14 前回見捨てたすすり泣き
廊下へ出て、突き当たりのトイレに入る。
(こんなに広かったのか! 一戸建ては、トイレも立派だな)
アパートのコンパクトなトイレに、すっかり慣れていたことに気づく。
トイレの壁のカレンダーには、父親の勤務先の会社のロゴが。定年退職まで、毎年、年末に父がもらってきていたカレンダーだ。
父は、主に町工場を取り持つ商社マンである。業務内容の細部まで、ちゃんと知っているわけではないが。
(この会社、知名度は全国区とは言えないけれど、その後のビッグバンも、金融再編も、サブプライムローン問題も乗り切って、未だに社名も維持してるからなー。大したもんだ。親父、なかなかすごい所に勤めてたんだなあ)
父親の優秀さにも、マサトは今さら気づくのだった。タイムリープ前は、病気がちの老人だったが。
トイレを出ると、斜め向かいの部屋から、
「うっ、うっ……」
しゃくり上げる声が、ドア越しに聞こえた。ドアには、「あいり」という、カラフルなドアプレート。
「あっ!」
叫びそうになったが、何とか小声にとどめた。
(そうか、思い出した! 今日は、例の騒動が起きた日か。この日のこと、覚えてるぞ! アイリの初潮があった日だ)
アイリとは、マサトの妹である。三歳違い。
今、部屋で泣いているのは、突然、生理が始まったからである。
(ああ、なんで、よりによって、こんな日へタイムリープするんだよ……)
タイムリープ前の「一回目」では、マサトは何もできなかった。
部屋で泣いてるらしき声は聞こえていたものの、話しかける勇気もなく、面倒くささもあり、結果的に無視をしてしまった。幸い、中学へと登校する直前に、母親が夜勤から帰ってきて、対応してくれた。
その夜、夕食に赤飯が出て、真相が分かったという次第であった。
この一件で、自分が兄貴として役に立てなかったことを、マサトはずっと心に引きずっていた。
事の性質上、具体的な相談に乗れたとまでは思えない。だが、全くの無視というのも、ちょっとひどい。
せめて、声をかけるぐらいは……。
(――いや、声かけ以上のことも、今の僕なら出来るぞ。社会人になって、女性の生理についても、多少は勉強したからな)
ということに、マサトは気づいた。
もっとも、決して自信があるわけではないけれど。いや、むしろ不安だらけだ。
「んっ!」
マサトは深呼吸をして、青いパジャマのズボンを上げ、身だしなみを軽く整えてから、ドアをノックした。アイリの部屋のドアは、閉め切ってはおらず、すき間があった。
「アイリ、アイリ。どうしたの。ごめん、大丈夫か? ちょっと、入ってもいいか?」
できるだけ穏やかな口調で、ゆっくり、マサトは呼びかける。
中学生時代のマサトは、照れもあり、妹に対して、結構ぶっきらぼうなしゃべり方であった。だが、そんな未熟な少年は、もういない。
長いサラリーマン生活で習得した、優しい声音で、マサトは話しかけた。
【続く】
繊細で微妙な主題ですので、特に丁寧な執筆を心がけようと思っております。




