自己紹介はプロポーズの後で
本日は王立学園の卒業パーティーである。辺境伯令嬢ロージー・グリフィスも、学園最後の華やかな式典に心踊っていた。王宮専属楽団による素晴らしい演奏に合わせ、軽やかにステップを踏む。くるくる回って、気付けばフロアの真ん中でダンスを終えた。目の前のダンスの相手に礼をして、一歩下がる。しかし、繋がれた右手が何故か離れないことを不思議に思った直後、目の前の男性が膝をついてこちらを見上げる。
「愛しています、ロージー・グリフィス嬢。私と結婚して下さい。」
賑やかな会場にも関わらず、よく通る声で宣言された熱烈な求婚は、瞬く間に会場を駆け巡り、会場中の令息令嬢達の視線を集める。ひたすらにロージーの返事を待つ男性の瞳は真剣そのもので、揶揄われているわけでもなさそうだった。
「あ、あの…。」
掴まれたまま戻らない右手を持て余しながら、どう答えるべきか悩んでいると、大きな怒鳴り声が響く。
「うちのロージーに何をしているんだっ!!その汚い手を離せっ!!」
どかどかと足音を立てながら近づく大柄な男たち。男性が驚いて手の力が緩んだ隙に右手を取り戻したロージーは、とりあえず激昂する男達を宥めることに専念する。
「とりあえず落ち着いてくださいませ、お兄様たち!」
ロージー・グリフィスは男だらけの辺境伯家に産まれた唯一の娘である。ここ数十年戦争は起きていないが、隣国との緊張感を常にもつグリフィス領では完全に実力主義であり、辺境伯軍は王宮近衛騎士団にも負けない雄々しい集団で、辺境伯軍団長でありグリフィス辺境伯当主であるロージーの父は国1番の豪傑と呼ばれている。そんな家に産まれたロージーは、男ばかり4人続いたのちの待望の女の子であったため、まさに珠玉のように大切に大切に育てられた。上の兄4人からも大層可愛いがられ、常に守られ、さらに自分でも身を守れるように自衛のための訓練も付けられた。男ばかりの環境でも淑女としての教養を身につけるべく、母によって淑女教育にも力を入れられ、元気で可愛らしい少女から、楚々としてたおやかな女性へと育っていくにつれて更に親兄弟の溺愛は増して行った。
ここまで可愛がられていると、傲慢な女性に育ちそうだが、ロージーはそうではなかった。たくさんの理由はあれど、1番はロージーが自分の容姿を端麗でないことを知っていたからである。
ロージーは実は目が良くない。幼少期からあまり良くはなかったのが、成長するほどひどくなり今では分厚い眼鏡なしでは人の顔もぼやけて良く見えないほどだ。自分の顔も眼鏡なしではよく見えず、鏡に映る野暮ったい眼鏡をした若い女は美人でも美少女でもない。周りの者は皆母そっくりと言うのでそうなのだろうと思ってはいるけど、母も丸っこい顔に垂れ目がちの大きな瞳をした可愛らしい顔立ちだが、絶賛されるほどではないのを考えれば、自分がこれだけ周りから褒められるのも身内の欲目であろうことは察せられた。
それでもロージーは別にそこまで外見に拘る気もなかったし、優しい家族のもと穏やかで楽しい日々を過ごした。学園に入学してからも、1番下の兄と2年ほどは被っていたし、友人にも恵まれて、充実した日々を過ごすことができた。
さて、貴族令嬢としては珍しいことに、ロージーには学園を卒業して成人と認められる今(18歳)の今まで婚約者がいない。辺境伯令嬢であれば幼い頃から婚約者が決められていてもおかしくないし、縁を繋ぎたい家もたくさんある。ロージーにもたくさんの縁談の申し出があった。しかし、それらを全て蹴散らして、ロージーの父が宣言したのである。
「この私を倒せなければ、ロージーとの結婚は認めない。」
王国1番の豪傑に真っ向から立ち向かう者などほぼおらず、稀にいる命知らずも、ものの数秒で儚く散って行った。父親が駄目ならば先に本人を落としてしまおうとロージー自身に直接アプローチをしたり、色仕掛けをかけたり、更には強行手段に出るような狼藉者もいたが、それらは全て兄達によって叩き潰された。豪傑の父に育てられた4人の兄達も、皆手練ればかりである。そうしてロージーは行き遅れ街道をまっしぐらに進んでいた。
家族の中でそんなロージーを母親だけが心配していたが、ロージー本人は特に何とも思ってなかった。貴族令嬢の結婚は父親が決めるものであり、その父がしなくても良いというなら無理にする必要もない。1度父にこてんぱんにされたくらいで諦める根性なしにも、姑息な手段をとる腰抜けにも興味はなかった。元より、ロージー以外に素敵なご令嬢はたくさんいるのだ。ロージーが結婚しなくとも、彼らにふさわしい女性がきっといる。そんな風にロージーは考えていた。
そんな風に身内以外の男性との付き合いがほぼないロージーでも、夜会には積極的に参加していた。というか、母親によってさせられていた。普段より数倍派手なドレスを着てアクセサリーで飾り立てられて、母曰くロマンスを探しにいくのだ。しかし、そんな格好に分厚い眼鏡をしていくわけにはいかないから、必然的に裸眼になる。そうしたら顔なんか分からない。つまりロマンスもへったくれもない。話しかけられても顔が見えず服装も普段とは違うのだから誰だか分からないし、その場で知り合っても後日会えばまたわからない。面倒くさくなって、ロージーは夜会中はひたすらダンスを踊って過ごすことにした。踊ってる最中は話をしなくても問題ないし、ダンスだけなら誰だか分かってなくても特に問題ない。当日中ならぼんやりとでも服装や声で既に踊った人は分かるし、体力にも自信があったので、誘われるままにダンスを踊り、疲れたら帰る、ということを繰り返していた。辺境伯令嬢であるが未だ婚約者のいないロージーに声をかける男性は多く、またロージーが選り好みしないため、普段なら声もかけられないような格下の男性もダンスだけなら、と高嶺の花に集まる状況だ。
そうしてそれは今日の卒業パーティーでも同じである。ロージーは誘われるままにダンスを受け、踊りまくっていた。今日はほぼ学園の同級生やその家族しか居ないので、いつもより気楽にパーティーを楽しんでいたところの、急なプロポーズである。しかも、ロージーにとって1番焦ったのは、相手が誰か分からなかったことだ。卒業生がつける大きな花が胸にあるので、同じ卒業生であることは知れるが、名前も分からない。そんな状態で答えに窮していたところ、我が家族達が割り入って来たのだった。
そうして慌ただしく家に拉致されるように連れて帰られた翌日。グリフィス家に客人が現れた。言うまでもなく、昨日のプロポーズの人であろう。着替えて支度をしたものの、いつもの眼鏡を今日はしっかりつけて客人の待つ応接間へと向かう。
「お待たせしました、ロージー・グリフィスです。」
礼をして顔をあげた先にいたのは、背の高い男性。肩幅も大きく、どっしりとした脚。厳つい顔は、ぎゅっと眉間にシワが寄っていて強面が更に怖く見える。ソファには座らずずっと立っていたようで、テーブルに乗せられた紅茶は冷めていた。
「アルバート・ライトと申します!」
突然の大声につい驚いて肩を揺らしてしまう。すると彼は焦ったように今度はかなり小さな声でぼそぼそと、
「あ、あの…。これ、どうぞ。」
そう言って背中に回していた手を前に回すと現れたのは大きな花束である。瑞々しい真っ赤なバラは美しく、更に豊かな芳香を立ち上らせていた。先ほどからしていた甘い香りはこれか、とロージーは納得する。険しい顔のままぐいぐいと彼が花束を押し付けてくるので、ロージーはつい受け取ってしまった。ずっしりと重い。一体何本あるのだろうか。
「あの…本当に私でいいのですか?私の普段はこんなですし、多分そろそろ…。」
そう言いかけている途中で、どかどかと騒々しい足音が近づいてくるのが聞こえた。先を察したようで、男性も扉の方を見やる。ぽそっとこぼれたのは、独り言だろうか。
「確かにそれは…いただけない。」
大きな音をたてて、扉が開けられる。グリフィス家当主、ルーベン・グリフィスと、4兄弟がぞろぞろと応接間に入室してくる。さっと当主である父に目配せされたため、ロージーは花束を侍女に任せ、父の元へ近づく。促され父の隣に座ると、兄達は後ろに立った。男性もソファに座る。大きな男性ばかりに囲まれて、なんだかロージーは自分が熊に囲まれた兎にでもなったような微妙な気分になった。
「さて、説明してもらおう。一体昨晩の求婚はどういうつもりか。まさかタチの悪い遊びや冗談とは…言わないよな?」
父の不機嫌MAXな声が狭くはないはずの応接間に響く。後ろの兄達からも殺気が漏れていて、部屋の隅にいる使用人達まで恐怖を堪えているのが分かる。ロージーは軽く目配せをして、部屋から出ているように促した。
「勿論です。正真正銘、私の本心です。」
5人分の鋭い視線と殺気にも負けず、きっぱりと目の前の男性が応える。おや、とロージーは大分彼を見直した。大抵の男性はここで脱落する。また、こちらを侮っているような態度もなく、どこまでも真摯な姿勢が好ましい。膝の上に置かれた大きい手に、その感触をふと思い出して、ロージーは少しだけ顔が熱くなった。
男性に逃げる素振りがないので、屋敷の裏手にある鍛錬場に皆で移動する。外出着の男性には辺境伯軍の鍛錬着に着替えてもらい、刃を潰した模造刀を渡す。グリフィス家では慣れた流れであり、トントン拍子で準備が進んでいった。そして父と男性が向かい合うのを、鍛錬場の観覧席からロージーは見つめる。だが、ロージーはここに来て男性が心配になってきた。外出着に身を包んでいた時はがっしりとした男性だと思っていたが、ぴったりとした鍛錬着に着替えてきた男性はそれなりに鍛えてはいるようだが、明らかに剣を扱う体型ではないし、剣の扱い方もなんだか手慣れていないように見える。貴族としての嗜み程度はあるのだろうが、海千山千の自分の父にとても敵うとは思えない。父は求婚者には一切手加減をしないため、下手すると骨の一本や二本は簡単に折ってしまう。なのに彼の態度は今まで見てきたどの男性とも違ってずっと淡々としていて、迷いの無さすぎる様子に見ているこちらが冷や冷やしてしまう。
「お兄様、私やっぱり止めてきますわ。なんだかあの方とっても不安なの。戦うことに慣れてなさそうですわ。」
我慢できずに立ち上がろうとするも、長兄に肩を押され阻まれる。
「例えそうだとしても、あの男はロージーに求婚したのだから、この戦いは避けられない。うちには腕のいい医師もいる。すぐに終わるだろうから、ここで大人しくしてなさい。」
他の兄達も頷きながら見ていて、ロージーは諦めるしかなかった。ただそれでも、彼が大怪我するところは見たくない、と膝の上で手を握りしめた。
勝負はあっという間に終わった。始め!の声が上がった2秒後には男性の剣は空を飛び、地面に落ちた。周りの野次馬達も、あまりの早さに驚きと呆れが隠せない。父が男性に歩み寄り、最後の言葉をかけようとしたその瞬間、男性はカッチリと45度にお辞儀をして、「ありがとうございました!」と叫んだ。その声の大きさに父が怯んでいる間に、驚くべき言葉が彼の口から飛び出る。
「これから何度でも挑戦致しますので、よろしくお願いします!」
そして最敬礼のまま、ピシリと固まって動かない。周囲の野次馬も今までにない展開に動揺が隠せずに騒めきが大きくなる。それを父が腕の一振りで黙らせ、静かに告げた。
「確かに挑戦は一度だけとは公言していない。お前如きが私に勝てるわけがないだろうが、お前が諦めるまではこちらも相手になってやろう。」
そうして、くるりと踵を返して父が鍛錬場を出ていくまで、男性は最敬礼のまま動かなかった。兄達に促され、私も席を立つ。するとようやく顔を上げた男性と一瞬目があった。綺麗な深緑の瞳だった。
それから少なくとも週1回、多くて週に3回も、男性は姿を見せるようになった。父も多忙であるため、父が相手できないときは兄達が代わりを務める。始めは多かった野次馬も、2ヶ月を過ぎれば皆興味を無くしていなくなった。男性も多少は上達してきているとはいえ、父や兄達とは歴然の差があり、勝負はいつもあっという間につく。今度はいつ彼が諦めるかで、辺境伯軍の中では賭けの対象になっているようだった。
そんな中私はいつも必ず彼の戦いを観覧席から見つめていた。父から彼と直接交流することも禁止され、名前も教えてもらえないのに、なぜ自分がそんなに彼のことを気にしているのか、自分でもよく分からない。まぁ学園を卒業して家の手伝いくらいしかすることがないし、そもそも彼は私との婚約を目的として勝負しているのだから、その賞品たる私には事の終始を見届ける責任があると思う。そんな風に理由をつけて彼の姿を見つめ続ける。彼が訪れるたび、部屋にメイドの手によっていつの間にか増えていく花々たち。送り主も明言されずカードもない、そんな曖昧な贈り物。けれど確実に私の心に積もる何かがあった。
彼が初めて我が家を訪れてから、ちょうど2年。相変わらず、彼は鍛錬場で父と向かい合っている。ここ最近は決着までの時間が5分ほどまでに伸びた。彼はすっかりグリフィス領の人々に顔を覚えられ、辺境伯軍の中に混じって共に鍛錬をするくらい馴染んでいる。口数は多い方ではなく割と無愛想な彼も、今では声をかけられれば気安い笑顔で応対するようになっていた。そして今、鍛錬場にいる彼と父の周りでは多くの人々が彼を応援し声を張り上げている。不意に、父が剣を下ろして腕を組んだ。
「例えこのまま一生鍛錬しようとも、お前が私に勝てることはない。…それでもお前は諦めないと誓えるか。」
静かな声なのに、騒々しかった鍛錬場にしっかりと響いたその問い。一斉に皆が黙り込み、一瞬にして静寂が落ちる。皆、彼の答えを固唾を飲んで見守った。
「…それは、最初から分かっています。剣の技量で私がグリフィス辺境伯当主に敵うことは一生ないでしょう。私が持つものはロージー・グリフィス様をただひたすらに想うその心だけです。その心の大きさを、重さを認めてもらうまで、私はあなたの前に立ち続ける。ただ、それだけです。」
真っ直ぐに父の目を見て言い切った彼に、初めて父が薄く微笑んだ。そして手に持った剣をおもむろに放すと、剣は真っ直ぐに地面に落ちて、転がる。ガランガラン…という音が響いて止まった数秒後、鍛錬場は大歓声に包まれた。応援していた者達から揉みくちゃにされている彼を、ぼんやりと観覧席から見つめる。いつの間にか、父が私の前に立っていた。
「あいつと、婚約を認める。結婚するかどうかは、お前が決めなさい。…愛しているよ、ロージー。」
ぽん、と頭に置かれた大きな手のひらで、よしよしと優しく撫でてくれる。父が求めていたのは、こういうことだったのかもしれない、と湧き上がる大きな感情の中でふと思った。
その後、観覧席から彼の下に降りた私に、再び彼は求婚してくれて、私達は婚約した。彼が婚約の贈り物としてくれたのは、指輪でもアクセサリーでもなく、繊細なつくりの眼鏡だった。つるの部分は繊細で美しい薔薇の金属細工で出来ていて、細いフレームが今までにないほど薄く透明度のあるレンズを支えている。それなのに、かけてみると、今までと同等、いやそれ以上ともいえるくらいはっきりと見えた。驚く私に、彼が優しく微笑んでくれる。
「気に入ってくれれば嬉しい。今度は、うちの領地も案内したいと思う。来てくれるかい、ロージー?」
「ええ、アルビー、喜んで!」
ずいぶん前に書いて、アルバート側の話と一緒に投稿しようと思ってましたが、そちらが全然進まずそのうち埋もれていたので、せっかくなのでこちらだけでも放出します。説明が多くて読みにくいと思いますが、ご容赦ください。