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「『パーティー』?」
この人生においては聞き慣れない響きに、自室で半ば思考停止気味に単語を呟いている。もちろん仕事に関係した『打ち上げ』とか、その他諸々の『式典』などは幾らでも経験しているのだけれど、個人宅で開かれるパーティーなるものは実はイメージが無い。イメージが無いものに対して準備を進めようにも上手くいかず、
<とりあえずフライドチキン用意すればいいのかな?>
というレベルのシミュレーションがなされる。先程DMでマリアさんに確認したところ必要なものは特にないようではあるが、せっかくだから気を利かせて余興になるものを用意した方がいいのかも知れない。SNSのフォロワーさんの呟きなどから最近意識されている『ボードゲーム』の事がぽっと浮かぶ。無難に「人生ゲーム」だろうか、と思ってググって見ると『令和の人生ゲーム』という見出しで衝撃の内容の人生ゲームが発売されたばかりだと知る。お金ではなく『フォロワー』を集めた方が勝ちというアクロバティックなルールに世代的にそそられないわけではないけれど、そこでマリアさんの言動が思い出される。
<お金を集める方のルールの方が好きそう…>
もしかしたらとても失礼な事を考えているかも知れないが、なんにせよどちらも所有していないので買いに行かなければならない。腹が決まるとそそくさと椅子から立ち上がり出掛ける準備を始めた。帰ってきたばかりですぐに出掛けようとする息子の姿を見かけた母は若干呆れ気味だったが、初対面の人が居るパーティーでの立ち振る舞いをシミュレートしてゆくと話題作りは必至だと自分に言い聞かせるように再び曇天と化した空の元に飛び出す。
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日曜日、夕方近くマリアさんの家に着くように電車で市内に移動していた私。駐車や飲酒の事を考えてその方がいいだろうという判断ではあったが、二本松駅からマリアさん宅まで移動する間は何故だか不思議な感覚に包まれていた。何故不思議と感じるのかは分からないけれど、そもそも自分がそういう場面に出かける事が不思議だとどこかで感じていたからだろう。同じ市内でもそれほど見慣れているわけではない静かな住宅の間をゆったり歩いていると合っているのに合っていないようなふわっとした気持ちになってゆく。そんな風に油断していていたものだから、
ささっ
と目の前を横切った小さな白い姿に驚かされた。一瞬その姿を見ただけだが『純白』といえるような白さで、スラっとした体躯の猫であるという事は分かった。
「やっぱりこの辺りにも猫が居るんだなぁ…」
飼い猫か野良かはよく分からないけれど首輪は付けていなかったように見えた。猫派か犬派かで言えば明らかに猫派なので見ただけでもちょっと癒されるような感覚である。驚いて動きを止めていた足を再び前に持ち上げる。そのまま数分でマリアさんの入居するアパートの前に辿り着いた。
「ふぅ…」
一旦深呼吸してドアのチャイムを鳴らす。
『はーい』
中から女性の声が聞こえる。玄関から現れたのが想像していた人物ではなかったのでまたしても驚く。
「あ…もしかして『タクマくん』ですか?」
そこには自分よりも少し若い印象の髪の長い女性が立っていて、私の事がすぐ分かったのでパーティーの参加者だなという事が瞬時に了解された。同時にマリアさんから送られてきた写真に移っていた人物の一人だという事も思い出されたので、
「そうです。浅見卓馬と申します。マリアさんの同僚の方ですよね?」
と自己紹介がてらに問い掛けると、
「はい、とりあえず中に入っちゃってください。『マリアっち』今料理しているので」
<『マリアっち』?>
マリアさんの事なのだろうけれどその独特の呼び方は少し笑ってしまう。「わかりました」と言って入室し、背負ってきた荷物を適当な場所に置かせてもらう。
「そういえば俺一応『フライドチキン』買って来たんですよ」
「え!そうだったんですか!ありがとうございます」
某チェーン店のフライドチキンをイメージしていたのだが、生憎と二本松周辺にはチェーン店が無いので、午前中にスーパーの総菜売り場で見繕ってきたので簡易なパックに詰め込まれている為リュックから取り出すと匂いが凄い。
「マリアっち、フライドチキンだって!」
奥のキッチンの方に呼び掛ける女性。
「ありがとうタクマくん」
という返事。それから一旦居間に腰を落ち着けて女性と自己紹介が始まる。
「わたしもあそこの塾で講師をしています。鈴木千佳と言います」
「塾では何を教えているんですか?」
「わたしも英語です」
「そうでしたか、私は郡山の方で仕事をしています」
「そうなんですか。マリアっちから結構話はお伺いしています。うふふ…」
鈴木さんのその若干ニヤついているように思われる『うふふ』が何なのか、何となく訊ねない方が賢明だなと判断し話題を変える。
「そういえばもう一人の人はまだ…っぽいですか?」
「あー…あの人は『競馬』終わってから来ますよ」
「競馬?ですか?あれ?宝塚記念終わりましたよね?」
私も日曜日の競馬中継は見る事が多いので今日もレースは見てきた。メインレースのGⅠは終わったはずだが、競馬が終わってからというのは…
「最終レースまで見るんですよ。あの人ネットで馬券を買うんです」
「ほぇ…」
「でも多分もうすぐに来ると思いま…」
ピンポーン
そのタイミングでチャイムが鳴る。
「こんにちは」
すぐに男の人の声が響き出迎えに行くと、噂をしていたその当人だった模様。
「あ、こんにちは、初めまして」
「あ、初めまして!貴方が『タクマさん』ですか?」
歳はやはり私よりも幾らか若そうで塾講師をしているからか異様に声に張りがある。
「はい。浅見卓馬といいます。まず中に入りましょう」
実はこの辺りで私は胸を撫でおろしていた。こういうタイミングで来てくれた方が自己紹介する時に色々と都合が良いし、何より塾講師の二人はどちらもフレンドリーな様子に見えたからである。実際その印象は正しかった。リビングで男性がこちらに手を差し出して、
「俺は『国語』とか『現国』を教えていて、渡邉誠といいます」
と言った。握手をしつつ、
「『現国』ですか。俺学生の頃苦手だったなぁ…」
テストで芳しくなかった苦い記憶が蘇ってしまっていた私に、
「誠くんは「今でしょ」の人リスペクトなんです」
と鈴木さんの方がやはりニヤつきながら言った。<だから『現国』なのか…>と納得していると鈴木さんが続けて、
「今日は負けたの?勝ったの?」
と問う。流れからして競馬の収支の事だなとは推測されたが、
「トントン」
と何故か妙に重みのある一言。プラマイゼロでもどこか勝ち誇ってさえいるようにも見える。
「『先生』は夏の福島競馬について話してる。来週から開催だからそこからが勝負だ」
後でネットで検索してみると「今でしょ」でお馴染みの『先生』がマジで福島競馬について熱く語っているのを見て何故か不思議な感動があったが、この渡邉さんともそこそこ話が合いそうだなと思え始めた。
「宝塚、今年は牝馬でしたね。強いですよね最近は」
「あ、タクマさんも競馬やる人ですか?いやー圧勝でしたね!俺は当てました!」
先程見てきたばかりなので振り易い話題ではあったが途端に目を輝かせた渡邉さん。そこでマリアさんが奥から現れて一言。
「ヘルプ!ちょっと手伝ってください!」
こんな感じでパーティーがぼちぼち始まってゆく。




