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意図せず共通の話題で心が満たされた事も関係するのか、足湯を離れてからもなんとなくポカポカとした気分が続いていた。標高が高い場所なだけに空が一層澄んでいるような気もして、何気なくマリアさんにこんな事を言っていた。
「空は綺麗ですよね。やっぱり『ほんとうの空』なんだなぁ…」
同意が得られるものと思っていたが、
「空はどこでも綺麗ですよ」
という意外(?)な答え。まあそうなんだけれど私は勝手に、
<ここはマリアさんに『ほんとうの空』というワードの由来を教える義務がある>
といった類の使命感を持ってしまって『智恵子抄』の存在など知っている限りで彼女に話し始める。それに対しても特に納得した様子はなく、
「その話はわたしも知ってますよ。それでも空はどこでも綺麗だと思います」
と豪語されてしまった。先ほどのアニメの話題についての共感からするとこの塩対応には軽くショックを受けた。その後の私のしょんぼりした歩調に何か感じたのかマリアさんはこんな風に語り始めた。
「わたしは外国人です。二つありますが…その二つの祖国と、この国でも同じものと言えば何だと思います?」
「え…?同じものですか…難しいな、国によるんじゃないですか?」
「アンサーは…『スカイ』です」
「えっと、それだと海は?」
「わたしの生まれた国は内陸なので海はありません。それに、大事なことがもう一つあります」
「なんですか?」
「基本的に見上げれば『いつでも』見ることが出来るという事です」
「なるほど…」
とても説得力のある説明だなと思った。あの高村智恵子さんは東京にはほんとうの空が無いと嘆いたのも一つの捉え方として頷いてしまう部分があるのが本当だけれど、このマリアさんのもう一つの捉え方も、その情緒を感じるという意味で十分頷いてしまう。
色々な事を感じながら二人で再び坂を登りつつお土産物が売っていそうな店の辺りまで来た時に、ふとこんなことを思った。
<じゃあ、俺にとって『空』はどんなものなのだろう?>
詩人でも芸術家でもない、ましてや異邦人でもない『浅見卓馬』という人間にとっての『空』とは?長大な論文になりそうで、逆にまったく内容のない一言になってしまいそうなこの沈黙の領域。考えてみたことがないけれど、それがなんだか自分にとっての一つの宿題であるかのような感覚になってしまっている。
「タクマくん。これは商店街に売ってたりしますか?」
「え…?あ、これはここだけのものじゃないでしょうか?」
マリアさんはお土産屋さんで温泉の名物らしきお菓子の手に取っている。昔から二本松は『和菓子』で有名だけれど岳温泉に置いてあるものは結構ノーマークだったりして、家族に買っていったらもしかしたら喜ばれるかもなと思ったり。
「あらー、日本語お上手ですね!」
やはり店員さんの反応はテンプレートである。そう言われることも慣れているからだろう親しみやすいスマイルでおどけて見せて、
「最近越してきたんです。ところでこれは…」
と速やかに商品の説明を聞き出す流れはもはや名人芸という他ない。もし今一度自分がマリアさんを知らない側に立って、こういうコミュニケーションをされたら絶対悪い気はしないと思う。で…問題はそういうパーフェクトな振る舞いをされた場合の持て余し感満載の我が身である。
「案内とかいらないんじゃないかな…」
そこを追及してゆくと『浅見卓馬不要論』が持ち上がってきそうだから、それ以上は考えない事にして私も店員さんの説明を聞きながらお土産を見繕っている。
そして会計時、またもやヒヤッとする場面が…。
「このあたりに『異世界』とか、そんな感じのところってあったりしますか?」
唐突に予想外の質問をされた店員さんは一転して戸惑って、明らかにこちらにヘルプのサインを送っている。マリアさんの夢の内容を一から説明しても混乱するだけだし、聞き方としては簡潔な『異世界』という言葉だが、ラノベならともかく日本語においては日常語からかなり乖離しているせいか動揺を隠せないのが普通であろう。今回はこんな風にフォローしてみる。
「あ、その、彼女『異世界』っていう言葉が好きなんですけど、実は僕ら『ミステリーハンター』で、このあたりに不思議なスポットがないかどうか探したりしてるんです!」
「七不思議とかそういうのね!面白いことしてるのね!」
歳が50歳くらいの女性だったのもあるが、世代的には『七不思議』という表現に落とし込めば割とスムースに伝わりそうだなという事に気づく。マリアさんがまたしてもちょっと渋い表情をしながら会計をしているが、あえて気づかないふりをして話を引き継ぐ。
「七不思議っていうか、この辺りはね、知ってるかもしれないけど噴火があってね、その被害にあった人も大勢いたの。『供養観音』っていうのが近くにあるんだけど…」
「もしかしてそこにユーレイ…ゴーストが出るとか…?」
話の内容は恐らくは関係ないという事は察している筈だが、眉毛を歪めて見るからに嫌そうな顔でマリアさん。それに対して店員さんは、
「という話は聞かないけどね」
分かり易いくらいズッコケたマリアさん。
「でも、確かネットで検索すると別な場所が心霊スポットになっていたり…まあそういうのはどこにでもあるよねぇ、ふふふ」
「あ…あるんですか…」
自分はそういう類の話があると、まずは霊の存在について保留するにしてもわざわざ確かめに行こうなんていう気にはならない性質である。マリアさんに至っては、何故か『ナンマイダブ、ナンマイダブ』と言っている。
「縁起の良い方の話もありますよ」
代わって私の会計時に店員さんが思い出したように話してくれたのはこの通りのすぐ上にある岳温泉神社とそこにある『大黒天様』についてだった。
「『大黒天様』!?」
この話を聞いた途端マリアさんは目の色を変えて色めきだった。御神籤とかエンジェルナンバーとかの時にも感じてはいたが、『それ系』は何でもありらしいのがこの女性の特徴であるようだ。
「タクマくんレッツゴー!!」
そそくさと店を後にして勇み足で坂を上ってゆき、数分でたどり着いた岳温泉神社。神社自体は簡素な作りなのだが、その『大黒天様』の方が結構迫力があって、私でもご利益がありそうに思えてくる。
「お賽銭入れないとね!」
『異世界』という話とは関係ないところでマリアさんは観光を満喫している。




