43 ヒロイン論は 子供が帰った後から
次のセリフがなかなか浮かばずに、マサトは首元へ手をやり、ネクタイを直そうとする。だが、ネクタイなど締めていない。
(おっと、つい、サラリーマン時代の癖が出ちまった)
代わりに、学ランの詰め襟のホックを留めて、また外す。
(こいつが、新たな癖になりそうだな。気まずくなって、数秒間のゆとりが欲しい時の……)
心の中で、小さく笑う。
ケイコの方も、時間かせぎをしたいのか、膝に絡まったスカートを、うつむいて指先でつまんで直している。
と、そこへ、童謡「夕焼小焼」のメロディーが響いた。キンキンと高い音。鐘とオルゴールの中間くらいだ。
町なかのスピーカーが流している。いわゆる、五時のチャイムである。
「子供は帰る時間か……」
マサトのつぶやきどおり、商店街の子供たちはバラバラと去ってゆく。まだ、周囲は明るいけれど、一つの区切りにはなる。
スマホ、携帯電話もない時代である。腕時計を持っている子供も一部だ。「夕焼小焼が鳴ったら家に帰ってきなさい」と、親と約束させられていた子供は多い。マサトも、小学校低学年の頃はそうであった。
「あたしらも子供だけどねえ」
ケイコが笑う。
つぶやきを聞き流されなかったので、マサトはホッとした。気まずさを解消することに、積極的に協力してくれたことがうれしい。
「そうだね」
と、マサトも笑い、
「まあ、僕らは今、ようやく待ち合わせ時刻なわけだから、もうちょっと遊んでもいいよね」
「ここからは、ちょっと大人の時間?」
言ってしまってから、ケイコは地面に目を落とす。大胆過ぎたと思ったか。
マサトも、とっさにはフォローできず、少し沈黙を作ってしまう。
(まずい。何て返そう? ……あっ、そうだ)
やっと、話題が思い浮かぶ。
「――井崎さんは、門限とかってあるの?」
ケイコが、安堵したように顔を上げて、
「何時までとかは、ないけど。暗くなる前に帰っておいでね、って。一応、女の子だからね」
「一応って何よ」
マサトがツッコむと、
「男っぽいじゃん」
「誰が?」
「あたしが、だよ。鈴坂君、白々しいよ」
ケイコがふくれて、軽くにらんでくる。が、自分でやっていて恥ずかしくなったのか、プウッと息を吹いて、口のふくらみを解いた。
マサトはキュンとなり、
(うわあ、今の、かわいかったなあ!)
この表情がきっちりとキマるのは、まさに中学生の今だけだろう。それを、タイムリープという「インチキ」をしているとはいえ、中学生という「同じ立場」で、そばで見られたことが幸せだった。
ただし、「今の、かわいかったぜ」などと口に出すのも、それはそれで軽薄に思えた。
(何しろ、僕が生きていた未来・令和の時代は、女の子らしさどころか、ジェンダーフリー、LGBTの世界だからなあ……)
それで世の中が、無条件に良くなったとは思わない。
功罪あるのだとしても、だ。
「社会人」として、世間から浮かないように、それなりに真面目に考え続けてきたと自負している。
そんな自分が、二度目の青春で、長年の人生経験を通じて、ケイコに告げるべきこととは、何だろうか。
「男だからこうだとか、女だからこうだとか、そういうのは、古い価値観だと思うけどね。今後、減っていくんじゃねえの」
「うーん……」
ケイコは首をかしげる。
マサトは、
「納得できない?」
ケイコの苦笑いは、優しさを含んでいた。今から反論するけれど、別にマサトを責めたいわけではないんだよ、ということか。
「おまえ、男みたいだ、とか、ずっと言われ続けてきた身としてはね。男の子って、やっぱり、やせてて、おしとやかな女の子が好きじゃん」
「なんで、そう思うの?」
「漫画とかドラマとか。そういう子ばっかりでしょ。あたし、声も低いしさ。私は、求められてないんだよ。別枠というかさ。世の中に入っていけない感、分かるかなー」
マサトは、学ランの中に着たシャツの、首の下辺りをつまんで、空気を取り込むように、パタパタと前後に振りながら、
「それは、そっちの方が、ストーリーを進める上で、都合がいいからじゃないの?」
「どういうこと?」
「ヒロインが弱くて上品であれば、主人公の男がちょっと荒っぽいだけで目立てるから。お話を簡単に作れるわけ」
「ああ、そういう意味か」
ケイコが賛同する気配を示したので、マサトは勢いづく。
(普段から思ってること、今、言っちゃうか)
マサトの内部で、何だか、スイッチが入る。
マサトをタイムリープへと誘い込んだ、あの妖精の顔が、ふと浮かんだ。
「で、ここからが重要なんだけどさ」
と前置きする。少々、持論を展開してみたい。
ケイコは黙ってうなずき、聞いてますよの姿勢を見せる。
「ほとんどの男は、小中学生の頃、ガールフレンドも彼女もいないわけ」
「だろうね。で?」
「じゃあ、女の子への憧れを、どこで昇華するのか。ズバリそれは、フィクションの世界でしょう。まさしく、漫画とか、ドラマとかだよね」
「ははーん」
ケイコが、いたずらっぽくニヤリとした。さっきの苦笑とは、明らかに違う。話が見えてきたようだ。
短く、ケイコが口を挟む。
「そういうのを見て育った人は……」
マサトは感激した。話を、真面目に聞いてくれていることが、分かったからである。
マサトは先を続ける。
ケイコの優しさに、思いを引き出されたのだろうか。言葉があふれ出して、止まらなくなる。
「そう、そう。漫画みたいな青春を、追い求めてしまうわけだ。おしとやかで従順な女の子像が、頭から消えない。寂しい時、慰めてくれる女の子。ちょっと道徳的な善行をしただけで、褒めてくれる女の子。自尊心を満たしたい時、泣いて自分を頼ってくれる女の子。けど、そんな場面は現実にはない。大人になって、それらが全部ウソで、ただの作り話で、おとぎ話で、幻想だったことに気づくんだ。で、もう少し現実的に生きようと思った頃には、もう遅い。気がつけば、既に青春時代は終わっているんだ」
ここでマサトは、ケイコの黒い瞳から顔をそむけた。
夢中でしゃべっているうちに、いつの間にか、マサト自身の話になっていたからだ。
【続く】
昔、子供の頃。
夕方、近所の男の子十人ほどで遊んでいた時。
突然、そのうち一人の親御さんが、迎えに来たの。
「何やってるの。遅いから心配したよ。もうすぐ六時だよ」
その場にいた僕らはびっくり。
「ええっ!」「まだ、五時の夕焼小焼、鳴ってないけどね」
帰宅したら、母が言うには、「いや、今日もちゃんと鳴ってたよ。他の人も一緒にいたから、間違いないよ」とのこと。
別に、僕らは遠出も、騒ぎもしてなかったのに。
そもそも、夕焼小焼のメロディーは長くて、一分ぐらいはあります。
それを、あれだけの人数が聞こえなかったなんて。
未だに、あれは何だったのだろうと不思議です。




