009. 生徒たちの放課後 その2
「……買っちゃった」
雑貨屋を出て紙袋を抱えた僕は、罪悪感からか呟いた。
ジーニアスがしきりにボクのことは気にしないでと繰り返すものだからつい購入してしまったけれど、彼が欲しがっていたものを自分だけ手に入れるというのは、なかなかに酷いことをしているのではないだろうか。
「本当に気にしないでいいよ! お金が溜まったらボクも買うから!」
僕を見上げ、ジーニアスが言う。そんな風に言われてしまうとますます気まずいのだけれど……。
「気にしすぎるのも考え物だぞ、トーマ」
遅れて店から出てきたレンスが僕の肩に触れる。片手には僕の物より大きな紙袋を抱えており、彼もなにか買い物を済ませてきたようだった。
「済んだことは後腐れなく割り切っちまえよ。そのほうが互いに楽だぜ」
「そうそう! レンス様の言うとおりっ!」
大きく頷いて僕のルームメイトに同意を占めす犬獣人の少年。彼らの言うことにも一理あるのだろうけど、それが出来ればどんなに楽なことか。
「っていうか、様?」
僕の聞き違いでなければ、ジーニアスは彼の名前に様を使って呼ばなかっただろうか。不思議に思って二人の顔を交互に見ると、レンスは知らん顔をしているが素直な子犬はあわてて両手で口を覆い隠していた。やがて、敬意を含む呼び方をされた褐色肌の少年は諦めたように深く息を吐いた。
「……ジーニアス、出身は?」
「て、帝国東部の荒地にある小さな村です」
「ああ、あそこか。随分前に親父に連れられて行ったっけな」
ジーニアスの出身を聞いてなにか思い当たる節があったらしいレンスは、自分の腰上程度の身長しかない彼の頭に手をポンと置き、わしわしと強めに撫で始めた。
「あう」
割と強めに撫でつけたのか、ジーニアスからそんな声が漏れる。つまりどういうことなのかとレンスに視線を投げかけると、彼は困ったような調子で口を開いた。
「俺、地元じゃちょっとした有名人なのよ」
説明になっているような、なっていないような。追及しようかとも思ったが、たぶん隠していたことなのだろう。
「気にしすぎるのも考え物、か」
「悪いな。時期が来たらちゃんと説明するからよ」
すっきりはっきりとはしないけれど、いまはとりあえず胸にしまっておくだけにしよう。ジーニアスへの埋め合わせも、今度の機会を考えればいい。
「じゃあボク、アルノー君を追いかけなくちゃ。家の鍵当番、今日はボクなんだ」
「鍵当番? そっちは持ちまわり制なのか」
僕らの場合、鍵はその日一番帰りが早そうな人間が。要は僕かミカエラが管理することになっている。帰りのホームルームが終わって、放課後の予定が早く済みそうなほうが鍵を預かるのだ。今日は僕に予定が入っていたから、僕らの今日の鍵当番はミカエラだ。
「カレンちゃんがね、しっかり決めておこうって。それじゃあねレンス様、トーマ君!」
またレンス様って呼んだ。ジーニアスにとっては自然と出てきてしまうのか、今度は特に気にすることなく家がある学生区のほうへ走り出していった。隠してても簡単にバレるんじゃないのとレンスを見ると、彼は不安が隠せない顔でジーニアスの背中を見送っていた。
「で、何を買ったの?」
「懐かしい本があったからついまとめ買い。ウィーニーっつー劇作家知ってるか?」
「まさか。この世に劇作家がいることすら初耳だよ」
なんて大げさに言ってみたり。演劇というものに縁もゆかりもない生活をしていたのは事実だけれど。
「今度貸してやるよ。字を読む練習にもなるだろうし」
それは願ってもないことだ。こっちの世界に生まれてからは娯楽らしい娯楽をほとんど経験していないから、そのウィーニーという作家がどんな話を劇にしているのかとても興味がある。こっちでいうところのシェイクスピアだとか、それだって詳しくは知らないけれど、そんな感じの人なのだろうか。
「お。興味津々か?」
「……わかる?」
「顔に出てるぜ」
自分じゃ意識したことないけど、わかりやすい表情をしているのだろうか。無表情じゃつまらないし、困ることでもないだろうけど。などと思いつつ、手で頬に円を描いてマッサージしてみたり。
「ま、俺くらいになるとお前が考えてることくらい見りゃわかるってことだ。伊達に2週間過ごしてねーよ」
それはすごい。レンスの才能なのだろう。ジェニファー師匠なんてもう10年近い付き合いがあるのに、未だに僕の気持ちを汲んでくれないのに。
「さて、ミカエラを探そうぜ。この時間じゃまだ家に戻ってねーだろ」
家の鍵はミカエラが持っている。ひとまず彼女を見つけなければ中でこの山の寒さから解放されることはできないだろう。僕は「わかった」と頷くと、もうひとりのルームメイトを探して街をうろつくことにした。見つからなくても、時間つぶしにはなるだろうし。
と、意気込んだもののミカエラはすぐに見つかった。
「あっ、レンス! トーマ君も!」
「こ、こんにちは」
「よおレニにカレン。なんだ、女子は女子で一緒だったのか」
見上げれば動かない大時計。エーデルガルド市街地の中心部である時計塔広場に、彼女たちの姿はあった。エルフ族のミカエラと、ハーフリング族のレニ。それから、いつもレニと一緒にいるヒューマンのカレンだ。
カレンは背が高くて足が長くて、俗に言うモデル体型というやつで、ただその場にいるだけでも人の目を引く。けれど彼女自身は自分に自信がないのか、いつだってレニの後ろに控えているのだ。二人の身長差のせいで余計目立っているような気がしないでもないけど。
「どうしたの? ジーニアス君と用事があるって言ってなかった?」
ミカエラは想像していた取り合わせではない僕らを見て不思議そうな顔をする。ジーニアス、それからアルノーと同室の高低差コンビも同様だ。
「アルノーが先に帰るっていうから、ジーニアスは彼を追いかけていったよ」
「それで私のところに来たのね。……え、アルノーも一緒だったの?」
頷く僕ら。「へえ~、珍しいね」と足元……ではなく、腰ほどの高さからレニの声が聞こえた。
「確かに人当たりがいいやつじゃないけど……」
珍しいってほど人付き合いが少ないのだろうか、彼は。積極的に絡もうとしていないだけで、教室でも孤立しているというほどでもない。まあ、入学日の一件があるから大概の人には良くない第一印象になったかもしれないけど。
「あ、嫌われ者とかじゃなくってね。ほら、アルノーって見た目美少年じゃない?」
そうなの? とミカエラを見る。中性的な顔立ちをしているとは思っていたけども。
「エルフなら普通の顔よ」
聞く相手を間違えた。そりゃ眉目秀麗で有名なエルフ族だもの、イケメン美女の宝庫でしょうとも。でも裏を返せば、エルフに匹敵する顔の持ち主というわけだ。僕は顔を褒められたことなんて一度もないぞ、羨ましい。
「そんなわけだから、入学前からモテモテだったわけですよ。宿から出てくるだけで黄色い歓声が飛び交うの。『きゃーっ! アルノー様―っ!』って」
自分で見たのか、それとも伝聞なのか。多少なりとも誇張が混じっていそうな勢いと身振りで語り始めるレニ。その後ろで、両手を握ったカレンが力強く頷いている。
「……強烈なファンがいたわけだ」
「そ。当時はね」
「当時? ああ、そうか。いまはいないもんね」
言うなれば、売れっ子アイドルの人気が急に冷めてしまったような今の状況。入学の日にはそんな騒ぎの気配すらなかったから、ジーニアスへのバケモノ発言よりも前に理由があるのだろう。
「そう、あれはレンス君が女風呂へ突撃した日の前日のこと!」
「おいこらあれは……」「レニ、その話は……」
指をピンと立てて時系列の説明をするレニと、一足遅れて止めに入るレンスとミカエラ。レンスはともかく、どうしてミカエラまで耳を赤くしているのだろう。カレンを見ると、少し顔を伏せてレンスを睨みつけていた。
「えー、じゃあジーニアス君がエーデルガルドに到着した次の日? それともカレンが興奮して気を失う前の日?」
「普通に入学の3日前っていえばいいから!」
「それだとつまんないじゃん」
とりあえずレニがいろいろ知っているのはわかった。手遅れかもしれないけど僕も気を付けよう。
「で、その日ね。ある女の子がアルノーに告白しました。一蹴されました。女の子は泣きじゃくったそうです」
「あ、私も聞いたわ。罵倒悪口人格否定の嵐だったそうよ」
「……どう考えても盛られてるだろ、それ」
刺すような視線が三方からレンスに向けられる。ここにいる五人の中で誰よりも体の大きなレンスが、その瞬間だけ誰よりも小さく見えた。……女子って怖い。
要するに、アルノーの問題発言が乙女の傷心に刻まれた結果、大きく膨れて吹聴されまくったわけだ。彼の態度そのものに問題がないわけじゃない、というか彼は誰に対しても不遜で物言いがキツイところがあるから、それが誤解されたのだろう。
「エーテル無くして魔導はあらず、だよ! 女の子は勇気を出して告白したのにさ!」
なにその慣用句。……火のない所に煙は立たぬ、だろうか。たぶんそんな感じの意味だろう。
告白をした女の子の気持ちは想像できる。誰かに好意を伝えるなんて、思春期真っただ中の彼らにとっては一大イベントだ。それを一蹴されたとなると、悪口の一つや二つ言いふらしたくもなるというものだ。
けれど、見ず知らずの女の子に突然告白されたアルノーはどう感じただろう。普通に考えて断るのではないか。ましてや彼はどこかの国の貴族だという。おいそれと恋人を作れるような立場ではないだろう。
あれ、別にアルノー悪くなくない……?
喉元まで突き上げてきたその言葉を、寸でのところで飲み込んだ。下手なことを言ったら状況がこじれかねない。ここは聞きに徹するべきだ。……と、いつになく強張ったレンスの横顔が言っている。
「だ、だよね~……」
僕とレンスは、震えた声でその一言を絞り出すのだった。
一時しのぎはできた。が、この流れはマズい。いつかボロを出して刺されるのがオチだ。話を変えなければ!
「そ」
「そ?」
レニが詰まった言葉を聞き返してくる。
たかが1音を拾わないでほしい。プレッシャーで心が折れそうだ。
「そういえば、なんで3人はここに集まってたの? 時計塔、動かないんだよね?」
「そうなの! まさにそれなんだよトーマ君!」
食いついた! 心の中で小さくガッツポーズを決める。レニの話さえ切り替えてしまえればこっちのものだ。願わくば時計塔から恋愛話に戻らないことを。他の2人を見ると、まあいっかという感じで話を戻そうとはしてこないようだ。
「時計塔を調べてたのか?」
「ええ。レニがどうしても気になるんだーって」
目の前の時計塔を見上げてみる。白いレンガのような石をを整然と積み上げらて作られたような見た目で、南の方向を向いた巨大なアナログ時計と頂上の鐘楼以外、目立つ装飾は見当たらない。
この時計塔の不思議として僕が知っているのは、塔の四方を見る限りでは入口が存在しないということだけだ。それ以外に知っているのは壊れて止まっていることと、この街のシンボルだってことくらいか。
「入口はあったの?」
レニに尋ねると、彼女は首を振った。
「ぜーんぜん。学校の図書館でカレンが調べたけど、なにもわかんなかったの」
「街の歴史書とかは?」
「調べてみたけど……」
言葉に続き、首を振るカレン。なにもわからなかったってことか。
でも、それはそれで変じゃないか? 大きな建物だ、最近できたものなら必ず記述があるはずだろう。昔からのものだとしても、多少なりとも触れられるものではないのか。
「カレンさんその本、どれくらい前からの歴史が書いてあった?」
「えっと……一番古い記述は50年前、かな。学校が開かれた日のことだよ」
「じゃあこの塔、それよりも前からあったってこと?」
「たぶん……」
自信なさげにカレンが頷く。そりゃそうだ、本が全てに答えてくれるわけじゃないのだから。
仮に50年以上前からこの塔があるのだとして、これはどれだけ古くから建てられたものなのだろう。エーデルガルドの歴史については学校の授業で軽く教えられている。
魔導学校開校以前は城が廃墟として打ち捨てられていたこと、それ以前は魔導の祖とされる、人名のほうのエーテルさんが当時の権力者から授かった城だということ。エーデルガルドという地名は、その頃から知られるようになったという。当時の記録はほぼ残されていないが、少なくとも200年は昔のことだそうだ。
それからいくつもの衰勢を経て、現在のエーデルガルド。魔導技術の最先端であるこの街では日夜研究と研鑽が繰り広げられ、今ではかつての面影を多く残したまま、世界有数の都市になるまで発展した。その面影の最たるものがいまは学校になっている城と、おそらくはこの時計塔だ。
「お? もしかしてトーマ君、興味津々?」
考え込む僕の顔を、レニが覗き込んでくる。同族の気配を見つけた赤い瞳が輝き、少しかじかんだ鼻先がひくひくと揺れている。
「……わかる?」
「顔に出てる!」
どうやらレンスの特殊能力ではなかったらしい。そんなにわかりやすいだろうか、僕って。
「興味あるならさ、一緒に調べよ! ねっ?」
僕の手を引いて言うレニ。そりゃ僕だって時計塔の謎に興味はあるけれど、この子と一緒だといろんなところに振り回されそうだ。かといって、そんなものは断る理由にはできないし。
「へー、いいじゃんトーマ。やってみろよ」
「面白そうね。応援するわよ、トーマ」
……どうせなら他人面してるルームメイトたちも巻き込んでしまおうか。
「わかった、協力するよ。僕たちのチームが、みんなでね」
「ん?」「はい?」
首をひねる二人。まさか巻き込まれないとでも思っていたのだろうか。レニに付き合うと大変なのは目に見えているからって、居合わせた以上は逃がさないぞ。
「やったーっ! たのしくなってきたーっ!」
テンションが高まり、手を振り上げるレニ。それでも僕の胸元程度なのだけど。ふと顔を上げると、同じく楽しそうに微笑んでいるカレンのほころんだ表情が目に映った。
レニとジーニアスは同じくらいの身長。
トーマとミカエラはミカエラのほうが少しだけ背が高い。
レンスとカレンも身長だけなら同程度。
レニ=ジーニアス ≪ トーマ = ミカエラ < カレン = レンス