その4
数分の作戦会議の後、二人は一旦本隊の背後へと回りこみ、そこからゆっくりとほふく前進で近づくことに決めた。
別に作戦と呼ぶのもおこがましいほどの稚拙さだったが、そんなことは別にどうでもよかった。このような子供じみたイタズラをしているという事に意味があるのであった。
エルシーもクスクスと笑いながら「いつバレるかな?」などと、この状況を楽しんでいる様子だ。ギアックも同じく童心に戻って、心の底からこのささやかな試みを楽しんでいた。
それにしても自分にこんな日が訪れるなんて……ギアックは数年前までは予想だにしていなかった。うっそうと生い茂った深い森の奥底で、血なまぐさい日々を送り続けていた自分がまさか―――
ギアックはステキな思い出を与えてくれたエルシーと、このミレニムという地に心の中で感謝の言葉を述べる。
そして願う。こんな楽しい日々が永遠に続きますように、と。
―――柄にもなくそんなことを考えていたせいだろうか―――
ギアックは異変に気づくのに、一拍子遅れてしまった。
「……ねぇギアック、なんかヘンじゃない? 急に霧が出てきたような」
「えっ?」
見るといつの間にか二人の周りにうっすらと霧が立ち込めていた。
そしてそれがみるみる内に濃くなっていく。
数秒後にはすぐ隣にいるはずのエルシーの顔すらはっきりと判別できなくなるほど、厚い霧の層が二人の間を隔てていた。
ギアックの頬を冷や汗が流れ落ちる。
誰かに、夢なんて見てるんじゃないと、頭を金づちで殴られたかのような気がした。
なぜなら―――この霧には見覚えがあったから。
いや、少し黄味がかったこの色合い、そしてわずかに鼻孔をくすぐる独特の芳香、
これはただの霧ではない。
煙幕だ。
連中が初動をかける際に使用する目くらましの煙幕によるものだ。
一体だれがなんのためにそもそもなぜ生きているなぜこのタイミングでなんのためになぜ?なぜ?なぜ?
理解しがたい状況にギアックの頭はエラーを起こす。
「あれ? あれ? ギアックどこ? なにこれ? なんなの?」
「…………エルシー……動かないで……」
だが、同期の、大事な存在がすぐ傍にいることを思い出し、ギアックは即座に意識を切り替える。
そうだ、悠長に混乱しているヒマなど無い、これが撒かれたということは、次に起きることは―――
「うわぁぁぁぁ!!」
グシャ
その時二人のすぐ前方で悲鳴が上がった。
その後に何かが押しつぶれたような不快な音が続く。
「えっ、えっ、何? 今のだれ?……もしかして悲鳴?? な、なんで??……………あれ、何コレ……何かあるよ? …………………………えっ…………コレって…………まさか…………」
ギアックからは見えないが、エルシーの傍にはすでに最初の犠牲者が倒れているようだった。
いや、最初とは限らない。もしかするとすでに…………
「エルシー!! そのまま伏せているんだっ!!! 絶対に顔を上げるんじゃないっ!!!」
「えっ? ちょ、ちょっとギアック、どしたの急に」
同期の戸惑いの声を最後まで聞くことなくギアックは霧の中を駆けだしていた。
視界は効かず、先はまったく見通せないが、ギアックはその身に宿る忌まわしき力によって敵の位置は特定できていた。
敵の数は一体だけ、だがありえない状態だ。
濃霧の中心部に近づくにつれ戦いの気配が濃くなっていくのを感じる。
否、それは戦闘ではなかった。
先ほど見習い騎士たちがダテンシにしていたような行為、一方的な虐殺、それがこの濃霧の中で繰り広げられている。
グシャ、ビチャッ、グシャ、ビチャッ、ぁぁぁ、グチャ、ビチャッ、グチャ、ビチャッ
現に霧の中から聞こえてくるのは何か押しつぶされたかのような不快な音と、その後に続く血が滴るような水音、そして時折混じる断末魔の声だけなのだから。
敵の姿が見えないのだから戦いようがないのだろう。
だが敵は違う。奴らは姿が視認できなくても、敵の存在を認知できる。
精神世界に揺蕩っているのか、それとも魂とやらを見ているのか、とにかくそういう未知の器官を備えているのだ。
それに例えその姿を捉えることが出来たとしても、到底かなう相手とは思えない、本来の力を取り戻した奴らは、一体で都市せん滅級の脅威となりえるのだから。
人智を超えた、悪魔のような存在。
それが本来の―――
「うぎゃあああああぁぁぁぁ」
その時ギアックのすぐ前方で悲鳴が上がった。
ギアックはすかさず腰袋の口を開き、支給されていた火薬玉を取り出すと脛当てにこすりつけて着火させる。
「フンッ!!」
パァンッ
虚空に投げつけた途端、火薬玉は乾いた破裂音を響かせ、緞帳のように重く垂れさがった濃霧が広範囲にわたって吹き飛ぶ。
そして敵の姿があらわになる。
「やはり……活性化しているかっ!!」
認めたくは無かったが、認めざるを得ない。
そこには血で赤く染まった前脚を高く掲げ、血のように紅い宝玉コアをむき出しにしている直立した鈍亀級の姿が、ギアックの前に小山のごとくそびえ立っていた。




