第4話 いきなり迷子になってしまいました
私たち見つけて、港まで乗せていってくれた漁師さんにお礼を言った後、私とヴァーテルは船を降りて港町を歩いていました。
「やっと陸だ! 助かったんだ!」
ヴァーテルが大きく手を空へと伸ばしながら言います。
それはそうでしょう。あの流氷の上に私よりも長い期間いたのですから……私としても、流氷の上からの生還に喜びを全力で表したいところです。
「それで……とりあえず、どうするんですか?」
そんな雰囲気に水を差しては申し訳ない。そう思いつつも、私が尋ねると彼は少し空を仰いでから私の方を見ました。
「そうだな。とりあえず、宿を探す。話はそれからだ」
そう言ってから、ヴァーテルは町の方へと歩きだし、私もそれについて歩きだしました。
*
小さな港町の大通り。私とヴァーテルはその通りの中央を闊歩していました。
通りの左右には石造りの建物が並んでいて、その前ではいくつもの露店が活気にあふれた様子で商売をしています。
買い物をしようにもこちらの世界のお金を持っていないので、買い物客だと間違われない程度に距離を置いて露店を覗いてみると、酒屋な果物、野菜といったものが売っているのですが、たまに見たこともないような珍品やファンタジー小説にでも出てきそうな剣と盾をはじめとした武器、いかにもといった雰囲気の洋服など、ありとあらゆる事実が自らが異世界に飛ばされたという事実とこの世界の文化レベルを私に伝えてくる。
中でも、大道芸人が(魔法を使っていると思われるが)糸なしで空を飛んでいるさまを見たときなどは自分の目を疑ってしまいました。
「そこの姉ちゃん! 何を探しているのか知らないが、この薬。安くしておくよ!」
「あぁいえ……そういうのは……」
市場の中を物珍しそうにあちらこちら見ながら歩いているせいか、時々商人に話しかけられるのですが、残念ながら私はこの世界の通貨を知らないので商品の購入を断りながら人ごみの中を進んでいきます。
「なんでこう……話しかけられるのでしょうか」
なんとなく理由はわかりつつも、私はヴァーテルに問いかけます。
「ここは港町で今は夕方だ。ここに住んでいるのは漁師が多いが、その家族もいるからな。おそらく、夕食の買い出しに来た女性だと勘違いされているんじゃないか?」
「あーなるほど……」
納得しました。確かに日本の商店街でも夕食の買い出しをするような時間に、あちらこちらを見ながら歩いている人物がいれば買い物客だと思われて声をかけられるのは当然でしょう。
そんなことを考えている間にもヴァーテルは人ごみの中をどんどんと進んでいき、気が付けば徐々に私との間が開いてきました。
「あっちょっと! 待って!」
私は焦って声を掛けますが、私のか細い声は人ごみの雑踏にかき消され、やがてヴァーテルの姿が見えなくなりました。
彼の名前を何度か呼びますが、彼が気づくことはありません。
「……困ったなぁ……」
ヴァーテルの姿を完全に見失った後、私はわき道に避けて立ち尽くしました。
ただでさえ勝手がわからない異世界。そんな中での唯一の知り合いを見失うというのはかなりのピンチだといえるでしょう。
とりあえず、今は完全にその姿を見失ってしまったヴァーテルを探し出さなければなりません。
「さて……どこから探しましょうか……」
口には出してみたものの、何か当てがあるわけでもないので私は、ヴァーテルが立ち去って行った方向に向けて歩き始めました。
*
ヴァーテルは小さな港町だ。といっていたものの、町というぐらいですから、広さはそれなりにあって、彼とはぐれてから30分経った現在でも私はヴァーテルの姿を見つけられずにいました。
一応、あの大通りは端から端まで探し出すことはできたのですが、そこから分岐している道を探すだとか、相手も移動している可能性があるだとかそういった可能性を考えると、ヴァーテルと街中でばったりと再会というのはなかなか遠いといえるかもしれません。
歩き疲れた私は町のはずれのある丘にちょこんと腰かけて、まもなく沈もうとしている夕日を眺めていました。
街が一望できるような場所にあるこの丘からは西の大地に沈む夕日がよく見えるのですが、現在はそれがきれいだという感想よりももうすぐ夜になってしまうということに対する不安が心の中を支配していました。
「……どうしよう」
ただでさえ見知らぬ世界、見知らぬ街で不安があるのにたった一人で夜を迎えたらどうなってしまうのでしょうか? 治安が日本のようにいいとはとても思えないので、女の子一人で町を歩いていたら襲われる可能性だってあるかもしれません。
「……ヴァーテル」
私の目にうっすらと涙が浮かびます。
たった一週間前に知り合っただけの人とはいえ、この世界において唯一の知り合いという点で私は思っていた以上に彼のことを信頼していたようです。
「全く、こんな所に居やがった。本当に迷惑なやつだ」
私の耳に聞きたかった声が届いたのはまさしくその時でした。
私は涙をぬぐってから声がした方向を向きます。
「ヴァー……テル?」
「それ以外の誰だと思っているんだよ。全く、思っていたよりも情けない奴だな」
おそらく、泣いていたのがばれているのでしょう。ヴァーテルはあきれているような安心しているような、何とも言えない表情を浮かべて私の方へと歩み寄ってきます。
「べっ別に迷子になっていたわけじゃなくて……その、街を見て回っていただけです」
私は抗議の意味を込めて、そういいながら立ち上がる。
さすがにこの年になって迷子は認めたくないですし……
「はははははっ! そうかそうか」
そんな私を見て、ヴァーテルは大声をあげて笑い始めます。私の主張はそんなにおかしかったのでしょうか?
「もう宿は取ってあるからそこに向かうぞ。今度は迷子になるなよ」
やはりというか、当然というか、私が迷子になったことは彼の中で既成事実となっているようです。
「だから、迷子じゃないって!」
それでもなお、自分が迷子だったと認めたくない私はそのことに抗議をしながら立ち上がり、彼の方へ向けて歩き始めます。
それを見たヴァーテルは街の方へ向けて歩き始めました。
私は今度こそはぐれまいと必死になって彼のあとを追いかけます。
頼れる人がいるっていいな……
私はヴァーテルの背中を見ながら、そんなことを考えていました。
こうして、私とヴァーテルの旅は幕を開けました。いえ、強いて言うならば、私たちが流氷の上で出会った時点で旅はすでに始まっていたのかもしれません。
私はヴァーテルの背中を追って夕闇の中を町に向けて歩いていきました。