その19
「ほわっほぉ、ほわぁわぁぁ☆ワシの畑が! 家が! 財産ガァー♪」
顔中シワだらけの老人がベットの上でのたうた回っていた。
彼の名前はジョン=ガナダリア。
誰もが恐れる武闘派マフィア、ガナダリア一家の首領であり、常に死の影が付き纏っている男である。
だが今、彼につきまとっているのはせいぜいおしめの隙間から漏れ出る臭気にいざなわれたハエくらいのものであった。
その瞳からは知性の輝きは失われており、緩みきった表情筋からは凄みも恐ろしさも消え去っていた。
数日前まではまちがいなくガナダリア一家の長として辣腕を振るっていたこの男にいったい何が起きたというのか。
「どうしたのドン? また怖い夢でも見たのかい?」
するとわめき声を聞きつけたのか情夫らしき女性が現れた。
はちきれんばかりの肢体を薄布で包んだだけの格好で献身的にジョンの背中をさすり始める。
「ああああ畑がぁ家がぁワシの家族がぁ〜燃えちまうぅぅ」
「ぶっ、家族だって。いったい誰のことを言ってんだか。ほらほら、あんまりあばれるとまたベッドにこぼしちまうよ。まったくほんとうにもうろくしたねぇ……しんじらんないよまったく……」
女性は遠い目で過ぎ去りし日々に思いを馳せる。
ジョンの女として、片腕として、ガナダリア一家を共に築き上げた日々のことを。
そして、その全てが瞬時に奪われた断罪の日のことを。
「お天道様は見逃してくれなかったってことなんだろうね……」
彼女の言う通りあの日、天から雷が落ちてきた。
その雷は激しい轟音とともにガナダリア一家の全てを消滅させた。
屋敷も部下もシノギも。
全てが灰塵と化した。
そしてどん底になったガナダリアに救いの手を差し伸べる者はいなかった。今まで恐怖と暴力で従わせてきた者たちはここぞとばかりに牙を剥いてきた。
そこでようやくジョンたちは気づいたのだ。
どうやら今まで築きあげてきたのがただの砂で出来た城だったということに。
そして命からがらこのセーフハウスに逃げ込んだ時、すでにジョン=ガナダリアの精神は崩壊していた。
「……しょうがないよ、アレだけのことをやってきたんだ……それにアンタとアタシ、生命があるだけでもめっけんだって思わなきゃね」
「ぅぅああんん富が権力が名声がぁぁぁん」
するとジョンはいきなりノーモーションで自らの汚物を女性にぶちまけた。
「おおおん、おおおぉん」
彼女は涙と汚物でぐちゃぐちゃになった顔を拭いて微笑む。
「……大丈夫よ。こんなの大したことない。悪夢だっていつかはかならず覚めるんだから……」
それは果たしてジョンに言っているのか自分に言い聞かせているのか。
女は感傷に飲みこまれないように別のことを考えはじめた。
「……あの雷、あれは雷なんかじゃなかったよね……」
ガナダリアの全てを消滅させた天の裁き、誰にも伝えてはいなかったが彼女はその瞬間を目撃していた。
そしてあれが雷ではなく―――飛来してきた数本の槍によるものだということを知っていた。
あまりにも荒唐無稽。そのため彼女はこのことを胸の内に秘めていた。
今までも、そしておそらくこれからもずっと―――
それにあれが雷でも槍でももはやどうでもいいことであった。
人知を超えた何かが罪人に罰を与えた、それだけは動かしようのない事実なのだろうから。
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声が響いた。
ヴァニシングエリアをつかえ、と。
それがなんなのか、どうすればいいのか、
問うてるヒマはなかった。
ただ一言、
『目の前の敵と同じことをすればいい―――』
とだけ告げられる。
答えはこの翼竜にあると言うのか。
N2は視線を疾走させる。
悠長に観察なぞしている暇はない。
刹那のインスピレーションを得なければならない。
だから枝葉を見ずにアウトラインだけ見た。
それが最後の分水嶺になった。
そしてN2は全てを理解した。
翼竜の肩の張り出した部分が消えている。
それだけじゃない、その他もところどころ形が歪になっている。
そして消えた装甲の流れは全て目の前の爪先に集約している。
つまり―――この翼竜の装甲は回復などしてはいなかった。
余っている部位から足りていない部位に再配置しただけであったのだ。
(これが真相、装甲の付け替え、これと同じことをしろというのかっ!?)
「ヴァニシング!」
コートの外側、ボッシュの言うところの力場に意識を集中させる。ロスティスをいくら重ねたところでその防御力はたかが知れている。エルシーとの戦いでそのことは身をもって学習済みだ。
だからコートが伝えようとしたのはその外側、超常的な防御力を持つ力場のことである、そう判断し形の見えない力場に意識を沿わせ重ねていく。
すると皮膚感覚で力場が変化したことが分かった。膜状から薄い筒状のトンネルへと形態変化していく。
ガキィィィン!!!
間髪入れずに爪の一撃が頭部を叩いた。
だが衝撃はなかった。
爪のエネルギーは全て筒の内側に吸い込まれ、らせんを描きながら彼方へと消えさっていった。目には映らないその一連の流れをN2は超感覚で確かに見た。
「くっ」
直後に激しい疲労感が全身を襲う。
指一本動かすことすら困難なほどのけだるさだ。
あきらかにヴァニシングエリアの反動、だとしたらこれはあくまでも緊急回避の手段の一つで事態は何一つ好転していないのではないか。
「う、うおぉぉぉぉ!!」
焦燥からかN2は気合いと共に再び翼竜に向かって武器を振り下ろす。
だが帰ってくるのは固い岩盤に突き当たったかのような手ごたえだけ。それでもめげすにN2は再び刃を突き立てる。
「くそっ、くそっ!」
串刺しにされながら腕を上下させる単調な作業を繰り返すN2。まるでヴァニシングエリアが彼から正常な判断力をも消滅させてしまったかのようだった。
だが繰り返している内に天啓が降りてきた。
(そうか、コイツの装甲は今―――)
「テンタクルエッジッ!!」
袖口から刃を射出させ肩と肩甲骨のつけ根に送り込む。
そこの装甲は今現在爪先に移動しており無防備になっているはずだ。
「なにっ!!!?」
だが刃が目的を達することはなかった。
目の前でテンタクルエッジの射出速度よりも早く翼竜の装甲が脈打ちながら肩へと集約されていった。
そしてテンタクルエッジが飛来する頃にはすでにぶ厚い装甲のカーテンが敷かれていた。
「そんなに速いのかっ!? くぅぅっ!!!」
さらに追い討ちをかけるように再び爪の攻撃が迫る。
もう一度ヴァニシングエリアを展開しなければ、そう思い意識を力場へ集中させると、
「ああああ」
頭の中を激痛が駆け巡る。
その痛みは奇跡が二度起こせないことをN2に伝えた。そしてヴァニシングエリアを展開することかなわず翼竜の攻撃を迎えいれてしまう。
(死ーーー)
「うぉおぉぉぉぉぉおぉぉおりゃぁああああああ!!!」
今日何度目かの死を覚悟した瞬間、威勢のいい掛け声と共にN2の身体は宙に浮いていた。
「無事かぁ大将よぉぉぉ!!??」
久しぶりに聞くボッシュのカン高い声、N2がその時安堵の吐息を漏らしたかは仮面の上からでは分からなかった。
「ま、まったくお前は、ひ、一人で逃げろと言っただろうが―――」
「仲間を見捨てるなんてダセェことハナから考えてねぇんだよボケがっ! オレをナメてんじゃねェぞ!!?」
ボッシュも凡百の男ではない。自分が敵からスルーされていたことには気づいている。それだのにこの行動、このセリフである。
並々ならぬ胆力ではない、N2はそのことを改めて実感したのであった。
「そ、そうか、分かった、ならはやく戻ってくれ―――」
「バカ言ってんじゃねぇ! 撤退だよ、撤退! 完全に劣勢だろがコレはよぉ!」
「バ、バカを言ってるのはそっちだ、すぐに戻れ」
「うるせぇこのクソバカやろう! そんなボロ布状態でイキってんじゃねぇ! それにオレが拾ってやった命を捨てさせるもんかよ!」
「ボッシュ!」
「何と言われようとダメだっ!!……テメェが考えてることぐれぇ分かってんだよ。あのバケモンをつかってお姫さんのところへ行こうっつうんだろ」
「き、気づいていたのか」
「…作戦は失敗したんだろ。それになんか回りくどいことしてやがるからよぉ。だがワリィがオレは顔もしらねぇ女にそこまで義理はたてらんねぇ。オレはお前の命を優先すンぞ」
「た、たのむからいう事を聞いてくれ、二人がかりならまだなんとかなるんだ」
「いいかげんにしろよ! テメェの命と女の命、どっちが大事だっていうんだよ!!」
「か、考えるまでもない」
N2は抱きかかえるボッシュの腕から逃れ翼竜と対峙する。
「彼女はダテンシを滅ぼす悪夢の共犯者、その命は―――同価値だ」
「くっ、こ、このクソ色ボケ野郎がよぉぉぉ!!」
憎々し気に悪態を吐くボッシュ。
そしてすぐさま彼はN2をカバーする位置に陣取る。
その構えからは不退転の覚悟が見て取れた。
「もうこれで最後だかんな!! これでダメだったらもう付き合わねぇからな!! で、どうすりゃいいんだよっ!!?」
「……ありがとう、すぐ考える」
N2はボッシュの優しさに素直に感謝した。
そしてボッシュに言われるでもなく、彼も次の攻防が最後になると考えていた。
体力的にも時間的にももはや後はない。
そんな極限状態だったからだろうか、N2は自然とヴァニシングエリアという離れ業から離れることが出来た。
今までダテンシと対峙してきた己の知識と経験、それらに頼ることが出来た。
(翼竜は本当に強い。シエラが操っているのか、それとも元のミスト=シルエットの力によるものなのか……)
正直シエラの力は未知数すぎてN2にも予測ができない。
だが、N2は過去の経験からシエラの干渉は限定的だと判断した。
(ハクの時もそうだ。彼は己の怒りを利用されただけ、シエラが直接操具していたわけじゃない。だとしたら付け入るべきスキは扇動者、ミスト=シルエットのほうにある―――)
そこで先ほどまで対峙していた扇動者の行動を思い返す。
焦りから先のことを考えずブレスを発射するうかつさ、
己の力を過信し回りくどい罠を貼って獲物をもて遊ぶ幼稚さ、
そして己の出自の秘密に打ちのめされて心を閉ざしかけてしまう脆さ、
どれをとっても戦士ではない。すべてにおいてまだ未熟さが残っている。
(そういえば……あんなこともあった―――)
その時N2は翼竜とのある攻防を思い出していた。
そしてその攻防の中に、彼は勝利につながる一筋の光明を見た気がした。
「……おいボッシュ、耳を貸せ」
「なんだ? ………………えっ? マ、マジで!? そんなんでいいのかよ??」
「試す価値はある、いや、もうこれしかない!」
N2は手持ちの武器の総量をすぐさまチェックする。
そして残量が十分であることが分かると、不敵に微笑む。
その悪魔的愉悦の表情は、仮面の上からでもハッキリと分かるほどであった。
「待たせたな翼竜よ。ようやくお前にも見せてやれる。本当の悪夢ってヤツをな……」