その2
「ほらほら二人とも、そういう痴話げんかは訓練が終わってからにしなさい。他の皆も訓練に集中して。ケガしちゃうよ」
いつまでも押し問答を繰り広げているギアックとエルシー、そしてそのやりとりを生暖かく見守っていた訓練生たち、そんな気の緩みまくった空間に凛とした声が響き渡る。
声の主は軽鎧をまとった二十代半ばくらい、スラッとした長身痩躯で緑色のロングヘアを一つ結わきにしている落ち着いた雰囲気の女騎士であった。
「あっ教官お久しぶりです。ねぇ聞いてくださいよ。ギアックがですね……」
「あら、そうなの、あらあら……」
教官と呼ばれた女性はいきなり見習い騎士の愚痴が始まって渋い顔をする……かと思いきや、
嫌な顔ひとつせずうんうん頷きながら話を聞いていた。
途中何度も相槌をうったり、質問を返したりしていたので、それがポーズではないのが誰の目にも明らかであった。
(教官、相変わらずだな)
その小さなやり取りだけ見ても、この女性の性格が分かるというものだった。
この教官は年齢や立場が違う者に対しても真剣に向き合う事ができる稀有な大人であり、そのため全見習い騎士たちから聖母のように慕われている女性なのであった。
その証拠に教官に叱責された訓練生たちは襟を正し、真面目に訓練に励みだす。
もちろんギアックも彼女の事は信頼していた。
むしろ、唯一信頼のおける大人と言ってもよい教官に対して、彼は憧憬の念すら抱いていた。
「……とにかく言い訳ばっかりで情けないんですよギアックは」
「うんうん、そうだね、確かにギアック情けないね」
「二人ともそれくらいにしてくださいよ。僕、繊細だからそれ以上言われたらあまりのショックに宿舎に引きこもって一歩も外から出れなくなっちゃいますよ?」
「あら、そうなの? それは困るなぁ。じゃあエルシー、ギアックの話はこれくらいにしておこうか」
「そうですね。でもまだまだ言い足りない事がありますので、後程ゆっくりお話しさせていただきます」
まだ教官の前で悪口を言われるのか、
そう思うとギアックはとても物悲しい気持ちになった。
「……それにしても教官? ここ数日お姿が見えませんでしたがどこかに出張でもされてたんですか? まさかどこか体の具合でも悪いとか?」
ギアックは何気なくそう問いかけてみた。
すると教官は明らかに困ったような表情を浮かべ、エルシーと目配せする。
「うーんとそうだね。どうしようか?」
「絶対ダメです!! 今伝えたらギアックショックで本当に引きこもっちゃいますよ。あげくの果てには世を儚んで……」
「あははそうなの? それはとっても困るなぁ」
漏れ聞こえる会話からでは二人がどういった話をしているのかは分からなかったが、
それでも悪口を言われていることだけはギアックには何となく分かった。
ブルーな風が心の中を舞う。
「…………うん、分かった。ギアック、私が休んでいた理由、それはだね」
「は、はい」
「キミにはまだ内緒だよ。ごめんね」
そう言うと教官は本当に申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。
別にギアックはそこまで気になどしていなかったし、深く追求するつもりも毛頭なかったが、
教官の仕草があまりにも可愛らしかったので、つい意地悪したくなってしまった。
「え~~ずるいですよ。僕には内緒だなんて男女差別だ。教えてくださいよ」
「ふふっ、すねてもダメよ。まだ内緒って決めたんだから。それにね」
教官は前かがみになるとギアックの鼻を人差し指で軽くつつく。
「男って言うのは引き際が肝心なのよ。よく覚えておきなさい」
その時の教官は大人の顔になっていて、ギアックは意地悪どころか貫禄を見せつけられるだけの結果に終わってしまった。
「……はい、分かりました」
「よろしい。聞き分けのいい子は好きよ」
そう言ってわしわしとギアックの頭を頭を撫でつけてくれる教官。
袖口からは仄かに石鹸の香りが漂ってきて、ギアックはその芳香に顔も知らない母の面影を見た気がした。
(幼児じゃないんだから……全く、この人は……)
そう心の中では反発しながらも、ギアックは自分の頬がゆるんでいくのを抑える事ができなかった。