その10
(とは言え、すんなりとは騎士団を抜けさせてはくれないだろうな……。最悪、N2の件を議会にリークしてセシリア様の解任決議を発動させるしかないだろう。まぁあんな性格だ……敵も多いだろうし何とかなるはずだ)
「……ねぇ、ギアック……ねぇったら!」
「えっ?」
「そこのお二人さん!! 良かったら見ていってよ!!」
「は、はい?」
思案に暮れていたギアックは突如知らない男に呼びかけられて困惑する。
「ここだよ。ここ。もう閉店だから最後に大サービスしちゃうよ!! 見なきゃ絶対後悔しちゃうんだから!!」
声の主は道端で商いを営む露天商風の男であった。床に敷かれた絨毯の上を見る限り、どうやら女性用の装飾品を取り扱っているらしかった。
「さっきからあの人がずっと呼びかけてるんだけど……どうしよう?」
「もうホントに勉強するからさぁ。ちょっとだけ見てってくれってば!! それにここだけの話こんなに残ってたら帰って女房にどやされちまうんだよ。くぅぅぅ悲しいっ!! だから人助けだと思ってさ? 頼むよ? なぁなぁなぁ」
全く購買意欲をそそられない口上であったが、男からにじみ出る悲壮感は同じ男として同情心を抱かずにはいられなかった。
「ちょっとだけ見てく?」
「……うん。いいけど」
「へへっ、毎度ありぃ」
ところが店先に着いた途端、男は態度を変えてすぐに揉み手を始めた。
どうやらこちらが本性のようである。
「どうです彼氏さん? これなんて彼女さんに似合うと思いませんか?」
そして唐突にトンチンカンな事を言い出す。
「はぁ? 彼氏って? 誰が?」
「いやいや、アンタしかいないでしょうが」
露天商はギアックを指差す。言い方と態度で男の本性は十分に理解できた。
間違いなくただのお調子者である。なので遠慮はしない事にする。
「フッ、人間観察が足りないよ。そういう思い込みは客商売としては致命的だと思うね。どうやら今日はオジサンは奥さんにこってり絞られる運命のようだ。さぁ行こうエルシー」
そう言って店先を離れようと促す。
「…………………」
「エ、エルシーさん?」
「へへっ、ウチはそんじょそこらの店とはモノが違いやすからねぇ。どうも彼女さんは気に入ってくれたようですぜ。ダンナ?」
「ぐぐぐぐぐ」
エルシーは二人の会話には全く反応せず、食い入るように装飾品に見入っていた。
それにしても彼氏さんからダンナと言い直したのはオッサンなりの気遣いなのだろうか。だがそれすらも腹立たしい。
ギアックは一秒でも早くこの不愉快な場から立ち去りたいと思ったが、真剣な眼差しのエルシーを見るとどうも立ち去れる雰囲気ではなかった。
「どれか欲しいの?」
「………………ん?何?」
「いや、なんか真剣に見てたから何か目ぼしいものがあったのかなって」
「ああ、うん、ちょっと訓練中に前髪が目にかかる時があるから、髪留めなんかがあると助かるかなって思ったんだけど……」
そう言いながら花が描かれたピンク色の髪留めをチラチラと遠慮がちに見やるエルシー。その仕草が普段の物おじしないエルシーらしからぬ反応だったので、ギアックはそっと耳打ちをする。
「……どうかしたの?」
「えっ、ああ、ううん…………そうだね。ギアックには隠してもしょうがないか」
「??」
「実は私ってこういうのダメなんだよね」
「ダメ? どういうこと?」
言葉の意味が分からずギアックは聞き返す。
「ダメなものはダメなの。そのまんまの意味だよ。あのね、実は私って……昔からよく物を壊しちゃう子なんだ。何か力加減が上手くできなくてさ」
それについては十二分に知っている。だが、言葉にはせずギアックは心の中であいづちを打つ。
「……それでね。こういう小さくて細かいの……まさにこんなアクセサリー類ね、をつけようとすると、いつもよりよけいに緊張しちゃうのか毎回壊しちゃうんだよね。だからさ、私、こういうのまともにつけられた試しがないんだ。そんなワケで実はもうオシャレは諦めてたりするのっ!!」
最後にギアックを心配させまいと取り繕うように笑うエルシー。
それは―――ギアックの知らないエルシーの笑顔だった。
そんな同期の顔を見て、ギアックは胸が強く締め付けられる。
彼女にはいつも楽しそうに笑っていてほしい。
彼女の笑顔だけが自分に日常を実感させてくれるとても大切なものなのだから。
そう思ったら、身体が勝手に動いていた。
「それにわたしには色気よりも食い気の方が似合ってるし」
「これください!」
「毎度ありぃ!!!」
「えっ?えっ? な、なんで買っちゃうの? 今の話聞いてなかったの? っていうかソレ誰の」
突然の出来事に訳が分からず目をしばたかせるエルシー。
ギアックはそんな彼女に向き直って、
「いや聞いてたよ。でもそんな理由でエルシーがオシャレを諦める必要はない」
「どういう事? でも、私こういうの壊しちゃうって言ったじゃ……ない」
ふわっ
エルシーは言葉を失う。
ギアックが慈しむような手つきでそっと前髪をかき分け、今しがた買ったばかりの髪留めで自分の髪を留めてくれたから―――
「うん、こんな感じかな。ね? 諦める必要なんてないでしょ? 簡単なことだよ。自分でつけられなくても誰かつけてあげる人が傍にいればいいだけなんだからさ」
「ギアック……」
「そうだ、もしよかったら僕がいつも訓練前につけてあげるよ」
「そ、そ、それって、それってギアック」
「ん? なに?」
「それ……は、それはさすがにちょっと……まずい、かも」
「まずいかな?」
「ま、まずい……よ。だ、だって毎回そんなことされたら、きっと、わたし、訓練どころじゃなくなっちゃうから……」
「そ、そうなの? なんで?」
「なんでって? だって、私は、私は……」
そこまで言うとエルシーは突然顔を伏せ苦しそうに呼吸を荒げだす。
何が彼女の中で起きているのか分からず、ギアックはただ固唾を飲んで見守ることしか出来ない。
しばらくして、エルシーはがばっと顔を上げてギアックと視線を交わす。
耳まで真っ赤に染まっていた。背後で洛陽しかかっている夕陽のせいだけとは思えなかった。
数秒、もしかしたらもっと短い時間だったかもしれない。
潤んだ瞳がギアックを見つめ、そして、
「わ、わたしは、ギアックとだったら、そのさ、いいと思うんだよね」
決心したようにエルシーが告げる。
しかし
「いいって、な、何が?」
困惑した表情でその意味を問うギアック。
途端にエルシーの表情が後悔で歪み、
「や、やっぱりウソ!! ゴメン!! 今のは忘れてっ!!!」
叫びながら夕陽に向かって全力疾走を始める。
その背中をギアックは呆けた表情で見つめていた。
「さっさと追いかけなアンチャン」
横で一連のやり取りを見ていた露天商が真面目な顔つきでギアックに言い放つ。いつの間にか呼称のランクが大分下がっている気がしたが、そんな些細なことはどうでもよかった。
「見た所アンチャンは人生損する性格をしてやがる。そんなヤツは人より努力して必死に幸せを追い求めなきゃいけねぇんだ。今追いかけねぇとたぶん一生後悔するぜ。……ほらっコイツをやるから彼女さんの指にはめてやんな」
お代は結構と付け加えて露天商はギアックに銀で出来たシンプルな指輪を手渡す。
「良く分からないけど……礼を言っておくよ。奥さんにもよろしく」
「へっ、いいってことよ。それよりさっさと行きな」
手を振って追い払う仕草をする露天商に頭を下げ、ギアックはエルシーの背中に向かって駆け出そうとする。
その時―――
ちょうど道の反対側から夕陽を背にしてフードを被った人物がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
(まだ暑いのにあんな恰好なんて珍しいな)
ギアックはローブ姿のその人物を何気なく見て、そしてそのまま視線を顔の方へと滑らせる。
その瞬間、全ての時が止まった。
「ッ!!!!!!!!!」
音が消え、景色が灰色に染まり、血が凍り付いていく。
亡霊だった。そこにはこの平穏な世界には居てはならない者がいた。
恐怖が一瞬にして喉元までせりあがって来る。
ローブの人物はそんなギアックの様子を見て小さく微笑む。
その笑顔は邪悪そのもの、忌まわしい記憶が、封印したはずの過去が呼び起こされる。
彼女は、彼女は―――
『ねぇギアック。今日は何を壊そうか?』




