その6
《ゼノの薫陶》という密儀がレコンキスタ教団には存在する。
彼らの崇めるゼノ神と心を通わす神聖なる儀式であり、教団内で最も重要な儀式の一つとされていた。
しかしその詳細を知る者は少ない。
なぜならその儀式の内容は徹底的に秘匿されていたからだ。そして実際に儀式に臨んだ者ですらその内容を覚えている者は皆無なのであった。なぜなら《ゼノの薫陶》を受けた者はすべからく儀式の記憶を失ってしまうのである。
世界を形作った原初の神と呼ばれるゼノの圧倒的な力の成せる業なのか、それとも儀式に臨む前に服用する怪しげな薬の所為なのか、全ては定かではないが、一つだけはっきりしている事がある。
それは《ゼノの薫陶》を終え、無事に戻って来た者がすべからくある力を身につけているということだった。
それこそが聖地返上のための力、ダテンシと心を通わし、その意を組み、本来の能力を振るい出させる、扇動者としての力である。
その力を持つ者は教団内で讃えられ、特に力の強い者、多数のダテンシと一度に交信できるA級扇動者以上ともなると、教祖に次いで教団内で権力を持つようになる。A級扇動者が一人いれば中規模の都市なら一晩で壊滅されられるとも言われるので当然の待遇とも言えた。
そしてギアックはレコンキスタ教団設立以来、史上最年少でA級扇動者となった少年なのであった。
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兜を手にしてギアックは思い悩む。
N2の代名詞ともいえる黒い兜。
その中央に据えられた紅い感石カメラが、まるで疑問を投げかけているようにギアックを見つめている。
正直、これをつける理由はどこにもなかった。
水の離宮はしっかりと人払いがされており、普段いるであろう警備員の姿さえ見当たらなかった。この場であえてこの兜を被らなくてもギアックの正体が露見する可能性は皆無である。
では何を思い悩む必要があるのか。その理由は一つしかなかった。
(いかん、いかん。何を考えてるんだ? 集中しろ。僕はこれから一人でA級クラスの扇動者を相手にしなきゃいけないんだ。そしてその相手はあの…………シエラなんだ)
かつて共に戦った少女の事を思い浮かべる。
味方になれば頼もしいが、敵になればこれほど絶望的な気持ちにさせてくれるような人物はそうそういなかった。それだけ記憶の中のクセ毛の少女は恐ろしい。
さらにここ数年で成長していたとすれば……考えるだけでも震えが止まらない。
「……大丈夫だ。僕にだってこいつがあるじゃないか」
不安をかき消すように右手を掲げ、その袖に内蔵されている希望を透かし見ようとする。
セシリアから送り届けられた暗器コートには改良が加えられおり、例の武器もすでに実装されていた。
ダテンシを倒すためだけに考案された新たな武器テンタクル・エッジが。
ただ惜しむべきは使用テストをしている暇が全く無かったことだった。
今宵の扇動者との闘いが初めての実戦テストになる。
無謀以外の何物でもない状況だが、それでもギアックは信じていた。
ダテンシ撲滅にかけたセシリアの情熱と、それを体現するために作られた暗器コートの性能、そして武器と一体化して性能を限界まで引き出す自らの特異体質の事を。
「…………せっかくだから貴女も見守っててください」
天上から降り注ぐ月明りに感化されたのか、被る必要のない兜を装着するとカメラアイのスイッチを入れ、N2となったギアックはその時が訪れるのをじっと待つことにした。
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とある一団が平原を駆け抜けている。
一糸乱れぬ紡錘陣形を形づくりながら移動するその集団は、駿馬の如き勢いで土埃を上げながら疾走していた。
だが馬ではない。
その正体は普段は草を食み、どこか牧歌的な印象すら与える鈍亀だ。
それが今は成人男性を一撃で肉塊に変えてしまうほどの巨大な前脚と後脚を交互に蹴り出しながら飛び跳ねんばかりの勢いで全力疾走している。
その群れの先頭にはこの行軍を指揮するリーダーの姿があった。
ある一体の鈍亀の背に跨り、マントをたなびかせながら遥か先に見えるミレニム自治領の城門を見つめるその男、名をハク=レイと言った。
先日人気のない教会内にいた男である。
かつてレコンキスタ教団でギアックたちと共に聖地返上のために闘ったA級扇動者でもある。
その実力はまさにA級と呼ぶに相応しいもので、今も複数体の鈍亀の意識を奪いながら、自分自身の怒りをスパイスのように加え続けている。その影響であまり攻撃的でない鈍亀も凶暴性を増し続け、今ではミレニム到着時に即座に大殺戮が行えるまでの調整を施されていたのだった。
騎乗のハクはしかしそんな状態まで活性化している鈍亀たちを見て自嘲気味な笑いを浮かべる。
(果たして、ここまでする必要があったか。おそらくものの一時間もかからん任務だというのに)
それは驕りでも戯言でもなく手慣れた者による冷静な現況分析であった。
現にハクはこの程度の規模の都市攻めは何度も経験してきている。
そしてさらに今回のケースでは現地にてバックアップする者もいるのだ。
ありとあらゆる経験則が今回の任務の容易さを物語っていた。だがそれでも気を抜くような愚かな真似はしない。ハクは冷静に意識を研ぎ澄ませると自らの手足と化したダテンシたちの意識下に怒りと憎しみを植え込み続ける。
(アレか)
そしてミレニムの全容が近くに見え始めた頃、外壁の上部で灯りが明滅しているのが見えた。
ハクは先頭集団の鈍亀の意識を乗っ取ると、灯りが見えた方向へと進路を変更させる。
そして瞬時に意識を切り離し、今度はその後ろの集団の意識を乗っ取って先頭を行く鈍亀の後に続かせる。それを繰り返しながら五十体以上にも及ぶ鈍亀を軍隊のように正確無比に行軍させていく。
その行く手の先にはミレニムの堅牢な外壁が待ち構えている。
力に任せて突破することも不可能ではないが、そんな無駄な労力は今回は必要なかった。
ハク達が近づくとミレニムの城門がゆっくりと内側から音を立てながら開かれていった。
まるで夜中に現れた襲撃者たちを迎え入れるかのように。
そして門が開き切ると同時に鈍亀の集団は速度を落とすことなくミレニムの街中へと侵入していった。
(……上手くやってくれたな。今のところ何の問題もない)
街中にあらかじめ設置されていた誘導印によってダテンシたちは一列縦隊となり、石畳を踏み砕きながらそれぞれ目的の地へと疾走を始めた。
激しい地鳴りの音が静かなミレニムの街に響き渡る。
人々は寝静まっているのか、それとも突然の爆音に恐れおののいているのか、ハクは誰とも出会うことなく数分後には大神殿の威容が見える位置まで進んでいた。
(ゼノよ。大地を正しき者の手へと今、取り戻させ給え)
舌を噛まないように心の中で祈りを唱える。もしハクが敬虔な教団員ではなく、この時まで冷静な扇動者として振る舞えていたなら大神殿前の異変に即座に気付くことが出来たかもしれない。そしてこんな失態を犯すことは無かったのかもしれない。
「むぅ!?」
大神殿前の広場に鈍亀を乗り入れた所でようやくハクは異変に気付く。
設置していた誘導印の流れに乱れが生じていた。
それはまるで渦のように改変されており、さらにそこにはハクですら制動不能に陥るほどの急加速を強いる命令が記されていた。
「だ、誰がこんな真似を!!?」
振りほどかれないように必死に鈍亀にしがみつきながらもハクは考える。
(裏切ったのか? いや、アレは秘儀を受けていない。誘導印を記すための力は備わっていないはずだ。では一体誰が?)
その時ハクは渦の中央、この誘導印の終点にある物体が置かれているのを目にした。そしてそれが何なのかを理解した瞬間、今回のミレニム襲撃に対する認識を百八十度改める。
(どうやらこれは今までで最も過酷な試練になるやもしれん)
直後に大爆発が起き、ハクは足元を支える地面を失い、落下していく感覚を味わっていた。
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