その10
この時、ギアックは生涯初めて死を予感した。
どんな強敵と対峙しても、あの最強の扇動者シエラと対峙した時でさえついぞ意識したことのなかった死、それを生まれて初めて身近に感じていた。
そしてそれを認識した途端、体の奥底から恐怖の感情がせり上がってきてギアックの身体は鎖に巻かれたかのように動けなくなってしまう。
それはどんなにあがいても破れないないほどに強固な呪縛だった。
「ヘビににらまれたカエル、どころかすでに飲み込まれてる最中だな……」
軽口をたたきながらもギアックは冷静に現状を分析する。
そして出した結論、それは、
やっぱりどうにもならない。
それは諦念からではなく、経験則による分析によって導き出された答え。
戦いの場において感情を制することが出来ない者に待ち受けるのは死。
死ぬしかない。
それが戦場のルール、ギアックは誰よりもその事をよく理解していた。
恐怖で木偶人形のように固まった兵士、怒りに任せて突進してくる傭兵、それらの全てが感情に囚われ無残に命を落としていった。
練度が低いのが悪い、そういった戦士と対峙するたびにギアックは己にそう言い聞かせ、そして手を下してきた。
皮肉なことに、今、まぶたを閉じて浮かぶのは恐怖で身動きが取れなくなっているかつての兵士たちの姿ではなく、黒いコートに身を包みながら震えている自分自身の姿であった。
そしてそんな自分を血まみれの兵士たちが指をさしながら嘲り笑っているのが見える。
『練度の低い戦士が悪いのだ! ギアック=レムナント!』
「まったくとんでもない皮肉だ……これが天罰ってやつなのか」
そんな自分の妄想をあざわらうくらいの余裕はまだ残っていた。
とにかく何か行動しなければならない。ギアックは何度か深呼吸して体の自由を取り戻すと被害の少なかった隣室に移動する。
「これは…」
部屋につくと奥の壁際に祭壇が設けられているのが目についた。そしてその中には両手を広げ天を仰いでいる神の像が鎮座しているのが見えた。
くたびれた廃屋に似つかわしく、すでに塗装は剥げ落ち中の木材が腐って変色している様がありありと見えるボロい祭壇。
神の像も風雨にさらされすぎたのか顔が溶け落ちのっぺらぼうになっている。
だが、なぜかそれは今まで目にした偶像の中で最も神々しくギアックの目に映った。
「……僕はゼノもあなたのことも全く信用していない。神って存在が昔からどうも好きになれない。だから多少の無作法は大目に見てくださいよ」
そうつぶやきながら何を思ったかギアックは祭壇の前で跪く。
「えーっとたしか最初に大事な人のことを思い浮かべるんだったっけな」
わずかに残る作法についての記憶をたどりながら祈りはじめるギアック。
そして目を閉じしばらくすると大事な人の顔が脳裏に浮かび上がってきた。
その顔はーーー1人、ではなく3人分だった。しかもその内の1人はすでに故人であった。
(我ながらムチャクチャだな。こういう場合はどうすればいいんだろう? 1人に絞る?……いや、まぁ、僕はホントの信徒じゃないし、そこまでこだわる必要はないだろう……)
この瞬間ギアックは作法にのっとって祈りを捧げることを放棄したのであった。
「……セシリア様……貴女となら何か凄いことが出来そうな気がしたんですが、残念ながら僕が先にリタイアしそうです。……でも貴女ならきっと大丈夫です。貴女の想いの強さはこのコートが教えてくれたから。だからきっと成し遂げられます。一足先に雲の上から非願成就を祈念させてもらうとしますよ…………どうかお元気で」
そして手を合わせて深くこうべを垂れる。
ギアックが今行なっているのは死の間際に大事な人に感謝を捧げ、その人たちの平穏を願う神聖な儀式なのであった。
いつからこんな風習が始まったのか定かではないが、この大陸では死期を悟った多くの者はこれをする。
祭壇を目にしたギアックは残された時間を祈りを捧げるために使うことにしたのだった。
「エルシー……キミには本当に世話になったな。感謝してもしきれないよ。こんな穏やかな気持ちで逝けるのはキミが傍にいてくれたからだ。キミが僕に平穏を与えて誰かといることの素晴らしさを教えてくれたからだよ。だから本当にありがとう、そして教官のことは…本当にすまなかった。出来ることなら全てを話してキミの手にかかりたかった……。でもこれからはN2に思い悩まされることもないだろうから、どうか怒りを忘れて健やかに過ごしておくれ」
そして2人目の大事な人への祈りを終え最後の人物、すでに顔もおぼろげになっている人物のことを思い浮かべる。
かつて自分がレコンギスタ教団を捨てるきっかけを与えてくれた恩人をーーー
「……あなたはもうすでにいないけどやっぱり最期にお礼を言わせてください。あの時、あなたが僕を解放してくれなければ僕はもっと多くの罪を犯していたことでしょう。止めてくれて本当にありがとうございます。僕が行くのは地獄だから、きっとあの世でお会いする事はないでしょうね。でもそれが仕方ないと思えるぐらいには成長できましたよ……」
そして指で十字をきり最後に神に向かって祈る。
祈るべき神を持たなかった青年が、死の淵に際して初めて神に祈った瞬間でもあった。
「……そろそろくるな」
立ち上がったギアックの顔はとても朗らかだった。
やり終えた者特有の邪気のない表情をしていた。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリ
そしてギアックの命を狩らんと天から5本の死の矢が去来する。
(終わりか……こんなところで全てが……)
虚脱して死を迎えいれようとするギアック、だがその時、声が聞こえた。
『遊ぶなよ』
「!!?」
『こんなところで遊んでるんじゃない』
男か女かも分からない不思議な声。例えるなら環境音がたまたま人の話す言葉になっているかのような音と抑揚だった。
それにしてもこの声、誰のものかはハッキリとしないのだが、それなのに、なぜか懐かしい気持ちにさせられた。
そしてそれと同時に、とてももの悲しい気分も喚起させられた。
(なんだコレは? 武器の声か? いったいどの武器ーーー? ……いや、これはそんなんじゃない、もっと体の近くから聞こえてきて―――)
『お前がこんなところで死ぬワケないだろ。なぜならお前は―――』
なおも声は続く。
その発信源にようやく気付いたギアックは驚愕する。
(この声、コートからの中から響いている!!!)
そして何の動作もしていないはずなのに、突如としてコートの袖口から黒い塊が2つ飛び出す。
それはセシリア謹製のロスティスコート。
セシリアが投獄される前にギアックに託した予備のコート、その全てであった。
それが意思を持つかのように空中で広がり発光を始める。
(一体何が起きている??)
ワケが分からず戸惑っているギアックの元に天上から5本の槍が襲来し、その激しい衝撃波によって廃屋は吹き飛ばされギアックの意識は消失した。




