楠木タヌ成(1)
第一章でもちょっとだけ名前が出て来た楠木タヌ成のお話です。彼がたぬきの里の忠臣と言われる訳が伝わると良いなと思います。そうなんです、軍神でもありますが、やはり彼は忠臣と呼ばれるにふさわしいのです。
天地があって初めて上下がある。上下が定まって初めて陽と陰が決まる。
同じように人は父子があって初めて上下がある。上下が定まって初めて善と悪が決まる。
未だかつて天地が入れ替わったことも、父子が入れ替わったこともない。
もし善と悪が決まらなければ何が尊くて何が卑しいのかも分からなくなり、強い者が弱い者を踏みつけ、数の多い者が少ない者を害する。それでは強い者、数の多い者にとって都合の良い刑罰が出来てしまうから、数の少ない者は強くなって刑罰を変え、弱き者は数を多くして自らに都合よく刑罰を変えるだろう。これでは人民はどうやって生きていったらよいか分からなくなってしまう。
善悪をきちんと守るために父子をきちんと守る。父子をきちんと守るためにたぬきの父である御柱様と子である臣民の間の君臣をきちんと守った。これはそんなたぬきの話。
夢を見ました。真っ白な雲が漂う真っ青な空から日の光が惜しみなく降り注ぐ中、一面に広がる野原の真ん中に巨木が根を下ろし、雄々しくたたずんでいました。心地よい風が吹き抜け、野原の草木はたなびき、巨木の枝の幾千万の葉もザワザワざわついていました。巨木の南側の枝は大きく張り出し、木陰を作っていました。その木陰に集う家臣達の中心に、玉座がありました。
「あの玉座だけが、そなたが心穏やかに座れる玉座となるでしょう。」
何処からともなく聞こえた声に導かれるように歩き出した私は、家臣に迎えられるままに玉座に腰を降ろしましたその時に、夢は覚めました。いつもの寝室でした。あの家臣団はいずこの者どもだったのだろう。
たぬきの里に幕府が立ってしばらくの後、たぬきの里の地は幕府や幕府に近い権力者によって割譲され、彼等の思うままに治められ、御柱様の元である朝廷の力は及ばなくなっていました。朝廷の治める土地はわずかに里全体の四分の一程度になっていました。これでは朝廷を中心とした統治はかなわず、幕府中心の統治がたぬきの里で行われていました。中には私腹を肥やす領主の為に重税を強いられたり、十分な設備もないのに危険で無理な仕事を強要されたりと民の生活を脅かしていることもあると聞きます。しかし朝廷にはどうしてあげることも出来なかったのです。御柱様は思うのです。
「神タヌ御柱様がたぬきの里を興して以来、朝廷は民の安寧をひたすらに願ってきました。しかし今やその願いは届かず、民を苦しめる事態も起きています。これでは代々の御柱様に申し開きも出来ません。今一度、たぬきの里を本来あるべき姿に戻さなければなりません。朝廷の願いがたぬきの里の全土に届くようにしなければなりません。そのためには幕府を討つ必要があるのです。」
しかし幕府の力は強大です。朝廷には幕府を討つだけの十分な力はありません。御柱様はどうすることも出来ない現状を憂いていました。そんな夜の幻のような夢。この夢は…ただの夢なのだろうか…。御柱様は寝起きではっきりしない頭で、ぼんやりと夢を回想していました。
「木の南に玉座があった…木の南…楠?」
ブツブツと呟き続ける御柱様は臣下の集まる広間に入っていきます。
「楠の字に所縁のある者はいるでしょうか?」
御柱様は臣下に聞きます。臣下達は顔を見合わせながら首を振っています。一人考え込んでいた臣下が思い出したように言います。
「一人、心当たりがありますが…楠木という一門ですが、地方の一頭領に過ぎず、それほどの権力者でもありませんが…。」
「すぐに呼び寄せるように!」
「え?えぇぇ!は、はい!」
御柱様の予想外の反応にびっくりしながらも、その臣下は楠木を呼び出しました。
たぬきの里は御柱様が治める里として始まったのですが、時代を経ると御柱様から大権を預かった者が里を治めるという不自然な状態になっていました。その状態をあるべき姿に戻したい。この想いは時代を越えてたぬき維新へとつながっているのです。