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なんだかぼんやりしている。足元、白い猫『すかい』が尻尾をピンと立ててドアの向こうに歩いてゆく。足取りも軽く、上機嫌で部屋に入ると「にゃー」と鳴いてから誰かの足に身体を擦り付けている。見上げてみるとそれは『マリアさん』であるという事が分かって驚く。



<あれ?マリアさん来てたんだ>



だけど今日のマリアさんは何処かいつもと雰囲気が違うような。何となく髪も長くなっている気がするけれど、マリアさんである事には違いない。



『マリアさん!』



と声を掛けた瞬間マリアさんがこちらに気付いたような表情になり、そして…






パッ




私はその日、そんな夢を見て目覚めた。丁度、枕の近くで『すかい』がこちらを見守っていて、そろそろ外が明るくなり始める時間だという事に気付いた。



「あぁ…なんだったんだろ。おはよう、『すかい』」



掛け布団から手だけを伸ばして『すかい』の頭を撫でる。研修が終わってから数日不在にした事で『すかい』も戸惑ってしまってやしないかと思ったけれど、数日経って土曜日になった今日にはすっかり前の習慣通り私の部屋の片隅に置いた猫用のクッションもしくはベッドと呼ばれるものに身体を畳んで休んでいた模様。先ほど見た夢の中では『すかい』の脚には包帯が巻かれていなかったし、考えてみれば『すかい』が入っていった部屋もこの部屋ではなかったような気がする。でも、何処かで見覚えのあるような気がしたのは何故なのだろうか?



「どこでもいける…か…」



研修で知り合った佐藤さんの前の恋人の発言した内容が頭にあったからこういう夢を見たのだろうか。確かに心はそろそろ夢の登場人物の方に行きたいなと思っていた頃だし、何なら『すかい』の脚が早くよくなるように願っていたまである。眠っている間自分が『そういう世界』を経験していたのだというのなら、マリアさんが見た夢についてなんとなく共感できるような気がする。



「よし」



起き上がって『すかい』を抱きかかえ、休日特有の充実感を胸に部屋を出て階段を下りてゆく。梅雨明けはまだだが天候は良く、予報では熱くなりそう。休日だし、両親はまだ眠っているようなので今日は自分が朝食を用意した方がいいなと考えたが、その前に…



「すかいもご飯だよな」



にゃー



皿にドライフードを目分量で乗せる。がっつき気味ではあるが『すかい』が美味しそうにご飯を食べているのを見ると何だか言いようのない幸福感がやってくる。猫飼いの人はこういう一つ一つの仕草がたまらないのだなと想像できる。新聞を取りに行ってテレビ欄を眺めていると、かなり影響力のあった人物が最近亡くなったという事で特番のような放送があると知り一人で納得。変わらないように見えて何だかんだで時代は変わってゆくものだなと思われてくるが、この年齢になった自分もその新しい時代についてゆけるのかどうか不安が無いというとそれは嘘になるだろう。主流ぶっていても、いつの間にか傍流どころではなくて存在すら忘れ去られるのじゃないか。専らネットが居場所のような趣味で、心地よいと感じていた居場所も案外色んな人の努力で作られていたのだと実感され、共通の言葉もいずれは通用しなくなってくる。




世代的にそういう歴史をまざまざと見せつけられてきたと言えばそうなのに、対して自分は何をしてゆくつもりなのだろう。





と…テレビ欄からの連想で一瞬にしてお馴染みのシリアスモードになり掛けている自分を発見してここで思いとどまる。同時にご飯を食べ終わったのか、こちらに熱い視線を送っている『すかい』を発見して心がほっこりとした。まだ人間と生活し始めて日が浅い彼女は時々何かを感じているかのようにこちらを観察していたりする。観察している『すかい』を観察する『浅見卓馬』という一人の人間。人と人の関係だから人間という事であるなら、人と猫の関りはそれとはちょっと違う意識なのかも知れない。まるで子供の頃に還ったような気持ちで『すかい』の表情から必死に何事かを読み取ろうとしている自分がいる。両親やマリアさんから教えてもらった事だが私が研修で不在の間、『すかい』は僅かではあるが戸惑いを見せていたらしい。それでもこの家のルールと言うのか習慣に合わせて、目立ったトラブルを見せることなく『いい子』にしていたという『すかい』。これから彼女との生活がどういう風になってゆくかはまだ分からないけれど、時々彼女の視線に何かを思い出させてもらうのかも知れない。



「よし…作るか」



段々とモチベーションも高まってくるので、その日の計画を立てつつ朝食の準備を始める。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




土曜という事なので、お礼も兼ねてマリアさん宅を訪問しようと考えていたが、あの夜の電話でのやり取りや諸々を思い出して何となく気恥ずかしさがあった。『コミットする』という目標を立てたはいいが人間そう簡単に性格は変えられないもので、時々やってくる熱い気持ちを冷まさないように、瞬間的に、半ば衝動的に行動してしまう事さえ必要なのかも知れない。意を決して車を降りてアパートに向かう。




ピンポーン



ベルを鳴らす「はーい!」と聞きなれた女性の声が奥から響いてくる。



「こんにちは。卓馬です」



ドアが開くと何故か色々バッチリ整えられているマリアさんが登場。



「いらっしゃいませ!」



天気がいいからなのかは不明だが、今日もかなりハイテンション。



「あれ?マリアさんどこか出かける予定でした?余所行きみたいな格好ですけど」



「ザッツライト!今日はタクマくんと『お出掛け』したいなぁって思ったの!」



「え…?俺とですか?あ、まあ結構出掛けてますけどね」



「とにかく一度中に入ってください!」



言われるままに入室し、一旦リビングの椅子に着席する。そこで持ってきた荷物を見せて、



「これ、いわき行った時のお土産です。ご希望通りおつまみになるものを買ってきました」



「OH!サンキュー。これは何ですか?」



「一つは『めひかり』…いわきって『めひかり』っていう魚が名産なんですけど、それを使った食べ物です。あとは酒に合う珍味と、なんか甘いものが一つくらいあってもいいのかなと思って『ままどおる』です」



「『ままどおる』、ですか?これ?」



「そうです」



福島県民なら殆どの人が好んで食べるであろう『ままどおる』ももう少しでいいから全国的な知名度があったらなと思ってしまう。実際それくらいのポテンシャルを秘めているお菓子であるとは思っているが、県民の間では『エキソンパイ』も根強い人気を誇る。マリアさんに買うついでに自分用にも買ってしまったのはここだけの話。



「サンキュー。タクマくんがこの前くれた羊羹なんですけど、食べる時に大変でした」



「あ…玉羊羹ですね。そういえば初めての人は食べ方が分からないですよねぇ。ちなみにどうやって食べたんですか?」



「ゴムを解いてチューチューって吸って…」



「やっぱり…」



「でも途中から『変だな』って思ってちゃんと検索して調べました。爪楊枝でプツっとしてゴムを破けばよかったんですね」



「おお!流石です」




何が流石なのか。




「二本松で暮らし始めて2ヶ月になりますけど、今週はタクマくんの家の近くを歩いたりして段々とわたしも慣れてきました」



「よかったです。仕事も順調みたいですしね」



「ええ…まあそうね」



この時、ちょっとした違和感を覚えたけれど表情からは悩みや不安はそこまで感じられない。



「それより今日はお出掛けしたい場所があって」



「何処ですか?」



「カーディーラー!車を見に行きます!」



「え!?マリアさん買うんですか?」



「イエス!わたしもそろそろタクマくんにお世話になってばかりだとダメですからね」



「おお…」



マリアさんの言葉にそこそこ感動していた私。やはり二本松の事情を知れば知るほどに車が不可欠というのは理解できるし頃合いとしてはベストかも知れない。



「だけど今はもう少しお世話になっていいですか?タクマくん」



別にうるうるした瞳ではないけれど、何かそれに近いキュートめの視線で見つめられるとマリアさんもこういう表情が出来るんだなと感心する一方で妙な既視感を覚える。一瞬何かなぁと思ったが、パッとひらめいた。



「なんか『すかい』もご飯ねだる時そういう表情になりますね」



「『すかい』?ん?」



意味を図りかねたのか首を傾げるマリアさん。その場で<これは説明しない方が良さそう>と思った。とりあえず、マリアさんがまだどのメーカーとかどの車種とか具体的には決めていないという事だったのでその日は市内のカーディーラー巡りをしてみる事にした。




結末としてはそれぞれの店で自分とマリアさんの関係について『ご夫婦ですか?』みたいなことを訊ねられて毎回否定するというエピソードがあったり、一旦気に入った車の値段やオプションの価格などを知ってから、



「うーん…」



と表情が少し険しくなるシーンが繰り返されたりした。マリアさんが運転にそれほど慣れていないという話も聞いていたし利用の仕方などを考えると『軽』でいいんじゃないかという話になってオプションもそれほど付けずに値段が抑えられたある車種で検討することになった。カラーリングが何種類かある車種だったのだけれど逆に色を選ぶ時に最も悩みだして、



「シルバーよりはレッド。でも…」



「へぇー。ブルーもあるのか…」



「これだと『スカイブルー』ですね。中々いい色ですね。でもイエローもいいですね」



などかなり目移りしたらしい。担当の人がやや愛想笑いのような表情を浮かべているのを見て、個人的に困惑しているとマリアさんが、



「タクマくんはどれがいいと思いますか?」



と。<いや、流石に俺は選んじゃいけないよ…>と思って苦し紛れに、



「じゃあ今日のラッキーカラーにしたらどうですか?」



などと提案。マリアさんは目を輝かせて、



「OH!それがいいですね!」



と言ってから、スマホでどこかのサイトで言われた通りラッキーカラーを確認したらしい。



「『スカイブルー』…になりました。そして今、「2時22分」ですね。分かりました『スカイブルー』にします」



決断力があるように思えるマリアさんだけれど、こういうところで迷うのもある意味個性なのかなと思う。めでたく諸々が決まった所で見積もりとなり、今後の納車の日程などが説明される。やや感慨深い。



「そういえばもう2時過ぎてたんですね。まあ決まってよかったです」



「『222』は『委ねなさい』というメッセージです」



「あ…それって…」



「エンジェル・ナンバーです。」



つまり先ほど彼女はラッキーカラーを確認して、そのラッキーカラーという概念に委ねなさいというメッセージと解釈したようである。合わせ技というかなんというか。見積もりを待つ間、マリアさんからこんな話をされた。



「実は、夏休み期間は塾の『夏期講習』で忙しくなります。だから今日は車を選んでおきたかったんです」



「そうだったんですか。っていうかそうでしたね…」



何を隠そう自分も実は中学時代に夏期講習だけはお世話になったのである。なんとなく地獄感のある思い出なので忘却してしまってはいるが、熱血指導もあり偏差値も上り、無事希望校に合格することができたのだけれど、今と昔では事情は異なる部分もあるのだろう。マリアさんなら対応してゆくのはさほど難しくはないと思われるけれど、そういう風に夏だけ塾にやってくる学生もいたりするからその辺を把握するのは大変だろうなと想像される。それもあるけれど、



「そっか…マリアさんとちょっと会えなくなっちゃうかもですね…」



という事実はここに至っては結構な悩みである。



「電話してください。今はフェイスタイムもありますし、顔を見ながらしゃべれますよ」



「電話ですか…」



やはりあの夜に電話した内容がフラッシュバックする。



「その…どうも俺電話口だと余計なことを口走っちゃうかもしれなくて」



マリアさんがじっとこちらを見つめながらこんな風に言ってくれた。



「ユー・メイク・ミー・スマイル。タクマくんはわたしを笑顔にしてくれます」



「あ…」



見とれてしまって何と答えたらいいのか分からなく。頑張って何かを口にしようとした時、



「お客様、見積もりができましたので」



とこういうタイミング。とにかく「んん…」と踏ん張りたい感じではある。

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