007. 授業風景
「ヤバいヤバいヤバい、明日はもっと早く起こしてくれ! もぐもぐ……」
「起こしても起きないじゃない。あ、こら! 食べながら着替えない! ジャムが服についちゃうでしょ!」
毎日のことだが、レンスが起きだしてきてからの朝はとても賑やかだ。
いつも時間ギリギリになってから目を覚ますものだから、レンスは大急ぎで登校の準備をする。いろいろと大雑把に事を進めようとする彼が放っておけず、ミカエラが世話を焼くのもいつもの光景になりつつあった。口ではレンスのことを悪く言いはするが、なんだかんだで二人は結構仲がいいのだ。と思う。
「教科書!」「持った!」
「筆記用具!」「持った!」
「寝ぐせは?」「直した!」
「顔は?」「ハンサム!」
「……洗ったの?」「おう!」
というか、まるで小学生の母親だ。
「準備ができたなら早く行こう。また遅刻するよ」
寝起きが遅いレンスと違って、僕とミカエラはとっくに着替えて準備を済ませている。あとはレンス待ちだ。
「うっし! 行くか、学校!」
目が覚めたばかりとは思えないはつらつとした声でレンスが言う。僕らは家に鍵をかけ、通学路を急ぐのであった。
エーデルガルドの市街地を駆け抜け、学校……もとい城の門までの道を急ぐ僕たち。停止した時計塔がそびえる広場を抜けて、門までやってきた僕らの前に、とある男性が待ち受けていた。
「……」
入学式の日にも見かけた、ヒューマンの男性魔導士だ。名前はクラウス・マグヌス。数ある魔導の分野の中でも、特に錬金術と分類されるものに精通している。あくまで錬金術が得意というだけであり、ほかの分野、例えば魔導の代表格である魔術に関しても並みの魔導士より優秀なのだそうだが。
「……今日はまだ余裕があるな」
低くて若干ねっとりとした独特な声が、冷たい空気に不思議と通る。銀髪オールバックで顔にタトゥーを入れた見た目ヤクザのクラウス先生は、もう話すことはないとばかりに僕らから目を逸らした。
……この人、妙な威圧感があってどう接したらいいかわからないんだよな。
「今日はちゃんと起きたぜ、クラウス先生!」
そんなクラウス先生に、いつもの調子で胸を張るレンス。彼も彼で、物怖じというものを知らないようだ。
「あたりまえだ。さっさと行け、馬鹿者が」
レンスを睨みながら、虫を払うように手を振るヤクザ先生。我らが遅刻常習犯候補は「あーい」と能天気に返事をしながら城へ向かうのだった。
「……苦労をかける」
すれ違いざまに、マグヌス先生が呟く。僕らには苦笑いを返すことしかできなかった。
僕ら一年生の教室は城の一階、玄関ホールから左手側の通路に入った先に並んでいる。ひとクラス32人、または31人からなり、各教室の担任教師は入学式のあの日新入生の前に姿を現したあの3人だ。
僕たちのチームは3番目の「星」学級に振り分けられ、担任はいつも笑顔のエマ・プラトー先生。ハーフリングの女性魔導士だ。ほわほわっとした雰囲気と他の二人にはない丁寧な話し方が特徴的で、マグヌス先生が冷血硬派な印象なら、この人はその真逆と言えるだろう。
そんなエマ先生は、遅刻せずに教室へやってきた僕たちを見てほがらかに言った。
「あっ! 今日はちゃんと時間前に来れましたね。明日からもその調子でね?」
先生との約束だよ?と唇に指をあて、ウインクする。
これはハーフリングが抱えがちな悩みなのだそうだが、彼女たちは他種族と比べて極端に身体が小さく、成人してもヒューマンの子供程度までにしか成長しない。そのためオトナに強い憧れを抱きがちというか、必要以上に背伸びした、あざとい仕草をしてしまうのだそうだ。
エマ先生に関しては特にそれが顕著で、同族のクラスメイト、レニをもってして「きつい」と言わしめるほどであった。
「おう! 善処するぜ、エマちゃん先生!」
「ふふっ、よろしい。トーマ君とミカエラちゃんも、気を付けてね?」
そう言われて、僕とミカエラが目を合わせる。
「……ええ、気を付けますとも」
「フライパンで殴るくらいは必要かもね」
僕らの遅刻の原因が一番活きのいいレンスにあるだなんて、エマ先生は考えもしていないのだろうか。それとも、チームだから連帯責任ということで僕らにもお叱りが飛んだのだろうか。……クラウス先生の反応を見るに、後者なのだろう。
「さあ、みんな席について。ホームルームを始めましょう!」
エマ先生は胸元で手を合わせ、微笑むのだった。
○ ○ ○
エーデルガルド魔導学院は、その名の通り魔導を教える学校である。
では、魔導とは一体何なのか。学校の授業はそういった話から始まった。
魔道とは何か。簡単に言えば、人為的に引き起こされる超自然的な現象全般を指して使われる言葉だ。魔術や錬金術、魔物の研究などといったエーテルが関わる学術などが含まれる。
日本でいうところの「科学」が一番近い言葉だろうか。魔術や錬金術は、物理や化学といった一分野を指す言葉にあたる。
つまり魔導はこの世界における普遍的なテクノロジーであり、あたりまえに使われている技術なのだ。といっても、普通の人が何の障害もなく扱えるほどハードルが低いわけでもないようだ。その証拠に、僕が暮らしていたような小さな村に魔導を修めている人間はいなかった。
「使うのが大変だけど便利なもの、って程度の認識でいいんだけどね~」
エマ先生は朗らかに言った。
「魔導士にとって重要なのは、自分たちの力をどう扱うかです。あなたたちはそれを学ぶためにこの学校に入学したのですよ」
こう前置いて、一日の授業が始まった。
エーデルガルドは大陸中から生徒を集めるという特性上、勉強に関しては魔導に関わらない部分、例えば読み書きであったり、簡単な足し算引き算であったりといったものから始まった。僕にとってはこれが非常に助かった。
いまの僕は本質的に日本人のままだ。物事を考えるとき、頭の中では日本語で喋りまくっている。もちろん他の人と話すときにはこっちの言葉で話すけれど、自分の言葉をすべて文字に起こせと言われてもそれは無理だ。僕が書ける文字は自分の名前や一部の名詞――村における猟師の子供として必要最低限のものしか知らないからだ。
で、不思議なのが数学だ。1足す1は2、そんなものはこの世界でも同じだ。どんなに複雑な計算式だって、結果は地球と同じになることだろう。なんでそんな当然のことを不思議に思ったのかというと、この世界には魔導があるからだ。
魔導、とくに魔術と呼ばれる一分野は過程を無視して結果を引き起こす、いろんな法則を完全に否定するものだ。これを数学になぞらえるなら、途中式をすべて飛ばして答えを出しているようなもので、いきなり答えを出せる魔導士にはいらない。ここに来るまではそんなイメージを持っていた。
でも実際、魔導士にも計算は、というか、魔導士にこそものを順序立てて考える力は必要だ。
「ではカレンちゃん。あの人形へ向かって『炎の矢』を撃ってもらえますか?」
これは入学から二週間が過ぎた日のこと。城の地下運動場に集められた僕らのクラスは、たくさんの魔導人形たちと対峙させられていた。
謁見の間以上にだだっぴろい空間の真ん中に佇む人形は、直立して生徒たちをじっと見つめている。魔導人形自体はここにいるみんな、入学式の実力試験で一度は目にしている。けれどもそこにいる人形は、僕らの記憶にあるものとは少し違っていた。
「エ、エマ先生。あの人形、鎧を着けていますよ……?」
「ええ、そういう授業ですもの。とりあえず言われたとおりにしてみてくれる?」
「は、はい」
カレンと呼ばれた黒い髪のヒューマンはおどおどしながら頷き、鎧人形に手を向け詠唱を始める。
『――炎の矢!』
詠唱と共に彼女の手元にひと塊の炎が浮き上がる。燃え上がる矢じりとなったエーテルは、カレンの言葉が終わるとともに弓から放たれるがごとく鎧人形を目がけて飛んで行った。
人形に着弾し、炎が爆ぜる。まき散らされた火花がもとのエーテルへと還元され、魔術は跡形もなく消え去った。
「えっと……これでいいですか?」
不安そうに尋ねるカレン。エマ先生は「うん、ありがとうカレンちゃん」と不安げな少女を見上げた。
「さて、みんなに問題です。魔術が当たった前と後、鎧は何が違うでしょうか」
生徒たちがすこしざわめいて、やがて子犬の手が挙がった。ハーフリング族と同程度の低身長にして、思わずモフモフしたくなるような毛並み。すっかりクラスのマスコットになりつつある獣人のジーニアスだ。僕の見立てでは、彼の犬種はポメラニアンだろう。
「はいっ! たぶんボクわかります!」
「それじゃあジーニアス君、お願いしようかな」
「はい! なんにも変わってません!」
自信満々に言い切ったジーニアスに、クラスのみんながぽかんとする。何が変わったのかという問いなのに、何も変わっていないというのはどういうことなのだろう。
「うん、正解です。よくできました!」
「やった! へへ、褒められちゃった」
ジーニアスが尻尾を振り自慢げに見上げたのは、彼と同チームのアルノーだ。アルノーは露骨に嫌そうな顔をしながら目を逸らすと、エマ先生に質問を投げかけた。
「……説明をしていただいても?」
「そーだよ! つまり何をさせたかったの?」
便乗したのはハーフリング族のムードメーカー、ミカエラがたびたび話題に上げるレニという赤いおさげ髪の少女だ。
「問題です。この人形が藁のかかしだったらどうなるでしょう?」
「えっと、魔術で作られたものはすぐに消えちゃうから、かかしでも鎧でも火はつかない? あれ、でもお母さんは魔術で火おこししてた……」
魔術は結果のみを引き起こすものであり、そこに過程は存在しない。つまり、そこにあり続けるための根拠が薄いため、短時間で跡形もなく消えてしまうのだ。レンスは魔術で剣を作っていたが、あれも術者の集中力が切れればすぐに消滅してしまう代物だ。
「それじゃあ、実際にやってみようね。レンス君、倉庫からかかしを持ってきてくれる?」
「あーい。トーマ、手伝ってくれ」
「わかった」
レンスと2人で運動場の倉庫からかかしを運び、鎧人形をどかして同じ場所に配置する。こういう地味な仕事を魔導の力で済ませてしまえばいいのにと思わないでもない。
エマ先生は僕らをねぎらった後、カレンにもう一度術を使うように指示した。
『炎の矢』が放たれ、かかしにぶつかり爆発する。炎の塊を浴びせられたかかしはもちろん、ぱちぱちと音を鳴らしながら炎上。あまりにも普通の出来事に、生徒たちは首を傾げた。
「あの……エマ先生?」
これでいいのかと、カレンが先生の名前を呼ぶ。
「うん、ありがとうカレンちゃんっ」
エマ先生がにこやかに言うと、黒髪の女子生徒はほっとした表情でレニの後ろへ戻った。
「えー。見ての通り、藁に炎の術を使えば燃えます。普通のことですね」
うんうんと頷く僕ら。何も不思議なことはない。
いや、不思議な力で不思議じゃないことが起きることこそ不思議なのではないか。……よくわかんなくなってきた。
「……なんで燃えるんですか?」
我慢できなくなって質問をしてみる。
「乾いた植物を燃やせばこうなるのは当然だろう」
とアルノーがあたりまえのことを言う。
「そうなんだけど……エマ先生。結果だけが生まれる魔術なのに、それ自体が自然現象の過程になるってことでいいんですか?」
「あはは、トーマ君は難しいことを言うね? んー、でも正解かな」
炎に晒されるかかしを背景にエマ先生が微笑む。ちょっと怖い。
「アルノー君の言う通り、これは当然のことです。藁に火をかければ燃えるし、刃物で人を傷つければ血が流れます。魔術で作った偽物でも、自然に生まれた本物でも、それは同じです」
打って変わって真剣な顔つきで、エマ先生は言葉を続けた。
「理屈はどうあれ、魔導の力を使えば必ず影響がでます。だから、後先考えずに力を使うのはやってはいけないことです。じゃないと……」
かかしが焼け崩れ、火花が舞い上がった。床に倒れた黒い残骸は、もはやそれが一応は人の形を模していたものだと認識するのは不可能なほどだ。
「こんな風になっちゃいますよ?」
誰かが息を飲む音が聞こえた。先生はおどけたように再び微笑むが、その表情には妙な威圧感が含まれるのだった。
魔導は便利であり、危険な力。自分の行いがなにを引き起こしてしまうのか、十分に計算し、考え抜いたうえで使わなければならない。
ただの灰になり果てた藁人形を見て、僕らは力の使い方について考えるきっかけを得るのだった。
「まあ、それはそれとして。この時間は魔術の実践です」
先生が右手をあげると、倉庫からたくさんの鎧人形が自分で歩いてくる。その数8体、クラスに所属するチーム数とちょうど同じだ。
「普段のチームで集まって、実際に魔術を使ってみましょう!」
「えー……」
魔術の危険性を目の前で示したうえで、今度は実践ですか……。
みんな若干及び腰になりつつも、火や水が飛び交うこの時間は騒がしく進んでいくのであった。