その6
「さぁて、どうしたものか」
ギアックはくしゃくしゃになった紙切れを手のひらで弄びながら呟く。
それは先ほど大掲示板に掲示されていた赤紙の通達の成れの果て。
誰の目にも止まることなく紙を引きはがす。
隣に立つエルシーにすら悟られずに。
普通の人間ならば非常に困難なミッションだったであろうが、その程度の所作、ギアックにとっては朝飯前のことであった
羊の皮を被っているだけの狼にとっては―――
「とりあえず探りだけでも入れてみようかな?
……いや、やめておこう。ヤブヘビになる恐れがある」
ギアックは判断する。あの通達の内容から察するに、騎士団長は名も無き勇者、とやらが誰なのかまでは分かっていないはずだ、と。
あれは苦肉の策、揺さぶりをかけて様子のおかしいヤツを炙り出すための罠である。そんなモノにわざわざ引っかかってやる義理はない。それにもしバレていたとしても――――
ギアックの目が怪しく光る。
その時は始末すればいい…………
「ってダメだダメだダメだよぉーーー!! 僕は何を考えているだぁぁ!?」
ポカポカポカ
ギアックはコミカル音を響かせながら自分の頭部をボッコボコに殴る。
そして頭をタンコブだらけにしながら改めて思い返す。
波風立たない穏やかな日常を緩慢と過ごし、
ジジイになって余生をなけなしの年金でやりくりしながらひっそりと息を引き取る。
それこそが自分の人生の大目標なのだということを。
およそ若者らしからぬ目標だが、ギアックは本気でそう願っていた。
普通の人間になる。
ここミレニムで……
そのために一大決心をして過去と決別した。
だが―――
時折どうしても――――
―――な時がある。
その度にギアックは――――平穏な生活を送りたいと自分に言い聞かせるのであった。
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「ただいま~~……と言ってもおかえりという人もなし」
男子寮の自室に舞い戻ったギアックはベッドに身を投げ出す。
そして大きくため息をつく。
部屋に入った瞬間に気づいてはいた。
この部屋に誰かが居るという事を。
そして、自分がすでに、のっぴきならない状態であるのだという事をーーーー察してしまう。
「あの〜部屋をお間違えじゃないでしょうか? ここ一人部屋ですし、そもそも男子寮ですよ」
部屋の奥の闇に向かって問いかける。
「……お前こそ行くべき場所を間違えているのではないか? 私はちゃんと18:00に騎士団長室に来いと伝えていたはずだが」
尊大で高圧的な口調。他人を使う事に長けている人間の特徴。
一言交わしただけで、ギアックは自室中央のイスにふんぞり返っているのが、ミレニム騎士団長セシリア・グラディアートであることを確信する。
「人違いじゃないですか? 僕、そんな通達見たこと無いですけど」
「誰も通達とは言っていない。語るに落ちたな。名も無き勇者よ」
ギアックは頭をくしゃくしゃと掻きながら起き上がる。目の前の人物との舌戦は片手間では到底叶う気がしなかったから。
「はぁ~、それでその名も無き勇者とやらに何の御用で??」
「お前、身分を偽って騎士団に入団したな。その際に代書屋を脅して文書を偽造した。
全て調べはついているから反論は無用だ。さて、ミレニム騎士団内では騎士団長である私が法となっているのはすでに承知のことだとは思うが、お前の行為はハッキリいってミレニム騎士団始まって以来の不祥事だ」
質問には答えず不利な状況だけを突きつけてくる。相手を脅すには非常に有効な手段と言えた。
ギアックは目の前の人物が想像以上の難敵であることを理解する。
「―――という訳で非常に重い罰を与えねばならん。然らばお前に下すべき判決は―――」
ダンッ
セシリアは木槌の代わりに踵を床に叩きつける。そして―――
「死刑しかない、そう思っている」
無慈悲な判決文を読み上げた。
「………………」
部屋が暗いのでセシリアの表情は見えない。
ギアックは目をこらし耳を澄まして闇の奥を覗こうとする。
「なんだ? もっと動揺するかと思ったが案外平静なのだな」
「はぁ~~、泣き叫んで命乞いすれば判決を取り下げて下さるので?」
「ないな。私は甘い人間ではない」
「でしょうね」
ギアックはやれやれと首をふる。
彼はすでに分かっていた。
この裁判が茶番劇にしか過ぎないという事を。
わざわざ通達に名も無き勇者と書いたからにはそこには何かしらの理由があるだろう。
そしてそれは名も無き勇者という呼び名に心当たりがある者にしか伝わらない符丁でもある。
さらにセシリアはギアックが名も無き勇者であるという事を、出頭前からすでに知っていた。
そこから導き出されるのは『騎士団長は誰にも知られることなく名も無き勇者=ギアックに会いたかった』という事実。
それがただ単に死刑判決を伝えるだけだった、というのはどうにもまどろっこしぎる。
(これが金に物を言わせるグラディアート家の子女の道楽というやつか? その可能性は・・・いや、多分ちがうな)
セシリアはギアックを名指しで呼び出してはいない。
つまりその点においてはギアックの立場を慮ってくれているのだ。
全てを勘案すると出て来る結論は一つだけ―――
「それでどういった取引なので?」
「ふふっ、なんだ? 分かっていたのか。つまらんな。……まぁ……いいだろう。実はあることさえしてくれれば特別にお前の死刑を免じてやらんでもない」
これこそが本題。
ギアックはベッドの上で再び姿勢を正してセシリアと向き合う。
しかし暗いので相変わらず、その表情は見えない。
巨大な化け物と向き合っている錯覚すら覚える。
「来週、ミレニム中の貴族や官僚を集めて騎士団の御前試合を開催する」
「年一回の御前試合。もちろん存じておりますよ。たしかミレニム領主の方もいらっしゃるとか……」
「そうだ。その場には私の父も来席されるのだが、お前にはその御前試合の場で―――」
セシリアは秘密話を打ち明けるようにゆっくりと前かがみになる。
その時――――
ちょうどガラス戸から月光が射し、セシリアの横顔を照らし出した。
そこには女神が降臨したのかと見紛うほどの、美しい女性の姿がそこにあった。
黄金色に輝く金髪に、碧色の瞳。薄く引かれた形のいい唇が、なまめかしく動き、ギアックの耳元にそっと寄せられる。
ドクンドクン
そして―――
「お前にはその御前試合の場で―――私の婚約者を殺して欲しいんだ」
鈴の音のような声音で悪魔の命令がささやかれる。
その時ギアックは、頭の奥がしびれるような陶酔を味わいながら、自分が望んでいた平穏な日常が崩れ去っていく音を聞いた気がした。
第1章 ステキな出会い ~完~