㉒
「タクマくん、もしかしてあそこ行ってみるの?」
またちょっと不安そうな表情を浮かべるマリアさんに対して何となく何かが漲るのを感じる。今考えるとその時そういう強気の自分が出てきたのは意外で、普段だったらその未知のエリアに対して怯んでしまっていただろうと思う。
「俺、行ってみます。ここで行くのが正解のような気がするんです」
何が『正解』なのか考えてゆくと本当によく分からないけれど、その後生じた事にどんな意味付けをするにしてもそれは決して悪いものにはならないと、そういう直感が働いたのかも知れない。とにかく私は意を決して奥の一画に飛び込んでいった。
「おや、お客さんだね。やっぱり今日はそういう日なんだねぇ」
パーティションで区切られたスペースにはいかにもそれっぽい占い師と思われる女性…少し歳のいった女性がどしっと座っていて、女性のつけている鼈甲のフレームの眼鏡はその場で妙な『説得力』を持っているように受け取られた。「そういう日」という意味深な台詞が気になるがとりあえず勧められるままに対面の席に座って、
「ちょっと占って欲しい事がありまして」
と切り出す。一瞬振り向くとマリアさんがちょっと後ろの方で私を見守っていた。
「何を占って欲しいんですか?恋愛運?」
かなり慣れた感じで接客されたのでやや戸惑ってしまったが、
「あ、いや、その何て説明したらいいんだろう…特殊な事なんです」
と素直に事情を説明することにした。
「後ろにいる女性が何というか特殊な夢を見て、それが一体何なのか、手掛かりがないものかと調べていまして」
ちょっと抽象的ではあるが一応事実に当たる事を伝えてみると、
「なるほどね」
と女性が一言。さすがにこの反応にはちょっとびっくりしたので、
「え…?それで大丈夫なんですか?」
と訊ねてみた。そうすると、
「ええ、大丈夫ですよ。むしろタロット占いはそういう漠然とした事の方が占いやすいかもね」
と答えた女性は椅子の下の方からタロットの一式を取り出している。
「わ…タロットなんだ」
勇んでやってきたために何占いなのかも確かめないまま来てしまったが、女性の取り出した艶のあるカードのデッキは私にちょっとした緊張感を与える。というか初対面の相手からちょっと不思議な話を聞かされても全く動じていないという事も凄みを感じさせたのだと思われる。女性は「よし」と言ってからカードを何か決まった配置で並べ始めた。
「これはオーソドックスな占い方だよ。多分貴方占いなんか初めてだろうから、余計な事は説明しないでアドバイスだけしとくよ」
こちらの方をちらっと伺うようにこう話した女性。何となく安心感があったのでマリアさんに視線を送って暗に『大丈夫ですから』と伝える。
「さて…」
10枚ほど並べ終わったカードがおもむろに表に返されてゆく。ちんぷんかんぷん故何を意味するのかよく分からないけれど、時々ちょっとギョっとするような図柄のカードが捲られるのでまたここでちょっと不安になりかける。
「そして、これが大事なところ…」
と言って右の方の奥のカードをひっくり返すと、男性と思われる人物が棒のようなものを持って歩いている(?)ようなカード。
「おや。『逆位置』になってる」
驚きの混じったような謎の言葉が発せられ、やや身構える。すると女性はカードをじっくり眺めてから最後のカードを手に取って「なるほどね」と納得したように呟く。流石に不安になってきたので、
「えっと、大丈夫なんですか?」
と訊ねてしまったが女性はにっこり微笑んで、
「うん。配置を見るかぎり、全体的にはいい流れになりそうだよ。問題は何が『鍵』になるのかという事だけれど」
と前置きしてから手に持っているカードの意味を教えてくれる。
「このカードは『愚者』と呼ばれるカードで『愚かな者』を暗示するんだけれど、別に馬鹿っていう事じゃない。もっと広く、既成概念に囚われないという事を含むんだ。それで、貴方が話してくれた問題からすると、『愚者』が出たのは自然と言えば自然なんだよ。既成概念に囚われていては多分、手掛かりは得られないんじゃないと、普通に解釈できるからね。ただ…」
「ただ…?」
そこからは何か『深い』話のようで女性は少し違うトーンで話し始めた。
「このカードがほらこの地面の位置からして自然な方じゃなくて反対の『逆位置』に来てるって事は、何かそれだけではないって事も意味してるんだ。どう解釈するかは難しいけれど…」
このタイミングでマリアさんが私の隣に立っている事に気付いた。
「基本的には既成概念に囚われないってのを言い換えると『自由に』って事で、つまり自由に生きている何者が関係しているという事だと思うんだよ。ただ、その『自由に生きる』っていう意味をちょっと考えてゆく必要があるだろうね。貴方が自由にやってみるのか、それとも…」
「なるほど…」
その時の深く感心した私の様子を見て思うところがあったのか、女性はアドバイスのような事をしてくれる。
「占い師なんかやってるとね色々な人を見る機会があるんだけど、偶然その時占ってもらって欲しいと思っている人に対して偶然に現れるカードって全く無意味だってわたしには思えないんですよ。そもそも人生に意味があるのか意味がないのかですらよく分からないままに生きてるんだから出たとこ勝負っていうか、目の前に現れた事に対して自分なりに何かを感じて、解釈して生きてるのがほとんどでしょ。だから偶然だって、何かに繋がってゆく事だってあると思って生きていったらもっとのびのび生きれるんじゃない?」
「えっと…それは…?」
少し意味を図りかねているとマリアさんが、
「タクマくんはもっと『テイクイットイージー』で良いって事です」
「テイクイットイージーですか…」
確かにそうなるとあの『愚者』というカードにも通ずるところがある。占い師にお礼を言って会計を済ませる。
「タクマくん、わたしもう一回百均に行ってますね」
恐らく何か欲しいものが浮かんだのだろう、マリアさんが移動する。私も席を立とうとしたその時。
「そういえばお兄さん」
と呼び止められる。
「何か?」
女性は小声でこう言った。
「お兄さんは恋愛占いとかには興味はないの?」
「へ?」
女性は何故か嬉しそうに、
「わたしは個人的に「そういう」占いの方が好きなんですよ」
と言った。『それは一体どういう意味なんだろう』と考えた時、流石に鈍感な私もこの占い師の『意図』と思われることに辿り着いて急激に顔が熱くなる。
「あ…いや…その…だ、大丈夫ですので…」
とその場から逃げるようにマリアさんの後を追い掛ける。小さく『またどうぞ』という声が聞こえた。書店を抜けマリアさんに追い付くと、
「タクマくん、なんか変な顔をしてますよ?顔が赤い?」
と言われた。




