事情を説明しておいてやるよ」
高安は、家庭科の教師である。女性。
「済みません」
A組の成海が、頭を下げた。
成海と連れ立って、廊下へ出て、家庭科室へ向かう。
「そういや、卵は用意してあるの?」
廊下を早歩きしつつ、マサトが尋ねると、
「もちろん。買ってあるよ。肉じゃがの材料とは別個にね」
「用意周到なこって」
「ふへっへ」
横を歩く成海が、高い声で笑った。
家庭科室に着くと、A組の生徒たちの拍手に出迎えられた。
縦長の、広い室内。背もたれ無しの、丸椅子。各班のテーブルごとに、水道やガス台が備え付けられている。
笑い声と共に、
「うわっ、本当に来た!」
「オムレツが来た!」
「成海、でかしたっ!」
などと、適当なことを叫んで盛り上がっている。
見たところ、どうやら肉じゃがはほぼ作り終わって、みんなで「特使」の成海が戻るのを待っていたようだ。
高安先生が寄って来る。ラフなグレーのズボン姿。ミントグリーンのブラウスに、白いエプロン。後ろで結んだ髪、大きめサイズの眼鏡。
「済まんね、またオムレツ係だねえ」
「係、って」
マサトが笑う。
高安の年齢は、タイムリープ前のマサトよりも少々若い、アラフォー世代か。こちらも、沢村とは方向性こそ異なるものの、細かいことにこだわらない性格の教師だ。
「しかも、今日、数学の補習まで受けるんだってー? 今、沢村先生から電話があったけどさ」
「そうなんですよ」
「なーんか、申し訳ないわねえ」
高安は、唇をすぼめて、渋い顔。口紅の色は濃いめである。
マサトは、「サラリーマン時代」に覚えたソフトな話し方で、
「いえ、いえ。人から必要とされるのは、有り難いことですよ」
これ自体は、本音ではあった。
「聞いたか、お前ら。心して、感謝してオムレツ食べるんだぞー」
高安が呼びかけた。
家庭科室のあちこちから、「はーい」という歓声が上がる。
(はっはっはっは! かわいいなあ、こいつら)
生徒たちの若さ・あどけなさに、内心、笑いそうになるマサトであった。この時は、「四十五歳」のおじさん目線となっていた。
「じゃあ、いっちょ、やりますかねえ」
マサトは、前の方の、教師用の調理台に歩み寄って行く。
そこには、フライパンや、パック入りの卵が、既に準備されている。
拍手が起きた。
高安先生も、ほほえんで、指先で小さく手をたたいていた。
ふと、自分が付けたエプロンを見下ろすと、ケイコのパンダも笑っていた。
【続く】
女子としては、まだまだ無防備に・無邪気に振る舞いたい子供時代。
だけど、その時には既に、同世代男子の性的な興味は大人並み(もしかしたら大人以上)。
この非対称性・すれ違いは、今後も、青春物の小説・漫画等では、重要なテーマであり続けるのでしょうね。
学校や家庭での性教育・ジェンダー教育は大事だけれど、一方で、物語の果たす役割も、やっぱり大事だと思うのですよ。
ブルマーやセーラー服へのノスタルジア自体は、否定しません。
あとは、どこで線引きをするか。
その役を、主人公のマサトに託して。
令和から平成への、社会人タイムリーパーですから。
この作品で年越しとなりました。良いお年を。
来年も何とぞ、よろしくお願いいたします。




