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006. 新しい朝

 今朝は山向こうに太陽が覗く、晴れ晴れとした日だ。2段ベッドの上段から降りて寝室の窓を開けると、ひんやりとした空気が吹き込んでくる。僕は身を震わせながら、白い息を吐きだした。


 部屋には二段ベッドが2組あり、片方は僕とレンスが、もう片方はミカエラが1人で使っている。入学パーティーが行われた初日は「男子と同じ部屋で寝るなんて!」と抵抗していた彼女だったが、一週間が過ぎた今では渋々ながら異性と共同生活することを受け入れつつあるようだった。


 とはいえ、彼女の気持ちがわからないわけじゃない。男女で感じ方の違いはあるだろうけど、僕だって彼女と同じ部屋で生活しているという事実に多少の緊張感を覚えている。それが一般的に美人だらけとされるエルフの女の子ともなれば余計に、だ。


 ただ、僕がそんな風に感じている一方でレンスはちっとも気にしていないようだった。


 彼は風呂から出れば部屋を裸でうろつくし、性格ゆえなのか直接触れるようなスキンシップも多い。僕は別になんてことはないのだけれど、女の子のミカエラにとっては厄介な相手であるようだ。


 ……まあ、ふたりとも眠っている間は大人しいものだけど。枕に顔をうずめて安らかな寝息を立てる2人を見おろすと、僕は自分の頬がすこし緩んだような気がした。


「……さて、朝ごはん買ってくるかな」


 頭の上で腕を組み、背中を伸ばしながら呟く。部屋に時計はないけれど、太陽の向きを考えると今は午前5時くらいだろうか。一番早く目が覚める僕が食事の調達に向かうのは、至極当然のことだ。寝間着を着替え、学院のローブを羽織り、僕は2人を起こさないよう静かに家を出た。


「寒っ」


 扉を開けて外に出ると、ひんやりとした空気に全身が包まれた。あまりの冷たさに思わず声が漏れてしまう。


「寒っ」


 すぐ隣の家からまったく同じセリフが聴こえてきた。


「……おはよ」「……ああ、クレセントか」


 隣家に暮らす貴族の少年――アルノー・ルーシェと僕は互いに短い挨拶を交わすのだった。


「朝食の準備か?」


 気まずそうにアルノーが尋ねてくる。僕は「そうだよ」と短く答えると、朝日が差し込む通りを歩きだした。彼は「そうか」と言って、僕の後についてくるようだった。


「君も?」


 同じ道を歩き始めた彼に、気になって今度は僕の方から尋ねてみる。


「ああ」


 アルノーは短く答え、あとから言葉を付け足した。


「……部屋がケモノ臭くてな」


 その言葉を聞いて、僕は少しむっとした。彼の言うケモノとは、彼と同じチームになってしまったジーニアスという獣人の少年だ。そのジーニアスがアルノーを害したかというと、僕が知る限りではそんなことはない。むしろ彼がジーニアスを一方的に嫌っているようにすら思える。


 その理由はわからないが、先日の試験で「獣人だから」という差別的な理由で同級生へ剣を向けてしまった彼への風当たりは、その事実が吹聴された結果かなり強いものになっているようだった。


「そういうの、あまり言わないほうがいいんじゃないの」

「……すまない」


 かといって、積極的でないにしろこうして彼と話しているとあまり悪い印象を受けないのもまた事実だ。初日に起こした出来事に対して、後ろ暗い気持ちを持っているのではないかと感じることすらある。……どうやら僕自身は、彼のことをそれほど嫌ってはいないらしい。


 だって、毎朝ルームメイト全員の朝食を準備しているのはアルノーだし、僕は毎朝そんな彼を見ているのだから。心の底から嫌な奴と決めつけるのは早計にもほどがあるというものだろう。


「なあクレセント」

「なに?」


 まだ人通りの少ない大通りにやってきた僕とアルノーが目指すのは、時計塔の広場から少し外れた場所にあるベーカリーだ。これまでは一緒になることはあっても、お互い黙っていることが多かった僕らだけれど、今朝は天気がいいからか共に口数が多いように思える。


「お前の暮らしていた場所に獣人はいたか?」


 少し間を開けて、言葉を選ぶ。住んでいないというのは事実だが、適当な答え方ではないだろう。村に暮らしてはいなくても、遠方から訪ねてくることは少なくなかったのだから。


「僕は村で猟師をやっててさ。鹿とかうさぎとか、そういうのを狩って生活していたんだ」

「? なぜ生い立ちを話す」

「順を追って話そうかと思って」


 にしても、少し遠回り過ぎたかもしれないけど。でもまあ、構わず話してしまおう。減るものではないし。


「で、森には動物の他に魔物も暮らしていてね。流石に奴らを食べるのは無理だから、倒してもしょうがない。けれど猟師が魔物を狩ることで村の安全を守られる側面もあるから、相手をしないわけにもいかない」

「衛兵のような役割も兼ねていたのか」


 脱線した話ではあるものの、アルノーは興味深そうにうなずいてくれる。


「それで本題の獣人だけど、僕が知っている獣人は魔物の角や骨を買い取ってくれる仕事をしていた。僕ら猟師は、商人の仕入れ先でもあるんだ。その商隊は季節に一度は村に訪れて、不用品を引き取ってくれる。そんな人たちを邪険にはできないでしょ?」

「彼らとの交流が生活の一部だったということか。……俺の故郷(くに)とは大違いだ」

「アルノーの故郷って?」

「小さな、いまにも消えそうな国だ。歴史だけは無駄に長い、な」


 そう言う彼は、自嘲しているようにも見えた。


「その商隊は魔物の骨なんか買い取って何に使うんだ?」

「さあ……使い道までは聞いてないなあ」


 ほかの村人が聞いたことならあるかもしれないが、居心地が悪くて取引を済ませたらすぐ引き払うことが多かったからわからない。商隊のほうは魔導の力で魔物を狩れる僕をいい商売相手だと言ってくれていたけれど、まともに会話したのはほんの数回だけだ。


 話をしているうちに、目的のベーカリーまではすぐそこの距離になっていた。香ばしい匂いが鼻をくすぐり、急にお腹が空いてくる。たまらず店の扉を引っ張ると、客の入店を告げるベルが高らかに鳴った。


 買い物を終えた僕らは大きなの紙袋を持って道を引き返す。僕よりも大量の焼き立てパンを抱えたアルノーは、何かを考え込んでいるようにも見えた。




 家に戻ると、寝癖をつけたミカエラが寝室から出てくるところだった。彼女が開けたドアの向こうからは、深い寝息が聞こえてくる。


 ルームメイトであるエルフ族の少女はゆっくりとドアを閉めると、僕が抱えているものを見て一言。


「寒いのに毎朝ごめんね」


 申し訳なさそうにしつつも、彼女の視線は買い出されたばかりの焼きたてパンに釘付けになっている。僕は思わず笑みを漏らしながら、リビングのテーブルに紙袋を置いた。


「朝が早いのには慣れてるから。気にしないで」

「私たちエルフも朝は早いほうだと思っていたけど。トーマ、貴方には負けるみたいね」

「罠の確認とか、やることは多かったから。父親が死んでからは特にね。レンスは?」

「聴こえたでしょう? きっと今日もギリギリまでぐっすりよ」


 肩を竦めるミカエラ。だよね、と手を洗いながら僕も同意を示す。


 このエーデルガルドという場所に来て最初に知り合ったレンスという褐色肌の青年は、どうにも不規則な生活習慣であるらしかった。


 出身地による時差ボケがあるとしても、すでに入学から1週間が過ぎている。彼は夜更かしが好きで起床が遅いという、僕やミカエラとは対照的な生活が染みついているようだ。


 新しい生活もこれだけの時間が経てば自然と慣れるもので、ミカエラはさも当然のことのようにテーブルに皿とコップを並べ、水をそそぐ。


「……さ、あいつは放っておいて食べちゃいましょ。寝坊助さんには冷たいパンがお似合いよ」

「あはは……ちゃんとレンスの分も残しといてよ」

「あら、私そんなにごうつくばりに見える?」


 少なくとも食い意地は張っているだろうに。口に出したら機嫌を損ねるだろう。


 ミカエラは台所の保存箱からジャムの入った小瓶を取り出し、テーブルに置く。ベリー系の果実を煮詰めて作られたそれは、甘さ控えめだが贔屓目抜きでも絶品といえた。


 惜しむべくは、材料になる果実がこの雪山の麓では手に入りにくいことだ。ミカエラは同居人だからという理由でその絶品のジャムをわけてくれるのだが、こうした楽しみはなぜだか特別なものに感じられる。


 故郷の村……四方を森に囲まれた静かなあの村で、僕と血縁上の母は質素な暮らしをしていた。


 理由の大半は僕が魔術を覚えだしたことで気味悪がられ、村人との交流が極端に減ったことにある。僕がエーデルガルドへ出たことで、あの人は独りになってしまった。僕があの人を不幸にしたことは、きっと間違いないだろう。


「どうしたの? ……食欲ない?」


 緑色の瞳が僕を覗きこんでくる。


 僕は頭を振ると袋の中から大きな堅焼きパンを取り出し、魔術で創出した小さなナイフで半分に割った。パンが固いのは外側だけで、中は意外とふわふわしている。


「そういうの、よくサラッとできるわよね」

「そういうのって?」

「あなた、当たり前みたいに魔術を使うじゃない。便利な道具がいつも手元に置いてあるみたいに」


確かに、意識せずに使おうとするのはスマートフォンを持っていた頃と似た感覚かもしれない。早死にしたとはいえ、僕だってそういった習慣は持っていた。


「変かな?」

「魔導士はそれが普通なのかしら」

「さあ……。僕は便利だからやってるだけで」


割った半分をミカエラに渡す。


「ありがと。こうして朝食をとるのも、なんだか慣れてきちゃったわね」


 エルフの少女はそう言って微笑むと、ジャムを塗ったパンを口に運んだ。


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