40 体、少年 心も少年
教室と廊下の境目に立ったケイコの顔が、はっきりと紅潮した。
(えええっ! そっ、そんなに?)
マサトは動揺する。一方、意外なと言っては失礼だが、いきなりの乙女らしさにドキッとした。
教室の明かりを消したため、光源は夕方の日光と、廊下の遠い蛍光灯だ。顔には陰影が増えていた。だから、光の加減もあろう。
けれども、さっきビキニショーツの話をした時よりも、明らかに顔は赤い。
「――」
沈黙が、たっぷり三秒は続いた。さすがに長い。
(うわっ、ヤバ!)
マサトはフォローする。
「……済まん、とっ、突然過ぎたか」
「ん……」
一瞬うつむいたケイコが、おかっぱ頭をツッと上げたら、大きな黒い瞳が、窓の光にキラッと反射した。少し、涙で潤んでいるようだ。
(ゲッ、ウソだろ、泣かせた?)
さらに焦るマサトだが。
(――いや、落ち着け、落ち着くんだ……)
同時に、冷静な自分もいた。
ここは、「大人」であるマサトに全責任がある。一緒に照れている場合ではない。
(相手は、本当は三十歳も年下なんだ。僕がしっかりしないでどうする)
マサトは、思いをストレートに告げることにした。ケイコ相手に、気取りやごまかしは不要であろう。また、それは失礼でもある。
「お、驚かせるつもりじゃなくてさ。ごめん。もうちょっと、井崎さんと話したいなと思って。で、今朝の件のおわびとか、お礼も込めて、アイスでもどうかなって。いきなりアイスも唐突かな? けど、ほら、練習の後は暑いって言ったから。というより、井崎さんと食べたくて……あっ、でも、変な意味じゃないんだよね、そうなんだよ、ないんだけど……」
ところが、冷静だったのは、最初だけ。途中から、早口になっていた。ケイコを傷つけたくない一心だった。
たとえ、マサトの正体は「四十代」であろうとも、不器用で純真な、「少年の心」だって、残っているのだ。それが、まさに「少年の体」に乗り移っているわけだ。
さぞかし、いびつで、ちぐはぐで、カッコ悪くて、だけども妙に、熱心で、必死で、リアルだったに違いない。
「ブーッ!」
よっぽど、おかしかったのだろう。ケイコが、豪快に吹き出した。
つばが飛んできて、マサトのあごに付く。
「わッ! ごめ……」
「んっ。大丈夫ッ……」
と、親指の先で、マサトはそれをぬぐう。
ケイコ自身も大変なことになっていて、少しだが、鼻水が垂れていた。
「ヤダ」
とっさに、ケイコは体操服シャツの首周りを片手で引っ張り上げて、鼻の下をグイッと拭き取る。
へそは見えなかったが、シャツがペロンとめくれて、ケイコのわき腹の素肌が見えた。日焼けした顔や脚より、ちょっと色白だ。
(おおっ!)
マサトの目線がそちらへと下がる。
「コラ!」
ブルマーを履いた脚で、ケイコが軽く蹴ってくる。マサトが後ろへ飛びのく。
「――」
「……」
余りのバカバカしさに、次の瞬間、弾かれたように、二人で同時に大笑いした。
ケイコも声は低いが、それでも女の子の低音であり、マサトの方が低い。
ハモるかのように、二つの笑声が重なる。緊張が解けたせいもあるのだろう、笑いが止まらない。
「あははははは!」
「あははっ、ククッ、クックックッ!」
と、マサトは立っていられず、廊下の床へ、ガクッと片膝を突いた。
ケイコは、笑いつつ無防備に股を大開きにして、しゃがみ込む。
(うわっ……!)
薄いショーツ型のブルマーで、その体勢はまずい。
隠すべきクロッチ部分が正面を向くし、脚の素肌は、太ももの裏の、つけ根まで見えてしまう――。女っぽい腰周りの形も丸わかりで、一番奥の秘部――。
(よせ)
マサトは自重する。
(駄目駄目。もう、やめ。発情期のガキじゃねえんだから)
まだ笑いながらも、マサトは目をそむけ、顔を横へ向けた。「大人」の男のたしなみ、思い遣りとして。
通りすがりの生徒が三、四人、あきれて立ち止まり、苦笑・失笑しては去っていった。気が変になった二人、そう見えていただろうか。
しばらく笑ってから、互いによろよろと立ち上がる。
ケイコは、もはや明確に涙ぐんでいるが、もちろん、今度のは笑い過ぎによるものだ。
丸みを帯びた指で、目の下を二回ほど横へスッと走らせ、涙を拭き取っている。
(ああ、笑ったなあ……)
マサトも、少々ぐったり気味だ。腹筋が痛い。
今朝の放送室では、高屋にお付き合いで笑ったけれど、今のは本当に、腹を抱えて大笑いしてしまった。
つかの間ではあったけれど、「少年マサト」に戻れたのかもしれない。
突っ立ったまま、目を合わせ、もう一度ずつ、
「ププッ」
「ププッ」
と吹き出す。
マサトは、ソフトな口調で、ゆっくりとまとめる。
「……これじゃ、ちょっと締まらないよね。やっぱり、一旦別れてから、今日、後でまた会いませんか?」
ケイコは、紺のブルマーの前あたりで、股間を隠すように両手をスススとそろえて、
「ん。ええ。そうですね。もっかい会いましょーか」
こちらもなぜか丁寧語で、おどけるようにペコッとうなずいたのだった。
【続く】
もう小学生ほどには原始的・本能的でないにせよ、まだ高校生ほどにはスマートでもない。
カッコ悪くなりがちな、中学生。
男女交際の始まりも、これぐらいの「やらかし」がちょうどいいのかなあと思いました。
考えてみると、(朝、教室で着替えていた以上、)朝練で着たシャツを、カバンにしまい込んで、夕方にまた着てる可能性が高いわけでしょう、ケイコは。じゃあ、今さら、鼻水くらい拭いたってね、っていう。
ブルマーだって、ずっとスカートの中に履きっぱなしなわけだし……。そのスカートは学生服だから、きっと全然洗ってないわけでね。
青春を、一度通り過ぎて、もう一回やるとなると……。
どうしたって、そういう、ある種の不潔さ、マイルドに言い換えるなら大らかさを、受け入れるしかないのだよなーと。
私は、そんなことを思いながら今話を書いたのでした。




