1 タイムリープをしてもらいます
ある夜。
いつものように、会社からアパートに帰宅し、マサトはネクタイを外す。背広を脱いで、シャワーを浴び、部屋着姿となる。
スマホを取り出して、気分転換に動画サイトを開いたら、懐かしい歌が流れてきた。男性の声。
君が走れば 風も走る
もし君が笑えば……
ブッ、と動画を切る。
青春時代に夢中になった、ロックバンドのヒット曲である。
(こんな歌を、真面目に聴いてた時代が、僕にもあったんだなあ……)
やりきれなくなり、打ち消すように一人つぶやく。
「恋や夢を、無責任に売らないでくれや。僕が走っても、風なんか、走らねえよ」
息切れするだけさ、と、心の中で付け足した。ここまで口に出すのは、むなし過ぎるので、やめたのだ。
マサトは四十五歳サラリーマン。独身である。
(ああ、つまらねえ。テレビでも見っか)
その時であった。
いきなり、オレンジ色の光とともに、手のひらサイズの女性が部屋に出現した。
「なっ……!」
余りに現実離れしていたためか、パニックを起こす暇もなかった。
背中には羽根も生えている。一種の妖精だろうか。
「お邪魔します。魔法の世界から来ました」
「はあ……」
はあ以外、どう言えというのか。
女性は、お構いなしに、どんどん話を進める。
「突然ですが、マサトさん、あなたにタイムリープをしてもらいます。人生を、十五歳からやり直してください」
「えっ」
どうやら、真面目な話らしい。
すぐ、この小さな女性が、幾つか、超能力的な技を披露してくれたからだ。マサトの髪の毛を一瞬で数センチ伸ばしたり、部屋にある物体を浮かび上がらせたり。
ただ者じゃない。タイムリープ程度の現象は、起こせるに違いない。
さっきまでの、自虐的な心持ちなど、吹き飛んでしまった。それどころではない。
(ああ、恐ろしいことだ)
マサトは震え上がり、口を開いて、一気に訴える。必死だった。
「勘弁してくださいよ。受験も就職活動も失敗し、アルバイトを転々とした末、アラサーの時、たまたま空きがあった企業で正社員。それからは、安定収入と貯金。現状に大きな不満はないんですよ。もし、もう一度人生をやり直したら、今いる場所へ戻って来られる自信がない。人生のタイミングが、ちょっとでもズレたらおしまいなんですから」
「そんな、後ろ向きなことおっしゃらずに。せっかくタイムリープするんですから、楽しい青春を送りましょうよ。マサトさんが十五歳の頃は、中学のクラスのハナエさんという女の子がお好きだったはず。ハナエさんと付き合えるかもしれないんですよ」
小さな女性が、励ますように言った。
マサトはぶるぶると首を振り、
「中学時代、ハナエさんは、学年でも有名な美少女でした。今の僕は、そりゃ当時よりは人生経験も社交性もあり、駆け引きもできますけど、それでも、あの頃に戻っても、とてもハナエさんを口説き落とせるとは思えません。あれから約二十年、婚活アプリとかも利用したけど、結局、大人になっても、僕には一度も恋人ができなかったし。もともと、僕は非モテ体質だったんですよ。この年になって分かりました」
「うーん……」
【続く】
次回、マサトが妖精を論破するのか、それとも妖精がマサトを説得するのか。