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008. 生徒たちの放課後

 魔導学院に通い初めてからの日々は、そんな感じであっという間に過ぎていった。


 朝起きて、食事の準備をして、諸々済ませて学校へ行く。


 学校では授業を受けて、城とは別の建物の食堂で昼食を食べ、また授業を受ける。


 家に帰ればまず手を洗い、風呂を沸かして夕食を用意する。同じ部屋に同居する3人が最も騒々しいのはこの時間帯だ。


 これは僕が新しく手に入れた日常であり、懐かしくもある日常だ。村の生活で自分が別の人生を歩んできたことを隠すことを学んだ僕は、賑やかで穏やかで、とても暖かい日々を手にしていた。


 ……血縁上の母への後ろめたさと、若干の恐怖を抱えながら。


「師匠」

「ジェニー先生と呼びたまえ。……暗い顔をしてどうしたんだい、トーマ」


 悩みがあるとき、僕はジェニファーに相談すると決めている。彼女は僕の恩人であり、師匠であり、馬鹿馬鹿しい僕の事情に最初から耳を貸してくれた2番目の人物だからだ。


 学校の放課後を利用して城の2階にある職員室を訪れた僕は、真っ先に彼女のもとへ向かっていた。入学から2週間が過ぎた頃のことだった。


「あの人が……母親がどうなったか、知ってますか」

「彼女ならまだあの村にいるよ。普段通りの生活を送っている」


 普段通り。そんなはずがあるものか。


 彼女にとってみれば、夫の忘れ形見が突然消えたようなものだ。家人が減って、独りになって。普段通りでなんかいられるはずもない。


「すまない、語弊があるね。確かに、君がいた頃とまったく同じ生活はしてないよ」

「聞かせてください」

「……君は案外心配性だね。母親と思ったことはないんだろう?」

「まあ、そうだけど……」


 そうだけど、あの人が母親であることは事実だ。眉をしかめる僕を見て、ジェニファー師匠はなぜか笑みを浮かべた。


「彼女のところには、父上謹製の魔導人形(パペット)を送ってある。彼女になにかあれば人形が守ってくれるし、最悪私のもとへ便りが飛んでくるだろう。文字通りね」

「……その人形を信用していいんですか?」

「私たちの()()については知ってるだろう?」


 僕ら……僕とジェニファーの義理の父親。クレセント博士。現在の魔導研究における代表者のひとりに数えられる、偉大な人物だ。エーデルガルドへの入学を境に僕はクレセント家の養子という立場になり、名字を授かった。


 この辺りの事情はジェニファーも似たようなもので、一応僕らは姉と弟ということになっている。血の繋がりは一滴もない、奇妙な家族関係だ。


 尤も、僕がクレセント博士と顔を会わせたのは片手で数えられる程度の回数しかないのだけど。


 偉大な博士であり義父である人物の名前を出されては、これ以上食い下がるのは無礼というものだ。僕はそれ以上の言葉を飲み込むことにした。


「ふふっ。トーマ、君は本当に可愛いな」


 突然そんなことを口走るジェニファー。ぞわぞわ、と背筋に悪寒が走った。


「なっ、なんですか急に。気持ち悪いな……」


 そう言う僕の顔は赤いのか、それとも青いのか。変な汗が浮かんできたのは確かだ。


「いや。やっぱり子供だなと思って。とても一度死んだとは思えない人間らしさだよ」

「な……」


 彼女の発言に驚いて、周囲を見渡す。職員室にいる他の教職員や生徒は、自分達のことに夢中で僕らの会話には耳を傾けていないようだ。ひとまず安心して息をつき、ジェニファーに食って掛かる。


「言いふらすような真似はやめてください!」

「5年前まで言いふらしてたのはどこの少年だったかな」

「あの頃は……っ。頭の中まで子供だったんですよ」


 固めを閉じてうなずくジェニファー。これは適当に話を受け流してるときの反応だ。


「でも、母親が無事みたいで安心しました」


 聞きたかった話は聞けたので、僕はその場から立ち去ろうとする。


「わ、ちょっと。話はおしまい?」

「ええ。失礼します」

「せっかくの姉弟の時間なのに」


 僕は一度も姉だなんて思ったことはないけどね。ジェニファーだって、ぶーたれてはいるけれど姉弟よりも子弟という感覚のほうが強いだろうに。


「ジーニアスと約束してるんです」

「へえ、君が友達と。学生生活を楽しんでいるようでなによりだよ。担任じゃないのが残念だ」

「嫌味?」

「人付き合いが得意なほうではないだろう?」


 それはぐうの音も出ない事実ではあるけれど。日本でもこっちでも、レンスやレニのように進んで会話に参加するほどの積極性がないのは否定しようがない。


「じゃあ、僕は行きます。お仕事頑張ってください、師匠」

「ああ。迷惑かけない程度に楽しんでくるといい」


 ジェニファー師匠はそう言うと、小さく手を振って僕を送り出した。ジーニアスとの待ち合わせ場所は門の前。彼も誰かに用事があるということで、時間を空けての集合になっていた。


 学校の創立者であるエーテル氏の像と噴水を通り過ぎ、鉄格子の門へ急ぐ。師匠と少し話し込んでしまったせいで、予定よりも少し遅れてしまっていた。やや駆け足気味に向かうと、集合場所には3人の人影が待っていた。


「よう、遅えぞトーマ」

「あれ、レンス。……アルノーも」

 

 そこにいたのは、ジーニアスは当然としてもなぜかレンスと、獣人嫌いで有名なアルノーの姿もあった。「どうなってるの?」と子犬の少年を見やると、彼は普段通りの様子で口を開いた。


「レンス君がね、どうせなら俺もついていくって。で、レンス君がアルノー君に声をかけてね」 

「俺は……」「アルノーも仲良くなりたいってさ!」


 アルノーが青い瞳を逸らしながら何かを言いかけ、それを遮るように褐色の肌が割り込んでくる。どう考えても彼は真逆のことを言いたかったのだと思うんだけど、レンスは有無を言わさずにつれていくつもりなのだろうか。


「……いいの?」


 ジーニアスは、貴族育ちの彼が何らかの理由で獣人を嫌っていることを身をもって知っているであろう。まあ嫌だといってもレンスはアルノーを連れて無理やりついてくるんだろうけど、一番気がかりなのはこの獣人の男の子の気持ちだ。


「うん! みんなでいたほうがきっと楽しいもの!」


 満面の笑みでジーニアスは言い切った。疑念の余地もないほどきっぱりと。この子もこの子で日和見主義者というか、自分が嫌われているのをわかった上でこうも人懐っこく振舞えるのは驚きを通り越して呆れるほどだ。なんだか心配にすらなってくる。いつか悪い大人に誘拐されるんじゃないか。


 ……ああ、それで女子に人気なのか。見た目もかわいいもんな。僕が毒気を抜かれそうになる脇で、アルノーはさらさらの金髪をかき上げて頭を抱えていた。


「……で、なぜ俺は呼び止められたんだ?」


 心底うんざり、できれば早く帰りたい。そんな気持ちを匂わせる表情でアルノーが言った。


「遊ぶんじゃねえの?」


 とレンス。彼も用件を知らずに集まったらしい。視線は僕へ向けられる。あんまり言いたくないのだけど……。


「……文字の練習帳かなにか売ってないかなって」

「文字の練習だ? 読めればいいだろ、そんなもん」


 レンスはわかってない。まあ彼は普段の成績態度の割に座学は優秀だし、育ちもよさそうだ。僕ら狩猟民の悩みなんて考えようがないのだろう。


「はぁ……。それはお前だけだ、レンス。少しは恥や外聞という言葉を考えたらどうだ」

「周りがどう思おうが、俺は俺だ。トーマもそう思うだろ?」


 その考えを貫けるのは相当な馬鹿か天才だけだっての。


「アルノーに一票」「ボクもー……」


 横並びになって小さく手を上げる僕ら。3対1の多数決の結果、レンスは納得しかねつつも引き下がってくれるようだった。


「でもよ、ただ字を練習するだけじゃつまんねーだろ」

「んー、そうだねえ。たしかに飽きちゃうかも」


 確かにそれは一理ある。国語の漢字練習や英語の単語書き取りをもう一回繰り返すようなものだ、それがいかに退屈で面白みのない作業であるかということは身をもって体験している。


「でも、書く以外にどう練習すればいいのさ」

「うーん……。アルノー!」

「召し使いのように俺を呼ぶな!」


 眉をひそめ、レンスに食って掛かるアルノー。彼の家ではそんな風に執事やメイドに用を申し付けていたのだろうか。手を叩いて「セバスチャン!」みたいな。それは流石に漫画やアニメの世界の話か。でも現実は小説よりも奇なりと言うし……。


「だが、そうだな。要は文字を書けば練習になるのだろう?」


 僕が変なことを考えている間に、アルノーはなにかいい方法を思いついたようだ。その通りだとジーニアづが答えると、彼は自信ありげに言葉を続けた。


「とりあえず雑貨店にでも向かうぞ。モノがなければ話にならんからな」


 この貴族のご子息様はいったい何を思いついたのだろう。僕たちは歩きはじめたアルノーの後について、街で一番大きな雑貨屋へ向かうのだった。


 放課後の学生で賑わう雑貨屋にやってきたアルノーは、真っ直ぐに文房具が陳列されているエリアへ向かった。この店は入口の横がショウウィンドウになっており、この時期は学生向けの衣装や小物などの展示がされていた。服や文房具の他にも子供向けの玩具やアクセサリーなども売られていて、本当に「何でも屋」といった感じだ。


「こんなのはどうだ?」


 目当てのものを見つけたらしいアルノーは、分厚い表紙のそれを僕に手渡してきた。受け取ってみると、革の装丁がなされたそれは……日記帳?


「過行く日々を、自分の言葉で記録する。書き取りの練習よりも実践的で、いい案だと思うのだが」

「えー、面倒だな……いてっ」


 空いている手を使って無言でレンスの頭を叩く。日記帳を開いてみると、紙には罫線すら描かれておらずまったくの白紙であった。ページ数はそこそこ。1日1ページと考えれば、4カ月分くらいは使えるだろう。


「トーマ君、見せてみせて」

「うん」


 僕から日記帳を受け取ったジーニアスは早速表紙を開き、ページをめくりはじめた。気に入ったのだろうか、目を輝かせて棚に貼られた値札に視線を移し、消沈した表情でアルノーに本を押し付けた。


「ん……?」


 どんな意図なのかわからず、アルノーは日記帳を受け取り首を傾げた。ジーニアスがゆらりと指さした値段を見ても、やはりよくわかっていないようだった。


 まず、紙は貴重だ。とはいえ、小さな手帳程度なら僕らでも手が出せる程度の価格に抑えられている。


 魔導学院からは月々の生活費が支給されているし、この街の店は学生相手に値引きをしてくれるところが多い。おかげさまで、僕らはアルバイトなどをせずに勉強に集中できるというわけだ。


 しかし丁寧な革装丁がされたこの日記帳は、その分高級だ。購入しようものなら一か月分の生活費が消し飛んでしまう。まあ僕はほとんど買い物をしなかったのもあってお金は残っているのだけど、たぶんジーニアスはそうじゃない。帰りがけに買い食いをする彼を、僕は何度も目にしている。


 食べるのが大好きなジーニアスは、その分浪費家でもあるのだ。


「ごめんねアルノー君……ボクお金ない」


 悲しい瞳で見上げるジーニアス。なんだか日を変えて買った方がよさそうな雰囲気だ。


「食ってばかりいるからだ、バカ犬。それで夕食が口に入らないこともあったな?」


 アルノーが厳しい口調で叱咤する。口は悪いが、たしかにそれはジーニアスに非があることだろう。叱られている少年は耳と尻尾を垂らし、視線を床に向けてしまっている。


「自分が獣ではないというならば、知性で証明してみせろ。下らん浪費癖はさっさと直すことだな」

「ご、ごめん……」


 レンスと顔を見合わせる。……この2人、いつもこんな感じなのだろうか。


「ふん……。トーマ、このバカに気を遣うことはない。金があるなら遠慮せずに買うがいい」

「あ、うん」


 アルノーは持っていた日記帳を僕に無理やり押し付けると、自分は棚に並んでいた別の一冊を手に取った。


「あ、おい。お前それどーすんだ?」


 清算に向かおうとするアルノーに気付いたレンスが声をかける。


「自分用だ。……なにか習慣づけるのもいいと思ってな」


 結局アルノーはそのまま日記帳を購入し、ひとりで先に家へ帰ってしまうのだった。

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