その3
「お、お、お、お前、なにぬかしてやがんだぁ~~~????!!!!」
驚きのあまり椅子からすべり落ちそうになるボッシュだったが、寸前に右手でテーブルを掴みなんとか持ち直す。
だがその衝撃でテーブルからスープの入った食器が落ちかけていることに気付き慌てて受け止めようと前のめりになる。
そして勢い余ってそのまま机の角にオデコから激突する。
その反動で食器が宙に浮かびあがり、ご丁寧にも半回転してからボッシュの後頭部にスープの雨を降り注がせた。
「うわあちちちちちちぃぃぃぃ!!!!」
「フハハハハハ面白い。すっかり元気になったようでなによりだ」
「あちちちちち……あ、ああ、ま、まぁ、おかげさまでな……って、そうじゃねぇだろうが!? お前なに眠たいことぬかしてるんだよ!?」
「眠たいこと?」
スープ滴るイイ男は机を拳で叩きつけながらN2に食って掛かる。
「そうだよっ!! お前がオレを仲間に引き入れたのはそのセシリアっていう女を助けるためだったんじゃねーのか!? それをなんだ!? やる前から不可能だなんて諦めてよぉ!! テメェはいったい何がしてぇんだっっ!!??」
「そう気色ばむな。傷口にさわるぞ」
「だからもう傷口はすっかり塞がってんだっつーの!! アレから一週間経ってんだぞ!! お前のくれたこのコートさまさまだよっ!!」
叫びながらボッシュはコートをはだけて肩口を見せつける。
左腕の肘から先は欠損していたが、その切断面はすでに肉に覆われ数年前の古傷と言われても見分けがつかないほどまでに回復していた。
「お前のために一肌脱いでやろうとしてたオレ様のヤル気をどうしてくれんだよ!?」
「すでに脱いでるじゃないか。あと、食事中だぞ。服を脱ぐな、マナーを守れ」
「マナーだぁ!? ずっと兜かぶりっぱなしのテメーにだけは言われたくねぇよ!! ってか、前から疑問に思ってたけどソレどっからスープすすってんだよ!?」
「それは企業秘密だ」
「企業秘密だぁ? テ、テメーしらばっくれてんじゃねぇ!!」
「ま、まぁまぁ、落ち着いて下さいボッシュさん。N2様もあまり挑発なさらずに……」
あまりの不毛なやりとりにカスミが眉を下げながら二人の間に割って入る。
その表情からは主と二人きりの生活から余りにもかけ離れた今の状況に困惑しきっている様子がありありと浮かんでいた。
「止めんなネーチャン! それに元はと言えばコイツが訳わからねぇこと抜かしたのが問題なんだよ。アンタもそう思うだろ」
「それは……」
横目でちらちらとN2を伺うカスミだったが、やがてボッシュの発言に同意するようにちいさく頷く。
「……も、申し訳ありませんがその件については私もボッシュさんと同意見です。最初にお会いした時にN2様はセシリア様を必ず救い出すと約束なさって下さったではありませんか。それにエリア様とセシリア様のご関係はすでにご存じのはず」
「もちろん知っている。血を分けた実の姉妹、いや、それ以上だったな」
「そうです。あのお方はエリア様のお姉さまであると同時にグラディアート家の後ろ盾を失った私たちの命を救って下さった大恩のあるお方です。この屋敷と援助金を与えて下さり、エリア様の活動を支援して下さっていた唯一無比の味方なのです」
最初にセシリアからこの屋敷を隠れ家として提供されたN2はその経緯を聞き驚いたものだった。
そして自分を手駒と呼んだ冷鉄の女のイメージと、人に施しを与える人格者のイメージがどうしても結びつかなかったものだった。
だが、今では理解している。
エリアを見捨てる選択肢など存在しえないという事を。
彼女は自分が困窮するのが分かっていても、目の前に困った人がいれば手を差しのばさずにはいられない超がつくほどのお人よしなのである。
そこに誰かから賞賛されようなどという邪心は一切ない、すがすがしいまでの純真さ。それがエリア=グラディアートの持つ特性、この殺伐とした時代に置いて、得難い本物の人格者といえよう。
そんなエリアを前にして、人は自分の良心を試されることになる。
エリアは見捨てなかった、では自分は、と。
その問いに真摯に向き合う限り、エリアを見捨てることなどできる訳がない。
そしてN2の知っているセシリアならば、その問いに真正面から向き合ったことだけは間違いなかった。
だが、残念なことにエリアの持つ優しさは血のつながった兄弟同士で蹴落としあわなければならないグラディアート家の掟の前では、障害以外の何ものでもなかった。
そのためエリアは自ら身を引く形で、跡目争いのレースから脱落することとなった。
彼女は、グラディアート家に生まれるべき人間ではなかったのだ。
(セシリア様だけはエリアの価値に気付いていた。あの人、人を見る目だけは確かなんだよな……)
そしてN2とエリアたちが共同生活を送れていたのは、セシリアを救うという共通の目的があったからに他ならない。それを根底から覆す先ほどの発言、それでもN2は前言を撤回したりはしなかった。
「不可能なものは不可能だ。忌避されし監獄島アルカトラストは断崖絶壁に囲まれた天然の要塞だ。それに加えて身を隠すような緑もない死の大地、脱獄したとしても逃げおおすことはまず出来ないだろう。それにそもそもあの島にたどり着くことがまず出来ない。アルカトラストに至るには安全な航路を辿らなければならないが、あそこの海流には規則性がない。常に不規則に乱れ荒れ狂っている。あの流れを読めるのはグラディアート家お抱えの船頭しかいない。代々続く身も心もグラディアート家に服従しきっている犬のような連中だ。買収も脅迫も通用しないと思っていい。内から逃げることも外から救い出すことも不可能な難攻不落の監獄島、重ねて言うが我々の力では救出することは不可能と言わざるを得ない」
「そ、そんな……」
N2の説明にカスミは言葉を失う。
「エリア様になんとお伝えすれば……」
ショックが大きすぎたのか、手で顔を覆い始めるカスミ。
傍から見てその悲しみに他意はないように見えるが、N2にはどうしても払拭しがたい疑惑があった。
(カスミは以前セシリア様の名を聞いた時に、冷たい表情をしていたことがあった……)
その疑惑を払拭しない限り、次のステップには進めないとN2は感じていた。
「キミはどうなんだカスミ」
「えっ?」
「エリアじゃない。キミ自身はセシリア様を救い出したいと本当に思っているのか」
「も、もちろんです。何をおっしゃいますか!」
カスミは心の底から驚いたような表情をしており、N2の審議眼ではその裏に隠された感情があるようには見えなかった。
「……愚問だったな、すまない。なら―――ここからが本題になる」
「ほ、本題? お、おいN2、本題っていうのはなんだよ!? さっき不可能不可能ってさんざん言ったばかりじゃねーか!?」
「セシリア様を救い出すことは私にとっての最優先事項だ。彼女を失えばN2はその存在意義の半分を失う」
「? だ、だけどよぉ、ムリなモンはムリなんじゃねえか!? オレたちじゃ辿り着くことすら出来ねぇんだろ!?」
「そうだ」
「それにセシリアって女が自力で脱出しても逃げ場がねぇーんだろ!?」
「そうだ」
「だったらもう、どうしようもねぇじゃねーかよ!?」
「そうだ、我々の手ではどうしようもない。だからな」
N2はそこで声を潜める。
とっておきの秘密を打ち明けるように。
紅い瞳が妖しく輝く―――
「我々の手で救い出せないならば、救い出せる人間にやらせればいいだけの話だ。グラム=グラディアート、ミレニムの支配者、法をも曲げる絶対的な権力を持つあの領主様を使うまでだ」




