第十話 氷室龍夜の過去
「ただいま…」
ゆっくりの我が家のドアを開け、美由紀は死にそうな声で家の中に入った。
「おかえり、美由紀。
暑かっただろ?」
美由紀のお父さんはタオルを渡しながら言った。
「暑いなんてものじゃないよ…
溶けるかと思ったもん…
…お兄ちゃんは?」
美由紀はお父さんから受け取ったタオルで額の汗を拭いながら家の中を見回して兄がいないことに気付いた。
「修行だそうだ。
一人でどこかへ行ってしまったよ。
だが、お昼には帰ってくると言ってたからもうそろそろ帰ってくるだろ」
お父さんは美由紀に丁寧に説明する。
現在11時半をちょっと過ぎたところだ。
「お兄ちゃんが帰ってきたらお昼ご飯にしようよ。
あたしお腹すいちゃったよ」
美由紀はお腹をさすりながらつぶやいた。
「そうだな、じゃあ今からご飯を作って龍夜を待つか。
美由紀、手伝ってくれ」
お父さんは言いながら立ち上がり、冷蔵庫へ歩み寄っていく。
「は〜い」
美由紀もお父さんの後ろをついていき、お父さんから料理に使う材料を受け取ってキッチンへ向かった。
「カレーライス?」
美由紀は材料を運び終わった時に料理を予想した。
「当たり、アツアツのカレーライスにするつもりだ」
お父さんは胸を張って言った。
「信じられない…
こんな暑い日にアツアツのカレーライスなんて」
美由紀は呆れ果てた。
「はっはっは!
暑いときに食べるからこそうまいのだ!」
お父さんは笑いながらカレーライスを作り始める。
やがて、アツアツのカレーライスが食卓に並んだ。
「遅いな、龍夜のやつ」
お父さんは時計とカレーライスを交互に見ながらつぶやいた。
「もう12時半だよ…
どこで道草くってるのよ〜」
美由紀は駄々(だだ)をこねる子供のようにじたばたした。
「ただいま」
その時、玄関のドアを開く音と共に龍夜の声が聞こえた。
「お兄ちゃん!」
美由紀はその音に反応して玄関へ駆け出した。
「美由紀、ただいま」
龍夜は玄関まで迎えに来た美由紀に挨拶をかわす。
「お兄ちゃん、おかえり。
カレーライス出来てるよ、早く食べようよ」
美由紀は靴を脱ぎ終わった龍夜の服を引っ張りながら歩き出す。
「カレーか、確かにうまそうな匂いがするぜ」
龍夜は歩きながらつぶやいた。
「おぉ、龍夜。
おかえり」
「父さん、ただいま」
挨拶が済むとさっそくカレーライスを食べ始めた。
「うまいな、父さん」
龍夜は一口食べて感想をのべた。
「美味しい!ちょっと熱いけど…」
美由紀も感想をのべた。
「うん、我ながらなかなかの出来だな」
お父さんも感想をのべた。
お母さんはずいぶん前に病気で死んでしまった。
龍夜はお母さんの事をわずかに覚えているが美由紀は顔すら覚えていない。
お母さんは美由紀を生んで一週間程で他界した。
その時、龍夜は5歳だった。
「ごちそうさま」
三人は声を揃えて言った。
「暑い…
お兄ちゃん、部屋を涼しくして」
美由紀は手で顔をあおぎながら龍夜に言い放つ。
「ったく、俺はクーラーじゃないぞ…?」
龍夜はしぶしぶながら水の能力を使い部屋中を冷気でいっぱいにした。
「ぁあ〜、涼しい〜」
美由紀はあおぐのをやめて床に寝そべった。
「まぁ良いか、この程度の能力じゃたいした疲れもこないからな」
能力者が能力を発動するときには体力や精神力や気力といった様々な力を必要とするのだ。
強力な能力ほど膨大な力を消費するため、大技を連発する事は不可能なのだ。
消費できる力がないと能力は使えない。
つまり、疲れはてた能力者は能力を全くと言って良いほど使えないのだ。
龍夜のように強い能力者は、消費できる力が多いのと同時に能力を発動するときに消費する力が少ないのだ。
よって、弱い能力なら使い続けても全然疲れなかったりする。
「さて、腹もふくれたし、また修行してくる」
龍夜は立ち上がりながら言った。
「頑張ってこい、龍夜」
お父さんはガッツポーズをとり、龍夜に言った。
「また修行!?
もう充分過ぎるくらい強いのにまだ強くなりたいの?」
美由紀は驚きながら龍夜に問いかける。
「俺が強ければいざというときに美由紀や父さんを守れるだろ?
この世界には能力で犯罪を犯すような奴がたくさんいるんだ。
その中には今の俺でも勝てないような奴がいるかもしれないからな」
「それはそうかもしれないけど。
お兄ちゃんが修行してる間にあたし達が悪い人たちに襲われたら意味なくない?」
「大丈夫だ、お前達に危険が起きたら本能でわかる。
すぐに助けてやるよ。
んじゃ、行ってくる」
龍夜は美由紀の反論を聞かずに家を出ていった。
「龍夜君、また修行かい?」
龍夜が家を出ると街の住民に声をかけられた。
「ぁあ、家族を守れるようにもっと強くなる必要があるからな」
この街の住民はみんな仲良しだ。
喧嘩もなく、ただ平和な暮らしをして毎日を有意義に過ごしている。
街から伸びた長い山道を龍夜は一気にかけ登る。
能力を発動するときに消費する体力をつけるトレーニングだ。
山を登り終えたら山頂でじっと座り、精神を統一する。
これは精神力をあげるためのトレーニング。
こんな感じで龍夜はいつも修行をしている。
修行内容が一通り終わると山道をかけ降りて、さっきのトレーニングを繰り返す。
太陽が降り始める前に我が家へ帰って夜ご飯をつくる手伝いをする。
この日も変わらず4時くらいに山を降りて我が家へ帰るはずだった。
「はぁ、はぁ…
今日もだいぶ疲れたな」
龍夜は山道をかけ降りている途中で前方にこちらを見ている男がいるのに気が付き、男に走りよった。
「見かけない顔だな、観光にでも来たのか?」
龍夜は誰に対しても敬語は使わない。
よって見知らぬ人間であろうとタメ口で話す。
「お前が氷室龍夜だな?」
男は鋭い目付きで龍夜を見た。
「そうだけど?
俺になんか用か?」
龍夜は不思議そうな表情で男に訊ねた。
「噂を聞いてきたんだ。
この街に強い能力者がいるとな」
「で、どれだけ強いか見に来たのか?」
「違う、私のしもべにするために来たのさ」
男はいまだに鋭い目付きを崩さない。
「俺に喧嘩売りに来たんだな。
良いぜ、相手してやるよ」
龍夜は呼吸を整えいつでも能力を発動出来るようにした。
「怒れ、私以外のすべての人間に怒りをぶつけろ!」
男は大声で叫んだ。
「…(なんだっ!
なぜか分からないが、無性に腹がたってきた…!)」
「私の能力は感情操作。
お前の感情を怒りで埋め尽くしてあげたのさ」
「ぐあああああああああああああ!!!」
龍夜の感情は怒りで埋め尽くされ、大声で叫んだ。
「…(理性を…制御…出来ない!
この…ままでは…街のみんなが……危険だ)」
怒りの感情を必死に押さえようとするが身体は全くいうことを聞かず街へ向かっていく。
龍夜の身体の周りにとてつもない冷気のオーラが発生する。
その冷気のオーラによって辺り一面が凍り始めた。
「おっと、私まで凍ってしまう。
遠くで観察することにしよう」
男はつぶやき、山道を登っていった。
「なにこれ!?」
「街が凍る!」
「みんな逃げろぉ!」
街中が騒がしくなる。
龍夜は逃げる住民達を容赦なく氷付けにしてしまった。
「…(みんな…逃げて…くれ…!
父さん…美由紀…!」
龍夜は怒りにより身体の制御が出来ず、思ってることを口にする事も出来ない。
「龍夜…!」
お父さんが家から出てきて、龍夜を見て驚いた。
これが龍夜なのか?
そんな疑問を抱いたように龍夜を見つめる。
龍夜はどんどん街に近づいてくる。
お父さんはかつてない恐怖に襲われながら龍夜を見続けた。
「なにがあったの?お父さん」
美由紀も家から出てきた。
美由紀の声でお父さんは正気に戻り、叫んだ。
「見ちゃダメだ、美由紀!」
お父さんは美由紀に変わり果てた龍夜を見ないように言ったが、すでに遅かった。
「お兄…ちゃん……?」
一目見ただけでわかる。
龍夜が怒りに満ちていることが。
目付きはかなり鋭く、目だけで人を殺せるんじゃないかという錯覚に襲われるくらい冷徹な目をしていた。
「美由紀、逃げろ!」
お父さんは美由紀に叫んだ。
「う、うん」
美由紀は父の声に素直にうなづき、一目散に村を出ていった。
お父さんは龍夜に向かってゆっくりと歩み寄っていく。
街にいた住民はすでに全員氷付けにされていた。
家も凍り始めているが、お父さんの周りだけは凍っていない。
「……(父さん…逃げろ!
なにを…してるんだ…!
早く…逃げろ…!)」
龍夜は必死に理性を押さえて、お父さんだけは守っていたのだ。
だが、それも長くは続かなかった。
「死ね、親父」
龍夜は冷たく言い捨てた。
龍夜は完全に理性を奪われてしまったのだ。
お父さんの心臓付近にでっかい氷の槍が刺さっていた。
「…龍…夜……」
お父さんはそれだけ言って倒れた。
即死だった。
だが、龍夜は全能力を使って大技を発動しようとした。
数分で龍夜の頭上に巨大な水の球が出来た。
そして、あろうことか、その巨大な水の球を一瞬で気化させてしまった。
水が気化したとき、体積は1700倍になる。
その結果どうなるのかというと、水が一瞬で気化することによって爆発が発生するのだ。
水蒸気爆発という。
辺り一面が爆発による風圧で吹っ飛んだ。
残ったのは家のかけらだった。
そして、龍夜は正気に戻った。
「……俺が…やったのか……?」
龍夜は覚えている。
この爆発は自分が起こしたという事を…
だが、信じられなくて…信じたくなくて……そう言ったのだ。
「熱いっ!」
突如、右手の甲が溶けそうなくらい熱くなった。
左手で右手の手首を押さえながらゆっくりと右手の甲を見た。
そこには、氷の結晶に良く似た紋章が刻まれていた。
「これは、M・Aの紋章…?」
龍夜は昔、お父さんからマスターアビリターについて聞いたことがあった。
だが、今の龍夜にはそんなことどうでも良かった。
「みんなを…守るために強くなったのに…!
それなのに…こんなこと……!」
龍夜の瞳からは大粒の涙がたれていた。
「嘘だぁぁあああああああ!!!」
龍夜の叫び声は誰もいなくなって変わり果てた街にむなしく響き渡った。
街の住民達は龍夜の能力によって生み出された水蒸気爆発によってこっぱ微塵に砕けちり、どこかへ吹っ飛んでしまっていた。
ただ一人、美由紀をのぞいて。
美由紀は逃げ切れたのかどうか、この時の龍夜は知らない。
自分が今まで修行で強くなった事は間違いだったのか?
こんな事になるんだったら修行なんてしなければ良かった。
龍夜はそんなことを思いながら絶望してその場に座り込んだ。