その8
チャンスは一瞬。
それも極限状態での一瞬である。
それを見逃さずに的確に行動する――的確に行動したとしてもその結果には不確定要素すら絡んでくる―――
それはN2ほどの実力者ですら目まいがするほどの難事であった。
それでも仮面の奥の瞳は決して曇っていなかった。
希望を見つけ、そしてその可能性を見逃さまいと澄んだ瞳で襲撃者の姿を捕らえていた。
(速度に惑わされるな! 回転が作り出す渦に飲み込まれるな! 僕が見るべきは――)
N2の眼球がせわしなく動き回る。
ミレニムに来てからただの一度も、先だってのダテンシとの攻防においてすら本気を出していなかったN2が、この時初めて本気になっていた。
「N2ぅぅぅぅ!!!!」
(僕が見るべきは―――彼女の攻撃の起点、鉄塊が振り下ろされるその瞬間だ!!)
エルシーの回転攻撃が半永久的に終わらない原因をN2は先ほど仮面に衝突した破片で理解していた。
彼女の攻撃の起点、それは大地を叩きつけた際の反動である。
それが回転エネルギーとなり転じて攻撃となっているのだ。
その力の転換が巧みすぎて付け入る隙が無かったのである。
冷静に考えればすぐに分かることであった。
空中で勝手に攻撃の軌道が変わる事はない。
その前に力のベクトルを変えるワンアクションが無ければ不可能なのである。
領主殺害の濡れ衣を着せられその後いきなり襲われた動揺からか、こんな当たり前の理屈に今の今までN2は気づくことができなかったのだった。
(エルシーの打速はもうハッキリと捉えることは出来ない。タイミングを合わせるしかない!)
鉄塊が振り下ろされるタイミングに合わせて回転攻撃の起点となる大地を破壊する。
それしかエルシーの回転を止める術はない。
そして一度止めることさえできれば戦闘は終わる、N2はそう確信していた。
だが手持ちの武器、テンタクルエッジでもエルシーの攻撃に耐えうる強固なミレニムの地盤を破壊するほどの威力はない。
それが分かったからN2は―――
「覚悟ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」
最後の最後に自分ではなく―――これもミレニムに来て初めてのことであったが―――他人に頼ることに決めたのであった。
まだ出会ったばかりでロクに会話すらしたことがない、それどころか初対面の時には敵同士ですらあった男を最後に信じたのだ。
(ヤキが回ったか? まあいい、それは後でゆっくりと考える)
感傷に浸る間もなく、目の前のエルシーの鉄塊の軌道と脳裏に思い描いた軌道がピッタリと一致する。
その瞬間、N2は叫んだ。
「ボッシュ!! 僕を信じて全力ジャンプっ!!」
エルシーの速度が予想をすこし上回ったためN2は言葉をはしょった。
はたしてそれで意図が伝わったか。
もしかすると何のことか分からず聞き流されてしまったかもしれない。
結果はすぐに分かる。
N2は走馬灯のごとき長き刹那をみじろぎもせず過ごした。
そして―――
エルシーの鉄塊が大地を叩きつけた。
そして生まれたエネルギーがエルシーの身体を通して回転エネルギーへと転じていく。
その全てがN2の頭部へ叩きつけられようとしている。
その一連の流れをN2は目にした。
ダメだったか。
今から身器統一してもエルシーの勢いを止めることは不可能である。
相打ちにするのが精いっぱいだった。
だからN2は何もしない。
仮面ごと自分の頭部が砕かれるのを待つ。
もう人殺しはしない、その約束が武器の声を抑えつけ彼の身体を大地に縫い留めてくれていた。
(ありがとうセシリア様、そしてさようなら、今度こそ本当に終わりだ)
世界に別れを告げ意識を閉ざす。
静かで音のない死の世界へと意図して足を踏み入れる。
静謐な音のない世界へと―――
『またか。お前が死ぬわけがないだろう』
その時、またあの声が聞こえた。
飛来する雷槍と対峙した時にも聞こえた、全てをあきらめた時に聞こえてくる声。
ロスティスコートの声が。
いったい誰の声なのか、男なのか女なのか、まったく分からない。
分からないが、N2は感じていた。
この声は天啓だと。
そして身を委ねるのは危険だと。
『しかし今回は――――するまでもない。どうやらお前の戯れ事が功を奏したようだ―――』
何を言っているのか、理解が追い付かない。
もしかするとこの声が聞こえている時は時間の流れが歪んでいるのかもしれない。
だが考える間もなくコートの声は遠ざかっていき、代わりに現実が戻って来る。
音がある世界、生ある者の世界が。
『どおぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
戻ったとたんに仮面の中にけたたましい叫び声が乱反射し大地が崩壊していく。
そしてN2は自由落下のさなか、先ほどまで頭部があった位置を鉄塊が薙いでいくのを目にした。