53 粋なはからい・けじめ、帳尻合わせ
続く、沢村先生の言葉。
沢村は、マサトの「中身」の実年齢・四十五歳より、さらに年上であるだけに、油断はできない。タイムリープ分を足しても、なお、人生の長さで負けるのだ。
ただ、声音はソフトであったため、「元社会人」の直感で、
(まあ、シリアスな話ではないんだろうな)
と、瞬時にマサトは推測した。
そのとおりであった。
「今日の放課後に、補習を受けてもらうぞ。今、三時間目の途中だから――」
ここで、沢村は振り返り、教室前方の時計をちらりと見上げ、向き直りつつ、
「――あと、残り二十五分だから、放課後、二十五分間の補習を受けるなら、家庭科室に行ってもいいぞ」
(ああ、なるほどね)
マサトは納得する。
一応、筋の通った提案だとは言える。
「一対一で?」
「もちろんだ」
マサトの問いかけに、沢村がうなずく。
他に、気になる点としては、
「けど、沢村先生が残業になっちゃいますよね?」
余計な一言かもしれないけれど、「元サラリーマン」としては、言わずにおれない。
やはりというか、沢村は苦笑いを浮かべ、
「馬鹿。なーにが残業だ。生意気、言いおって。子供が余計な心配せんでよろしい」
またも、笑いが起きる。
マサトは、それ以上は逆らわず、頭を下げて、
「失礼しました。えー、補習、受けさせていただきます」
「よし! いいだろう。じゃあ行ってこいっ。うまいオムレツ、作ってこい」
ほほえんだ沢村が、教室の前側のドアを指差す。
誰か、男子が「頑張れー」と野次った。数人が笑う。二名ほど、拍手をする者も。
だが、沢村は、教育者として釘を刺すのも忘れない。
「……けどな、成海、一言、言っておくぞ」
「は、はい」
へらへらしていた成海の顔が、少しこわばる。
沢村が、珍しく真顔で、にらんでいた。普段とのギャップで、なおさら怖い。しばし、教室のざわめきも静まる。
「お前、今、B組で授業してるのが俺だと分かってたから来たんだろ? そうだよな?」
「そっ、それは……」
成海が、目をそらして、口ごもる。
「どうなんだ」
「……はい」
たたみ掛ける沢村に、成海はどう答えたらいいのか、困っている様子だ。
図星ではあるのだろうが、素直に認めるのは、沢村先生を「ナメてる」ことを白状するのと同じだ。
沢村は、少し表情を和らげ、
「今、ここで溝岩先生が授業してたら、来なかったよな?」
直球過ぎる例え話だった。
これは、言うまでもないだろう。溝岩は、皆に恐れられている教師なのだから。
成海は、顔を赤くして、ばつが悪そうに、
「そう……かもしれません」
やっと認めた。
沢村は、成海の肩にそっと手を置いて、静かに諭す。
沢村の手は大きかった。太っているせいもあろうが、それ以上に、手の甲に浮き出たしわと、ごつい指には迫力があった。
「そうやって、大人を見比べて、試して、値踏みするような真似をするんじゃない。無礼だぞ。世の中をナメるな」
「……済みませんでした」
成海の顔は、まだ笑っていたが、その笑みも、ほぼ消えかけていた。さすがに堪えた模様である。
沢村は、片手を成海の肩からどけて、今度は成海の頭に載せ、なでるように、軽くポンと叩いてから、元へ下ろす。
それから、マサトの方に視線を移し、次に教室を見回して、
「ただ、まあ、B組で鈴坂がオムレツ作ったってのは、いい話だし、A組にも食べてもらえば、みんな豊かな気持ちで、今日の残りの授業も受けられるだろうからな。学校は、教科書と黒板で勉強だけしてれば、いいわけじゃない。福利厚生とでも言うのかな、そういうのも大切だから。だから、今回に限って、許そう。ただし、次はないぞ。いいな」
「はい」
成海が、しおらしく会釈した。
(いや、いや。福利厚生ってのは、ちょっと違うんじゃね? そもそも、この言葉の意味、ちゃんと分かってる奴、今、このクラスに、ほぼいないんじゃね?)
そう思ったが、マサトは黙っておいた。
「じゃ、行きますかね」
と、マサトは、両足で椅子をギーッと後方へ動かし、席を立ち上がるが、
「あっ! だけど、エプロン、ないや。家に持って帰っちゃった」
と、思い出す。
B組の調理実習は先週であり、今週はないのだ。
「家庭科室の備品とかで、あったっけ?」
マサトがつぶやくと、
「あたし、あるけど」
教室の後ろから、女子が一人、申し出た。低い声。
「――」
マサトは振り返る。
声の主は、ケイコであった。
【続く】
溝岩先生については、第35話を御参照ください。
自分が相手から見くびられたと感じた際に、「誰々に対しても、同じこと言える?」ってのは決まり文句・決めゼリフですよね。
作者も言ったことがありますし、言われたこともあります。
昔、雑誌編集者から、締め切りギリギリに原稿を依頼された星新一も、「松本清張にも、同じ頼み方をするのかね」と言ったそうです。




