38 義務教育というぜいたく 自己開示という特権
それからは、ごく普通に、授業が始まった。
「三十年ぶり」の中学校授業であり、なかなかに新鮮であった。
(途中でコーヒーとか飲んじゃいけないし、先生に断らないとトイレにも行けない。こういうのは不便だけど、でも、結構、退屈しないもんだなあ)
昨日までの自分のノートの、不真面目な書きぶりを眺めたり、教科書を読み返したり。
(一冊の教科書を執筆するのに、人件費って、どれだけ掛かるんだろうな。誤字脱字も、科学的な誤りも、思想的な偏りも、あったらまずいわけだろ。きっと相当なものだよな)
「大人」のマサトには、そういうことが気になってしまう。タイムリープ前には、なかった視点である。
(しかも、これはあくまでも、教師の授業のトークと、ワンセットだもんな。授業の現場で、初めて知識となるんだ、って言えば、聞こえはいいけど……。教科書単体では、役に立たない。参考書としては使えんし、読み物としても中途半端だ)
その学年の間しか使用されず、進級すれば捨てられる。
(教科書って、一年周期の、言わば雑誌みたいなものかもなあ。すごく手間暇を掛けた、採算度外視のぜいたくな雑誌……)
ぜいたくと言えば、だ。
(ひとたび労働者になって、とにかく何らかの生産的な作業をしなきゃいけなくなると、実は勉強って、非常にぜいたくな時間だよな。目先の利益は何も生み出さないのだから、周囲からすれば迷惑で、無駄な役立たずだし。それを、逆に強制されるのだから、義務教育ってのは、ありがてえ話だわなー。子供の頃に、これに気づくのは不可能だろうけど。よほどの苦労人でもない限り)
などと、「サラリーマン」ならではのことを色々考えながら、午前に四時限、昼に給食を挟んで、午後に二時限、授業を受けた。
幸い、宿題の回収もなく、先生から当てられることもなく、受け身の姿勢でやり過ごせた。
五時限目の音楽だけは、ちょっとヒヤリとした。
音楽室で合唱をしたので、歌を覚えているか不安になったのだ。
だが、歌ったのは校歌と、「大地讃頌」の二曲。幸い、どちらも一応、覚えていた。
こうして、無事に放課後となった。とりあえず、初日クリアだ。
(この調子なら、今後、授業も何とかなりそうだな)
マサトはホッとする。学習に付いて行けるかどうかは、また別問題である。だが、学校生活に溶け込むことなら、できそうだ。
教室の窓の外は、夕方の景色。三階のベランダの、白い手すりの向こうに、人家の屋根。
日直の生徒が、黒板の文字を消している。クラスメイトは、下校や部活で、徐々に教室から出てゆく。
マサトは、席に座ったまま、ゆっくりとカバンを詰める。
やがて、右目の隅に、こちらへ近づいてくる者が一人、見えた。振り向いたら、ケイコであった。
いつの間に着替えたのか、既に体操服姿であった。白いシャツに、紺色のブルマーである。
ケイコの体型は、健康的にふっくらしており、脚も太めである。運動や農作業をしているためか、膝の周辺には細かな引っかき傷が白くついている。でも、いかにも、成長期の女子という感じがする。
「えへへ、結局、放課後も教室で着替えちゃった」
座ったマサトを見下ろして、ケイコは照れたように笑う。
「ん。そう……」
マサトのコメントは、そっけなくなってしまった。
突然、一方的に自分の話をしてきたので、その距離感というか、リズムに戸惑ったのだ。
(でも、なんだろ? 妙に懐かしいぞ、この感じ……)
よく考えてみれば、子供同士なら、これは結構、普通のことではなかったか。
(ああ、そういえば……)
例えば、おなかがすいたとか、昨日見たテレビとか、さっき少しムカついたこととか。
大人同士なら、「芸能人でもないのだし、誰も、俺のことになんか興味はないよね」と、つい自己開示を遠慮してしまいがちだ。しかし、十代の頃は、割と無防備に、お互い、「自分の話」を披露し合っていた気がする。
瞬時に、そのことを思い出したマサトは、話しかけてくれたケイコに申しわけなくなって、慌てて、コメントを付け足す。
【続く】
作者の中学時代、「この学校って、何で『大地讃頌』ばかり歌わせるの? 別に青少年の歌でもないよね? 校長や、地元の有力者の趣味なのかしら?」と不思議がってた大人がいました。(PTAだったかなあ。)
大人になって、世代が近い同僚などと話すと、どうやら、千葉の公立中学校に共通の現象だったらしく。
以前、ネットで見たら、その謎を追及してるサイトもあり。
でも、なかなか、真相は分からないみたいです。




