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『可能性』という言葉は誰かに伝える時には全然あり得そうに思えるのに、殊自分自身に対しては異様に形式的なものに聞こえてくる事がある。少し前までは本当にそんな平熱の日々が続いていたように思う。
岳温泉の案内所に入った時、自分一人ではおそらくそこに入る『可能性』も恐ろしく小さかったのではないかという事を考えてしまった。目を輝かせながらややこじんまりとした建物の中を眺めている姿を見ていたら、感じ方というのは人によってこうも変わってくるんだなと感心してしまうくらい。パンフレットやら何やらが色々な方法で配置されている。
「こんにちは。何かお探しですか?」
案内所の中に一人の若々しい女性が待機していて、観光客に接するような感じで話しかけてくれる。
「あ、僕は地元民なんですけど、こちらの方が」
何故だか私が観光客と思わせるとやや申し訳ない様な気持ちになってしまいそうだったので素直に伝えたところ、女性はにこやかに微笑んでマリアさんの方を確認してから、
「もしかして海外からいらしたんですか?」
と訊ねてきた。勿論この時点でマリアさんが日本語が達者…というか半分日本語ネイティブなんじゃないかと思ってしまうくらい話せるという事は想定してなかったに違いない。それも『可能性』を考えてゆくと致し方がないだろう。
「いえ、最近こちらに越してきた者です」
私が答えると思っていたところにマリアさんのこの淀みない反応は女性にショックを与えたらしく目を真ん丸にして、
「日本語お上手ですね!!」
と驚いたようなテンション。
「サンキュー。お姉さんのお名前はお伺いしてよろしいですか?」
「は、はい!佐藤と申します」
「OK。サトウさん、わたしちょっとこの辺りの事でお尋ねしたい事があるんです」
「なんでしょう?」
先ほどまでの柔らかな雰囲気から一転して仕事モードになった表情から見ても佐藤さんという人はマリアさんに興味津々のようで自然と距離を詰めている。マリアさんは一瞬「アーン…」と何かためらうような仕草があったが、次の瞬間にはこんな風に切り出していた。
「この岳温泉には、何か…アナザーワールド…異世界みたいな…何かそういう話はなかったでしょうか?」
「え…?異世界…?」
普通に観光名所の事を訊ねるものと思っていた私はここでそこそこ動揺した。だがすぐにマリアさんとファミレスで話していた「夢」の中の出来事…それが現実にリンクしているらしいという情報を思い起こした。思い起こしたけれど実際の所、そういう話が仮にあるとしてもこういう所ですぐに見つかるとは思えないなと考えた。が、ここからが少し意外な展開で佐藤さんが何かひらめいたように、
「もしかして、『ニコニコ共和国』の事ですか?」
と答えた。この『ニコニコ共和国』という単語は我々地元民には非常な郷愁…地元だけれどとにかく郷愁を覚えさせる言葉であり、具体的には中学生で友達とその単語をネタに笑い合っていた日常がフラッシュバックしていたりした。
「ホワッツ?『ニコニコキョウワコク』とは何ですか?」
ニコニコ共和国について、岳温泉の住民ならきっと色々な事が浮かんでくるに違いないのだが、人づてに聞いた話だと岳温泉はある時「ニコニコ共和国」として独立(?)して、そこでのみ通用する貨幣などを作って話題になったという。いわゆる「町おこしの」一貫の文化ではあるけれどそれが今でも存続しているかについてはよく分からないのが正直なところだった。後で個人的にネットでググってみて、それなりに語られている事にちょっとした感動があったり。
「実はこの辺りには…」
と佐藤さんはニコニコ共和国の歴史を丁寧に説明してくれる。やはり「かつて」はそうだったという事が分かり、共和国の通貨の名が「コスモ」という事が分かったり、マリアさんが意図した事ではないにせよ私にとっても収穫のある時間となった。
「ベリ、ベリーインタレスティング。そんな事があったんですね」
マリアさんが訊きたい事はそれではなかった筈だが、言うなれば日本の至る所にある『町おこし』という取り組みと、語られることの少ない『その後』、そういった事の中にある若干の悲哀や、何かしら切実なものを感じ取ったのかも知れない、何かこの場に<伝えるべきことを伝え合った>という雰囲気が流れていた。
「その話で良かったんですよね…?」
話し終わった佐藤さんは何か不安そうな表情でこちらに伺っている。色々な意味で空気を読んで、
「あ、多分そんな感じで大丈夫だと思います。ありがとうございます」
と、とりあえずマリアさんのSFというかファンタジックな話はまた違う機会にするという「流れ」にしてしまった。マリアさんがこちらをチラッと見て渋い表情をしている。
「あっと…そうだ、何かお勧めのパンフレットとかありますかね?」
やや強引に話題を切り替える。佐藤さんは「は、はい」と言って、一旦持ち場に戻って色々なものを集めてくれている。私は小声で、
「マリアさん、とりあえず今日はこの辺りにある名所を辿る事にしましょう」
と提案する。考えてみればこの岳温泉に来た目的が当初から曖昧であったという事にここで気付く自分。それに対してマリアさんの目的は案外はっきりしているという事が分かったけれど、実際どういう所からその『調査』をしてゆけばいいのかその時の自分には浮かんでこなかった。
「オーケー。ただ帰りに車で寄ってもらいたいところがあります」
「分かりました」
そんな話をしている間に佐藤さんがパンフレット一式を持ってきてくれた。
「サンキュー。サトウさん、ところでこちらでは何かSNSでの活動は行っていますか?」
「はい。アカウントがあります」
そこから始まった何かしら『ビジネスの香り』が漂うようなやり取りを横目に、私は私でたまたま目に留まった安達太良高原スキー場のポスターを眺めていた。
<ロープウェイとかあったんだよな…>
いつか何かの記事で読んだ記憶があるのだが、毎年ある時期になると夜のイルミネーションが美しいとの事。そういうのに誘ったらマリアさんも喜ぶのかな…とか微妙にロマンチックな想像がやってきたが、同時に『この自分の想像は何なのか?』という疑問もやってきている。
つまり可能性とは?




