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ぽんぽこの道 ~歴史に自信をなくした者へ~  作者: ぷみわに
ぽんぽこの道 ~たぬきの心~
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タヌ道の道

 タヌ道の話もいよいよ終盤に差し掛かっていきます。タヌ道が絶望の淵で出会った歌声はタヌ道に何をもたらしたのか。その答へとつながっていきます。

しばらくしての昼下がりのことでした。

「貴方は…自分の使命をここの子達を育てることに決めたのですね」

ふいに婦人に声を掛けられ、タヌ道はびっくりします。

「あ…いえ…はい、そうです。見抜かれてしまいましたか」

頭を掻いて照れながらタヌ道は答えます。

「分かりますとも。貴方の子供達を見る目、仕草、それは他の方達とは全くの別物。子供達それぞれを尊重し、よく理解し、思案し尽くされてのものですから。私達が学ぶべき所も多くあります」

婦人に褒められてタヌ道は少し顔を赤くした。嬉しかった。心が温かくなっていく。このぬくもりは間違いでないと素直に思えた。初めは子供のことなど何も分からなかった自分が、今では真剣に子供のことばかり考えている。あの頃には想像も出来ないことだ。でも、何だか楽しい。その思いが心地よかった。


学問に突き進んでいくタヌ道は大きな学びを示す書物と向き合います。

『たぬきは生まれながらに真理を内側に宿しています。ただそのままでは気付かないので、この真理を明らかにしなければなりません。その順序は物事の本質を見極め、正しく理解する(格物)と、真の知を得て自然の道理が分かる(致知)ようになります。道理が分かるようになると、心に偽りがなくなって(誠意)、心を正しく保つ(正心)ことが出来ます。このように我が身を修める(修身)ことが出来るようになると、良い家庭を築き、一家を整えること(斉家)が出来ます。家が整えば里が治まり(治里)、天下を安んずること(平天下)が出来ます。格物致知(かくぶつちち)誠意正心(せいいせいしん)修身斉家(しゅうしんせいか)治里平天下(ちりへいてんか)。この順序を誤ってはなりません…』

タヌ道は一息つきます。真理の辿り着く先は世の中の平和だと気付きます。

『格物とは至善、最高善を認識することであり、最高善は五倫にあたります。五倫とは君臣の義(君主と臣民の間の忠義)、父子の親(父と子の間の親孝行)、夫婦の別(夫婦に与えられたそれぞれ別の役割)、長幼の序(年配と若輩の間の尊敬と愛情)、朋友の信(友との信頼)であり、その中でも君臣の義、父子の親が最も大切です』

昔のたぬきは五倫がいかに大切かを理解していたからこそ、ぽんぽこの教えへとつながっていったのだと思うのでした。


「仁義とは…一体何なのか…」

学問に邁進するタヌ道は恐る恐るこの問題に取り組んでいきます。何度も使っていた言葉だけれども、本当のところは自分でも分かっていないのではないか…そう、ビジネスに仁義は関係ない…は本当なのだろうか。

『仁義とは、たぬきが実践すべき五つの徳目、仁・義・礼・智・信に由来する。仁とは愛であり、近しい者に抱く想い。優しさとも言えるか…義とは敬であり、距離を置く者に抱く想い。厳しさとも言える。でも厳しいは(おごそ)かでもあり、尊敬する相手に頂く畏敬の念も込められている。この仁と義のバランスが取れた状態が、望ましい関係であるという…』

タヌ道の心に疑念が生じます。たぬきとして実践すべき徳目ならば、プライベートもオフィシャルも、ビジネスも関係ないのではないか?

『礼とは秩序である。天地を認識すれば上下を理解する。上下が定まれば尊いことと卑しいことが識別できる。尊卑が定まればたぬきにおいて身分の上下を知り、事物において善悪正邪をわきまえることが出来る。礼を失えば欲情に従って行動し、行動に歯止めが掛からず、弱肉強食の世界になる。強者は弱者を踏みつけ、金持ちは貧乏人を侮り、大は小を圧倒する。故に善悪正邪のわきまえもなくなる』

タヌ道は腕を組んで考えます。身分の上下は差別であり悪いことだと思っていた。だから平等であるべきだと。そのハズなのに、平等だという今の時代は欲情に従って行動して弱肉強食で金持ちが貧乏人をバカにしている。多数決は大が小を圧倒することじゃないか?そうなると今こそ善悪正邪のわきまえがなくなっているということじゃないか?今まさに礼を失った状態じゃないのか?平等とは…一体何なのだ?

『君臣の位が定まって身分の上下が明らかになり、誰もが己の分を守り、常に礼に則って行動するなら、乱を起こすことを好む者が現れるはずはない』

君臣の位が定まるとは御柱様とたぬきの里の民の関係のことではないか。民が分を守って秩序に従うなら、反乱は起こらず里は平和になる。これは真理の答えではないか…

『智とは知識であり、修養すべき教養である。信とは信用、信頼であり、嘘をつかないことである』

智・信はまさにその通りだろうとタヌ道も素直に理解する一方で、仁・義・礼については思っていたよりも遥かに奥深く、現状について広く深く考えさせられるタヌ道でした。


学問も中ほどまで進んだタヌ道は、吉田ヌ陰の記述と出会い、自分自身の意味と向き合います。

『仁とは愛であり、これは父子の親と同じである。義は君臣の義であり、夫婦の別と長幼の序は礼に含まれる。信は朋友の信であるから、仁・義・礼・信(四徳) は 父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信(五倫) のことである。であるからこの四徳と五倫を縦と横の糸とし、智を持って織合わせたこれを【道】と名付けた』

『ドクン』タヌ道の胸が大きく鼓動を打ちます。

「自分の名前のこの一文字に…これほど深い意味が込められていたとは…」

自分の胸に手を当てて鼓動を確かに感じながら、タヌ道はゆっくりと顔を上げて前を見据えました。

「民主主義、とりわけ資本主義から考えれば確かにビジネスに仁義は関係ない。そもそも資本主義に仁義は存在しないのだから。しかし、たぬきの道から考えればビジネスであろうと仁義に基づかなければならない。今になってこそ分かる。あぁ…私は道を誤っていたのだ…」

 タヌ道の学問がたぬきの道である以上、今までに学んできたことと重なる部分が多いことは御容赦下さい。だって、そりゃ別物だったら困るでしょうよ。もう少しで彼は辿り着き、更にその先へと行きます。

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