45 ルールを破る素敵さ・それでも守るカッコ良さ
マサトは、びっくりすると同時に、強い納得も覚え、しばし、妙な気分に包まれた。価値観が逆戻りして、後ろ向きに更新されたような感覚。
(そうだよ、そりゃそうだ! 僕は今、まだ中学生じゃねえか。ただの、義務教育中の子供。学校帰りに物を食うなんて、駄目に決まってんだろ! 何考えてんだ)
もはや、自分は中年男性でも社会人でもない。分かっているつもりで、つい、大人の意識で行動していた。
いや。
中学生に戻って、セーラー服の女の子と仲良くしている。そのことに浮かれて、緊張感を欠いてはいなかったか。
「……すっ、済まん。校則のこと、頭から抜けてたわ。そのとおりだよ。しかも、制服だし、こんな、学校の近くでさ。……じゃあ、アイスは、やめよう。ごめん」
それを聞いたケイコは、一目ではっきり分かるほど、あからさまにホッとした表情に変わり、フーッと息を吐き出して、
「よかった」
「えっ」
「鈴坂君が、不良になっちゃったかと思ったの」
「――」
「鈴坂君は、校則とか、ルールとか、ちゃんと守る人だって、いつも思ってたから」
(うわあ。アイタタタタ。痛えなあ……)
ズキン。
マサトの胸の奥が、針先で突かれたように、かなりしっかりと痛んだ。
「気を使わせてたんだね。本当に、ごめん」
すぐに、もう一度謝る。
「ううん」
ケイコが首を振り、セーラー服のスカーフを片手で触って、スウッと離した。スカーフの赤い先端が揺れた。
さっき、アイスを食べないかと、学校の廊下で誘った時、ケイコが異様に赤面していた理由も、ようやく合点がいった。
照れていたというのも、あろう。しかし、それに加え、「ルールを守る真面目な人」だったマサトが、校則違反の提案をしてきたことが、多分、ショックだったに違いない。
「……じゃあさ、代わりに、自動販売機でスポーツドリンクでも買おうか? せっかく、こうして二人で会ってるんだし、それぐらいならさ。どう?」
こうやって、即座に次の提案ができるのは、場数を踏んだ、元サラリーマンの強みだろう。悪いことばかりではないのだ。
「……うん!」
ケイコが、コクンとうなずいた。
二人が、酒屋前から離れようとした時だった。
目の前の自動ドアが、ガーッと開いて、上下、青い服を着た男性が出てきた。
「やっぱり! マサト君じゃないか!」
人懐っこい声で、男性はにこやかに話しかけてきた。
いかにも酒屋の店主といった感じの格好で、濃紺の前掛けをしていた。年は、四十歳を超えた程度だろう。タイムリープ前のマサトと同じくらいか。
「あっ、こんにちは」
反射的に、とりあえずあいさつをするマサト。またしても、「元社会人」の機転が利いた。
(ええと……)
その実、思い出すのに、さらに四秒もかかってしまったけれど、
(そうだった、そういえば、この酒屋の店長とは、一応、子供の頃、顔見知りだったな)
母親に連れられて買い物に来ているうちに、名前を覚えられていたのだ。幼児期には、かわいがってもらった記憶もある。
もっとも、中学生以降は、余り話していなかった気がする。
店長は、腕まくりした上着で、自分のひげに片手を持っていき、感慨深げに、
「大きくなったなあ。そっちの子、ガールフレンドかい? いつの間にか、マサト君も、彼女連れで歩くようになったんだなあ!」
店長に悪気はないのだろうけれど、
(ったく! セクハラだぜ、その発言。まあ、この時代の人に言っても、分からねえか)
あきれるマサトだったが、今すべき役割を果たす。
すなわち、自分が仲介し、ケイコと店長に対して、双方についての紹介を無難に済ませる。
この二人も、早速、打ち解けて、
「お嬢さんは、うちで買い物したことは、ない?」
ケイコは、
「たぶん。今言ったとおり、あたしの家、川の反対側の農家ですから。あっちはあっちで、別の商店街もあって。こっちは、ちょっと遠いの」
店長は、
「なるほどねえ。それで、自転車で通学してるってわけだ」
「そうです」
ここで、店長は、商売人の顔に戻り、
「アイス、見てたの? おひとつ、いかが? 新発売のもありますよ」
ケイコがマサトを見てきたので、
「ん。それも、ちょっと思ったんですけどね。でも、中学校、買い食い禁止なんですよ」
と、マサトが答えた。
店長は、「ふうむ」と思案してから、ふと、思いついたように手をポンとたたき、
「――じゃあ、中に入りなよ。今、ちょうど、お客さんいないから。レジの近くに、スペースがあるんだよ。そこで、隠れて食べちゃえば、分からないよ」
「えっ……」
予想外の提案に、マサトは驚く。
「ね、そうしなよ。荷物全部持って、自転車だけ、そこに停めてさ」
物分かりのいい顔で、店長がうなずいてくる。
横に立つケイコと、顔を見合わせる。
やはり、ケイコも驚いていた。ただ、喜んでいる気配はなく、どちらかというと迷惑そうだ。
(だよな)
たった今、子供同士で、結論を出したばかり。マサトも、数回、ケイコに謝ったのだ。今さら、大人に余計なことをしてほしくはない。
マサトとしても、実は、即座に「お断り一択」と腹は固まっていたのだ。
「ん? あれっ、嫌かな? 別に無理にとは……」
店長も、そこは商売人。雰囲気を敏感に察する。
ただ、マサトの「中身」は中年男性。
店長の気持ちも、それはそれで分かるのだ。十代の若者を応援し、いい思い出を作らせてあげたいということだろう。「粋なはからい」というやつを、したいわけだ。
(そういうのも、分かりますよ。とても分かります。分かるんだけど)
「中年男性」同士、感謝を込めた一言を――。
マサトは口を開く。
「ありがとうございます。それを実行したら、きっと忘れられない思い出になりますよね。あの時、かねくらという酒屋さんで、店長さんのはからいで、特別にアイス食べたよねって、大人になっても懐かしむんでしょうね」
考え考え、続きを述べる。
「……でも、店長さんは、幼い頃からの僕を御存じです。中学生になって、僕も徐々に、校則とか、社会のルールの中に生きるようになりました。ルールの内側でも、人は楽しむことが出来るのだと思います。そして、僕を育てた景色の中では、そういう姿こそ見せていきたい気がします」
言いながら、
(ちょっとクサいかなあ)
と自分でも思わなくもなかったが、こういう気取った表現の方が、角が立たないはずである。
マサトの言葉に、店長は、うなり、せき払いをした。それは、一旦は茶化そうとして、やめることに決めたサインであろうか。社会人としての良心を、思い出したのかもしれない。
最後に、大きくうなずいて、
「立派になったね、マサト君。うん、そのとおりですね」
気持ちのいい笑みだった。
マサトは、
「その代わりと言ってはナンですが、スポーツドリンク、ありませんか? 後で飲もうと思って。スポーツドリンクなら、下校途中の水分補給ってことで、理屈は通ると思うんです」
自動販売機で買う予定だったが、変更。相手の顔を立てることにもなる。
ひそかにケイコを見たら、目が合って、小さくうなずいていた。
「――もちろん、あるとも! かねくらは、大抵のソフトドリンクもそろっております。どうぞ、中へお入りください」
店長は、今度は声を立てて晴れやかに笑う。つられて、ケイコもふふっと笑った。
【続く】
今回の話は、案が二転三転しながら、本文の感じに落ち着きました。
・校則違反にマサトが気づき、「ごめん、アイスは撤回でいい? 地味だけど、スポドリに変更で」と告げる
・校則違反にケイコが気づく(以下同じ)。酒屋から立ち去る
・酒屋の店長の提案を受け入れて、店内でこっそりアイスを食べる
なろう的には、最後のやつが盛り上がった気もしますけどね。狭い場所で、女の子と体を寄せるようにアイスを食べたら、ドキドキしそうですし。
でも、ケイコの「マサト君は、ルールを守る人だと思ってた」のセリフを書いた時、ごく自然に、この場面はフッと消えたのでした。




