002. 雪山の旧都
門をくぐり街に入ると、いままで僕が暮らしていた村との違いに開いた口が塞がらなかった。
エーデルガルドの都は昔から魔導学院を擁する歴史の長い街であると目の前にいる魔女から教えられていた。ここは最も古く、最も新しいものが集まる場所だとも。
しかしこれは想像以上だ。自分の村がいかに閉ざされていた環境だったかを人目で思いしることになるなんて。
「ようこそ、世界一の先進都市へ」
わざとらしい口調でジェニファーが言う。しかし僕の目に彼女の姿は映っておらず、視線は馬車の外に溢れる不思議な世界にばかり向けられていた。
まず目に映ったのは、都市の中心に立つ巨大な時計塔だ。頂上には黄金の鐘楼があり、あれを鳴らして街の人に時間を告げるのだろう。この塔がエーデルガルドという街のシンボルなのか、周辺はたくさんの人でにぎわっている。
正面の大通りで雪かきをするエルフ族。資材を乗せた台車を引くドワーフの民の行き先は、路地の向こうに見える黒煙を上げる石の建物だろうか。別の場所に目を向けると、ハーフリングの兄弟がジョッキの看板を掲げた店に意気揚々と踏み込んでいった。
柄にもなく興奮する僕を見て、ジェニファーが笑う。
「他の種族を見るのは初めて?」
「ハーフリングの商人なら村に来たことがあります。でも他は……あっ、あそこにいるのは獣人?」
全身が毛に覆われた犬そっくりの人物が馬車のすぐ横を通り抜けていった。まだ子供だろうか、肉球つきの手におもちゃの杖を握って、別種族の子を追いかけている。
「ほかの街もこうなんですか?」
「というと?」
「いろいろな種族の人たちが一緒に暮らしているのかってことです」
ジェニファーはああ……と息を吐き、首を振った。
「酷いところでは、特定種族以外に人権を与えないっていう場所もある。エーデルガルドに多くの種族が暮らすのは、ここが魔導士の学校だからさ。まあもっとも……」
「もっとも?」
「いや、どうせすぐにわかる。教師の立場からすれば、わからせるとでもいうべきか」
なぜだか薄ら笑いを浮かべて魔女が言う。何かを楽しみにしているような、底意地の悪そうな顔だ。
街の入口とは別の大きな門の前までいくと、馬車の動きが止まった。
「さてトーマ、身だしなみは整えたね?」
「昨日の宿で散々確認して、今朝だってしつこいくらいに」
言いながら、身に着けているローブを大きく広げて見せる。
僕が着ているのは金の刺繍が入った教師用のものとは違い、黒い布の縁に赤い刺繍が入ったものだ。これは入学年度を示す色であるらしく、同じ色のローブなら同級生ということであるらしい。要はこれが魔導学院の制服というわけだ。
「寝ぐせは? 顔は洗ったか? ちゃんと歯は磨いたんだろうな?」
「何回おなじことを訊くんですか。直しました、洗いました、磨きました!」
「そうか。ならいい。……嘘はついていないな?」
「嘘を見破る術を使ったって構いません。僕のこと、どんだけ信用してないんですか」
「いや、どうも不安で……」
ジェニファーがここまで心配するのには訳がある。エーデルガルドに到着した今日この日が、学院の入学式当日なのだ。計画的なのか無計画なのか、僕らに時間的余裕はほとんどない。一刻も早く校舎に入らなければならないのだ。
「よし、では降りるぞ。ドアを開けてくれ」
彼女に従い馬車のドアを押し開けると、わずかな隙間から吹き込んできた雪混じりの風が僕の身を震わせた。
乗り物を降りて御者を見上げると、魔導人形の彼はやはりこの寒さをものともしていない。馬たちは白い息を吐きながら鼻を震わせ、暖かい場所へ入るのを心待ちにしているように見える。単に今の自分の気持ちを馬たちに投影しているだけかもしれないが。
僕に続いてジェニファーが降りてきた。彼女は大きなつばがついたいかにも魔女らしい黒の三角帽子をかぶると、目の前にある巨大な鉄柵の門と向き合った。
鉄柵の中央部にはトゲが生えた円のようなレリーフが飾られており、それが魔導学院でよく使われるマークであることを思い出した。確か、皆既日食の瞬間を象っているのだったっけ。
「閉まってますけど」
「勝手に開くんだ。許可さえあればね」
彼女が門に近づくと、日食のレリーフが薄く光を放った。レリーフが二つに割れ、誰かが動かしているわけでもないのに鉄柵が左右に開きはじめる。
「まるで自動ドアだな……」
そう呟いてしまい、慌てて口を覆う。地球の言葉はできるだけ口にしないほうがいいというのは、この世界で学んだ教訓のひとつだ。いまだって口をついて出たのはこの世界の公用語ではなく、日本の言語だ。
「いまのはなんて言ったんだ?」
聞き逃さなかったジェニファーが顔を近づけてきて、悪戯っぽく笑う。
「……ちょっと驚いただけです」
からかいたいだけの癖に。僕は彼女から目を逸らし日本語で呟く。
「まあ、私の前では構わないけれど、他の人に聞こえる場所でその癖は慎みたまえ。別世界の言葉だと知られれば正直、何をされるかわからないからね」
「わかってますよ」
若干語気を強めて言う彼女に、もう何度も聞いた話だと呆れ気味に返す。ジェニファーはため息をつくと、不意に僕の背中に手を回し、空いている手で門の奥を指さした。
彼女が示す先には、噴水の上に誰かの石像が立っていた。厳めしいひげを蓄えたその人物の台座からあふれる水は、像の足もとの泉から左右へ伸びる水路でどこかへ運ばれているようだ。
「あの像は?」
水辺に佇む老人の像を見ながらジェニファーに尋ねる。
「この学院の始祖、エーテル」
エーテル? 魔導の源になる物質の名前じゃないか。
「彼はこの世で唯一、世界の根源にたどり着いた人物とされている。もし彼がいなければ、この世に魔導士なんてものは存在しなかっただろうな」
「それって……」
現在エーテルと呼ばれている物質は、このエーテルという人物が発見されたからそう呼ばれている、ということだろうか。新種の動物に発見者の名前が付けられるのと同じだ。だとすると、とてつもなく偉大な人物ではないか。ニュートンやアインシュタインのような。
「まあ、彼のことは追々知ることになるさ。正面に城が見えるだろう」
街に到着する前からずっと見えていた山のような建物のことだ。石造りの城……というより、雪山を切り出して作ったかのようだ。背後にそびえる霊峰は、さしずめ学院の守り神といったところか。
「入ってすぐのところで新入生が待機しているから、何食わぬ顔で混ざるんだ。後から私も行く」
まるで遅刻しているかのような物言いが気になるが、言われたとおりにしよう。噴水前でジェニファーと別れた僕は、奥に見える城の入口へ急いだ。
石のアーチをくぐり重厚な木の大扉を開けると、建物の中から声が聞こえてきた。
エーデルガルド城のロビーにはすでにたくさんの新入生が集まっていた。ロビーの右手と左手には廊下が続いており、正面奥の両側から2階へ上がる階段が続いている。左右の階段が合流する踊り場からは、城の玄関先が丸ごと見下ろせそうだ。
同じ色のローブを身に着けた新入生たちは、ざっと見たところ100人近くはいるだろうか。種族も多種多様だが、僕と同じヒューマンが半数以上を占めている。
よくよく観察してみるとすでにいくつかのグループが出来ているようで、先行してエーデルガルドにやってきていた生徒の中ではある程度の人間関係が構築されているようだ。
あれ、なんだか急に不安になってきたぞ。僕はここで上手くやっていけるのだろうか。
話し相手もおらず、手持ちぶさたで視線をあちらこちらへ泳がせていると、ふいに誰かと肩がぶつかった。
「っと、ごめん」
「あぁ。……あ?」
反射的に言葉が出た。ぶつかった男子は僕の顔を見ると、眉間にしわを寄せてじぃーっと睨み付けてきた。
なにごとかと思って目を話せずにいると、彼はこっちの鼻先に指を向けて言った。
「お前、見たことないやつだな?」
「え? まあ、そりゃそうだろうけど……」
なにせさっき学院に到着したばかりなのだ。ド田舎の村出身だし、僕を知っている人間がいる方が不思議だ。
「俺のこと知ってるか?」
彼は親指を自分に向けて言った。
一歩退いて彼の全身を眺めてみるが……当然知りっこない。
僕よりも身長も肩幅もあり、肌は薄い褐色。髪は黒く瞳は茶色で、なんとなく中東の国を思い出す雰囲気だ。
僕が暮らしていた辺りにはこういったタイプの人は住んでいなかったはずだから、何度考えても知り合いじゃない。知り合い自体あまりいないのだけれど。
「知らないけど……」
「そうかぁ!」
答えると、彼はぱっと表情を明るくして喜んだ。知り合いだとなにか不都合があるのだろうか。
困惑が顔に出ていたのか、中東風の美男子はこちらを見ると咳払いをして気持ちを切り替えた。
「わるい、舞い上がった」
「べつにいいけど」
理由が気になるが、あとでいいか。とりあえず自己紹介をしよう。
「僕はトーマ。さっきエーデルガルドについたばかりで、君のことは知りもしない」
「ああ、そうなのか。随分ギリギリだな」
おかげさまで緊張する時間もありゃしない。
「レンス・アル・エルブラム・ガーティ。レンスでいい」
長い名前の彼は、微笑みながら右手を差し出してきた。僕も手を伸ばし、レンスと名乗った褐色の同級生と握手する。
「ずいぶん長い名前なんだね」
生まれてからついこの前まで、トーマという苗字のないの短い名前で暮らしてきた分余計にそう感じるのだろうか。話の種をつくろうと、僕は思ったことをそのまま口にした。
「フルネームはもっと長いぞ。親戚のおっさんの名前とかも入るからな。そっちはトーマだけ?」
「あるにはあるけど、慣れなくて。自称するのもおこがましいっていうか」
「養子?」
「そんなところ」
肩を竦めて答える。実際のところ、親代わりだというジェニファーとは姉と弟の関係のようだし、親にあたる人物とは一度しか顔を合わせたことがないのだけど。
「おっ、誰か出てきたぞ」
レンスが階段の踊り場を指さす。見上げると、金の刺繍入りローブをまとった女性が奥の階段を下りてきていた。そう、とても見覚えのある女性が。
いやほんと、いつの間に先回りしたのだろう。数分前まで一緒にいたはずなのに。
「静粛に!」
いつもとは違う、威厳のある声で踊り場の魔女――ジェニファーが言う。彼女の両隣には、同じく二階から降りてきた魔導士たちが佇んでいる。
現れた三人の魔導士に見下ろされた僕ら新入生たちは、口を閉ざして彼女たちの姿を仰いだ。
「ようこそ、エーデルガルド魔導学院へ!」
「魔導士のたまごたちよ、学院は君たちを歓迎しよう」
「入学の儀式は二階、謁見の間で行う。階段を上がった正面の部屋で待機するように」
魔導士たちは口々に言うと、新入生に背を向けて二階へ戻っていった。
まもなく、急に張りつめた空気をかもし始めた集団が両側から階段を昇りはじめる。
「行こうぜ」
レンスに声をかけられ、僕もその集団についていく。
指示通り階段を抜けてすぐの部屋に入ると、広間の最奥にある玉座の前で三人の魔導士が僕たちを待ち受けていた。その光景に多くの新入生が疑問をもった。
「なんだ、盛大に祝ってくれるんじゃないのか?」
僕の隣で褐色の少年が言う。きっと誰もが思ったことだろう。
100人近い人間が入ってもまだまだスペースに余裕がある謁見の間には、僕たち新入生とジェニファーたちの姿しかない。在校生の姿も、他の教師の姿もない。新入生の他にあるのは、炎が灯った燭台と薄ら笑いの魔導士たちだけ。
「盛大に祝うというのは間違いではないよ、レンス・アル・ガーティ君」
玉座の前に佇む魔導士が言った。顔に刺青を入れた、魔導士というよりマフィアっぽい見た目の男性だ。
「でも、俺たち以外に誰もいないじゃねーっすか」
新入生たちは頷きながら玉座のあるほうを見る。すると、もう一人の女性魔導士が口を開いた。一見すると子供に見える、ハーフリング族の女性だ。
「だって、新入生の実力テストに上級生は不要でしょ?」
「じ、実力テストぉ?!」
レンスが叫び、広間に集められた新入生たちがざわめき始める。
聞いてたか? と僕を見るレンス。当然知りもしないと、首を横に振った。
「内容をお聞きしてもよろしいですか」
困惑する生徒たちの中から誰かの白い手が挙がる。声の主は自分に視線が集まると、表情は変えずに長い耳の先を赤く染めた。
「お答えしましょう、ミカエラ・フォレブローシュさん。ですが今度から質問するときは、自分が指名されてからにしてくださいね」
「……すみません」
ハーフリングの女性魔導士はやんわりとした口調で長耳の少女を注意すると、一度咳払いをしてから彼女の質問に答えた。