その3
「はぁぁぁ」
エウリークの控えの間とはちょうど反対側の控えの間。
その中でギアックは大きくため息をついていた。
そしてその脳裏には今日何度目か分からない、三日前のセシリアとのやり取りが蘇っていた。
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「こ、こ、こ、こ、こ、殺すだなんて、そ、そ、そ、そ、そんな大それたこと、ボ、ボ、ボクにはムリっすぅぅぅ」
眼球が円軌道をせわしなく描き焦点が定まらない。
突然の殺害依頼にギアックは醜態に気づかず本気でキョドっていた。
「そんなに動揺するな。何、本当に命を奪う必要はない」
「ムリっすムリっすムリっすムリっすぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!! 僕にはそんな物騒な……………って……へっ?」
「アイツの騎士としての尊厳を殺す、つまりプライドをズタズタに引き裂いてくれればいいのだ。それで事足りる」
「あ、あの~話がまったく見えないのですが……?」
セシリアはそこで苦渋の面をつくり、吐き捨てるように言い放つ。
「……実はエウリークのヤツが急にさかり出してな。絢爛試合で優勝したらヤツと結婚しなければならんのだ」
「えっ?……それってつまり……セシリア様のお相手があのエウリークさんってことなんですか!!? いやぁ~それはめでたい! おめでとうございます!!」
ギアックは手放しで祝福する。
エウリークの評判はミレニムに来て一年足らずのギアックの耳にも届いていた。
というか何度か直接話しかけてもらったことすらある。
『キミがミレニム騎士団創設以来の腰抜けくんか。たしかに見るからに臆病な面構えをしている。だが、なに、案ずるな。いざという時は私が身を挺してキミを守ってやるからな。大船に乗った気でいてくれたまえハッハッハッハッハッ』
寮の渡り廊下を歩いている最中に突然肩を叩かれてそう言われたものだが……今考えると軽くディスられているようにも思えるがそれでも当時のギアックはそのわけ隔てのない態度と屈託のない笑顔に好感を抱いた。
騎士的行為を重んじ、曲がったことは決して許さない、だがただ固いだけではなく人間味に溢れた魅力も兼ね備えている、そんな人格者、エウリークに対する周囲の評価にギアックもおおむね賛同であった。
(はっきり言ってこの目の前にいる《冷鉄の女》とは対極に位置していると言っていいほどの好人物と言えよう)
「……誰が≪冷鉄の女》だ! 貴様、不敬罪をプラス1してやる」
「し、しまった!! つ、ついうっかり」
思った事が口に出てしまう、いつもの悪癖が最悪なタイミングで出てしまった。
ギアックの頬を冷たい汗が流れ落ちる。
「……まぁいいだろう。どのみち貴様に選択肢などないのだからな」
「あ、あの~でもエウリークさんって凄い方じゃないですか。男の僕から見ても男前だし剣の腕前も相当と聞きますし、なにより家柄だってグラディアート家に次ぐ大家……結婚相手としては申し分ない相手なのではないでしょうか?」
「申し分ない……か」
早めのマリッジブルーかとギアックは考えたのだがセシリアの顔はとても沈鬱だ。
何がそこまで不満なのかといぶかしんでいると
「私にはどうしても果たさねばならない目的がある。ヤツの伴侶となって騎士団長の座を退き、子供を産んで屋敷で夫の帰りを待つだけの良い妻を演じているヒマなどないのだ。それにそもそも私はアイツが大嫌いだ」
マリッジブルーどころか全否定であった。
「あの~~~で、でもイヤならお断りすればいいだけなのでは?」
「フン、これだから庶民は……。あれでもアイツはビショット家の跡取りなんだぞ。私の一存で断れるワケがなかろう。それにあろうことか我が親族、特に姉が大層乗り気でな。もはやどうにもならんところまで来てしまっているのだ」
(だったら潔く諦めればいいのでは…………)
と思った瞬間あわてて口を塞ぐが、すでに疑問は言葉として放たれてしまった後だった。
「………アイツが……エウリークが……なら諦めもついただろう。だがヤツは私の理想とは程遠い男なのだ」
「理想、ですか?」
≪冷鉄≫の女の異名をとり、女だてらに騎士団をまとめ上げているリアリスト。そんな評判のセシリアから夢見がちな言葉が飛び出したことをギアックは意外に思った。
(もしかしてこの人は……ロマンチストなのか?)
気を付けていたから、今の言葉は口には出さずに済んだ。
「エウリーク、ヤツは優秀な羊だが、狼ではない」
「狼ですか……」
「そうだ。私が必要としているのは本当に強い力を持った狼なのだ。なあギアックよ」
急にセシリアが手袋を外し、手を伸ばしてギアックの顎をなでつけてきた。
そのきめ細やかな指先が触れる度に、ギアックの背筋がぞくぞくと波打つ。
「な、なんでしょうか」
ギアックは顔色ひとつ変えずにとぼけてみせた。上手く出来たか自信はなかったが。
「お前に頼みたいのだ。三日後に開催される絢爛試合でヤツを倒してくれ。だが、ただ倒すだけではダメだ。圧倒的な力量差を見せつけて倒してくれ。そして観衆の前で最大限の恥辱を与え、自ら私への婚約を取り下げたくなるほど無様な醜態をさらしてやってくれないか」
その男の純情を踏みにじる無慈悲な依頼はまさに《冷鉄の女》の面目躍如といえた。
「え~っと、さすがにそれは……」
「そうだな……断ったら死刑執行の前に、お前の正体をグラディアート家の全てのコネクションを駆使して世界中に伝えてやるとするか」
「し、正体? な、何のことで」
「あの時私をダテンシから救ってくれただろう。あの時の華麗な身のこなし、タダ者ではなかった。お前は意図して腰抜けを演じているだけの切れ者なのだ、とな」
「あっ、あの時の――――!!」
やはりこの人に見られていたのか、
ギアックは下唇を噛んで後悔する。
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数日前、見習い騎士のダテンシ狩り遠征に珍しく騎士団長が随行した。
あまりの例のない事態に、次期幹部候補生を団長直々に見つけるのが目的なのではないかと団員たちは囁き合っていた。
そしてその噂はいつの間にか事実として喧伝され、団員たちは手柄を求め我先にとダテンシ狩りに奔走したのであった。
――――そんな我欲に溺れた見習い騎士たちの一団に、不幸が舞い降りた。
普段は温厚で殺されても何の抵抗もみせない≪鈍亀級≫と呼ばれるダテンシが突如立ち上がり、その石柱のような前足で騎士団員たちを踏みつぶし始めたのだ。
思いもよらぬ反撃と圧死した仲間の姿を前にして団員たちの中に恐慌が広がっていく。
そして―――
その混乱を人知れず収めたのは何を隠そう腰抜けのギアック=レムナントなのであった。
彼はその時、羊の皮を投げ捨て狼の本性をあらわにしたのであった。
その最中、誰かに目撃されていたことを、ギアックはこの時ようやく思い出す。
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「……あの時、死を覚悟した私の前にさっそうと現れ救ってくれた見習い騎士……たった一本のナイフで≪鈍亀級≫を瞬殺したあの技量、そして自分よりも巨大なダテンシにひとり立ち向かっていく無謀とも思える勇気、まさに私の理想とする狼そのものだった。ダテンシを倒したらすぐに姿を消してしまったが、あの時の衝撃は忘れようがない」
セシリアの熱のこもった弁を聞いている内にギアックはなんだか申し訳ない気持ちになってくる。なぜなら―――
(あの時は……助けるっていうか、ちょっと違うんだけどな――――)
「……あれだけの手練れだ。詳細な詮索がされれば遠からずお前の真の正体も明らかとなるだろう。お前はどうも死よりそちらが発覚することを恐れているように見えるが?」
セシリアは不敵な笑みを浮かべながら問いかけてくる。
あーあーそうですそうです。仰る通りです。
僕は腰抜けのギアック=レムナントでいなきゃいけないんです。
そうでなきゃ僕の決意が全てムダになってしまうんですから。
ギアックは心の中でありったけの愚痴をぶちまける。
「はぁ~~~~~~~~分かりました。今回だけですよ。やります」
そして初めから拒否権などないただの命令であったということを、改めて思い知ったのであった。