第9話 美しき罪悪感
後頭部に硬い物が打ち込まれ、激痛が走る。
「─────お嬢!」
キンキンと頭に響く声は焦りが含まれいた。それを合図にするかのようにがばりと身体を起こし、後頭部を抑える。何事かと周囲を見渡せば、灰色の髪をだらしなく垂らした女性が、細く長いパイプのようなものを片手に、眉根を寄せて仁王立ちしていた。重い瞼から覗く赤い瞳が射抜く。まるで自分に瓜ふたつだ。
「落ち着き給え──お前の名は何じゃ?」
「わ、わたくしは……わたくしは……?」
────誰だ?
そう問いかけようとしてハッと我に帰る。口を噤み、ごちゃごちゃと乱雑に引き出しが開いた頭を一旦整理しよう。何故目の前の女性を自分に瓜ふたつだと思ったのか。自分の瞳の色は、明るく輝く碧色ではなかったか。──そうだ、"わたくし"は……
「モード・レヴィ・オドネル……」
自分で確かめるように呟く。そうだ、目の前に居る灰色の髪の女性は──シャガ。カウンターの内側であわあわとふたりを交互に見ている、幼さがまだ残る女の子はシャロンだ。
シャガは肩を落としながら大きく溜息を吐くと、背後に引かれていた椅子にどしり、と重たく腰を降ろした。
「お前さん、噂に聞いていたよりも純粋なんじゃのぅ──うちの記憶にでさえ呑まれるとは」
「………何が起こったのか分かりませんわ」
「じゃろうな」
混乱しているモードを横目にパイプの先端を噛むように咥え、大きく息を吸う。灰色の髪をゆらりと揺らしながら口を窄めてため息混じりに吐き出すと、白い煙が一筋の糸のように舞い踊った。視界を遮り、頭上に雲のように立ちこめている。
──その後頭部に、小さな手が突き刺さるまでは。
「…………ッ!」
「こら、お嬢! 手荒な真似をしてごめんなさいでしょうが!」
シャロンが勢い良くチョップをかましたことで、シャガは崩れ落ちる。首を凭れ、空いている方の手で後頭部を覆った。腰に手を当て、声を荒げるシャロンの姿はまるで、子どもに説教をする母のようだ。
「…………うちは悪くない……」
「あんたは子どもかッ! あーやーまーりーなーさーい!」
拗ねたようにシャガが口を尖らせ、相手を睨む。見つめ合うこと数秒、シャロンに人差し指を突き付けられシャガの方が先に視線を逸らした。自身の膝の上を眺めながら、瞳だけでちらちらとモードを見やると、小声で謝罪の意を述べる。拗ねているようで、ふいとすぐに顔を背けた。
「…………………悪かったなぁ」
「構いませんわ」
思わず頬が緩む。先日見ていた彼女の威圧感など、今はどこにも存在し得なかった。堪え切れず喉の奥でくつくつと笑うと、シャガはふと恨めしげな表情を浮かべて瞳だけを向けてきた。
「お前さんにチラッとうちの記憶を見せたんじゃけど……呑まれそうになっていたから」
「ごめんね、手荒な真似して。大丈夫?」
言い訳をするようにぼそぼそと小さな声で述べるシャガに補足するように、シャロンが濡らしたハンカチを差し出してくれる。頭を下げて受け取りながら、モードは問いかけた。
「夢を見ていたんです。シャガさんの記憶──なのでしょうか」
「そうだよ。あれはシャガの得意な魔法。この子、戦闘能力はほぼ皆無だけどね。こういう幻覚を見せたり、眠らせたり。後は相手の動きを止めたりとか。そういうのが得意なんだ」
────魔法?
きょとんと目を丸くしてシャロンを見ると、彼女も呆けたようにきょとんと首を傾げた。何かおかしなことを言っただろうか──そう言いた気な表情は一変、段々と驚愕の色に染まっていく。
「まさかッ……お嬢、何も言ってないの!?」
「言ってないのぅ。まだ仲間になると決まったわけでもないし」
「それはそうだけどッ、何にも知らなきゃ仲間になるも何もないでしょ!?」
そして、再度口論が始まる。どうやら彼女達は相当仲が良いらしい。しれっと当然のように答えるシャガを見て、シャロンの額には青筋がピクピクと痙攣していた。はぁ……と深い溜息を吐いて首を凭れると、次に彼女が浮かべたのは微笑みだった。切り替えの早いことだ。
「ごめんね、これじゃただのテロリストを名乗るマジシャンだよね……不審者オブ不審者じゃん……」
「い、いえ。大丈夫ですわ。…………魔法というのは、本当なのかしら?」
笑みを浮かべつつも肩を落とし、力なく謝るシャロンに、モードはぶんぶんと左右に首を振って応える。魔法──信じ難い単語だが、モードは一度、魔法を見たことがあった。青味がかかった髪を靡かせる姿が、脳裏を過ぎる。
それを魔法などとは到底信じていなかったが、そうではないとすれば、今の夢は何だったのだろう、という話に戻ってしまう。とりあえず人の話は聞いてから判断すべきだ、と常日頃からアニタに教わっていたモードは続きの話を、と促した。
シャロンは拳を上げてガッツポーズを取り、自身の細い二の腕を見せつけるような姿で答える。
「そう。魔法。あたしはこう見えて力が結構ある方なんだけど、やっぱり女の子じゃ男の子に勝てないでしょ?だから、あたし達は魔法を極めてるの。ねぇ、シャガ?」
「……まあ、とはいえ魔法を使いこなせない者も居るんじゃけどのぅ。見たじゃろうに、うちの記憶──うちの母が、魔女だった」
────故に、殺された。
鼻で笑うように言い放つ言葉の節々には、自嘲が含まれていた。水面に黒髪が舞い踊る姿を思い返し、ゾッと背筋を冷たいものが駆け抜ける。爛れた痕でさえ存在する傷だらけの手足は縛られていた。そうだ、耳にしたことがある。
「…………魔女狩り…………」
──ほら、聞いたことあるじゃろ?魔女狩り、とか。
彼女の言葉が思い起こされる。森の奥で放った言葉には、どんな思いが含まれていたかなんて到底知りえない。父から聞いた話では、集団で抱えたストレスを発散するために、地震だ火事だ貧困だ、などのどうしようもないことを魔女の仕業に仕立て上げるというものだった。その中には個人的な恨みも含まれていたという。彼女の母は──本当に、魔女だったというのか。
「うちの母はなーんも悪いことなんてしてないのにのぅ。誰が告げ口したかなんて考えたくもないが…………どうやら女の嫉妬だったらしいなぁ。まあ無理もない、母は綺麗な人じゃった」
「………………」
たまたまそれが、本当に魔法使いだっただけで──その声に答えられない。言葉が、出ない。何と返せばいいのか、どんな言葉をかけてあげればいいのか、分からない。
確か彼女の記憶だと"みんな優しかった"というものだったはずだ。一体今、彼女はどう思っているのだろう。何を考えているのだろうか。彼女の灼眼を見つめていても、到底知りえはしない。
シャガの口は弧を描いているものの、モードにはそれが、強がっているようにしか見えない。あんなにも大きく畏怖して見えたはずの彼女の背が、小さいことにようやく気がつく。
「疑惑が浮いたにも関わらず、うちを匿ったシャロンの両親も──」
ちらりと赤い瞳が上を向く。その視線を追いかければ、シャロンがえへへ、と眉尻を下げて困ったように笑みを浮かべている。彼女が首を傾げると同時に、側頭部でひとつに縛られた赤みのかかった髪が、ふわりと宙を舞った。
「世界は何て理不尽なんじゃ。何て不条理なんじゃ。こんなにも謂れのないことで居場所を失ってしまう人が沢山居る…………そんなの、可笑しいと思わんかえ?」
「あたし達はね、罪なき人の居場所になる。そして尊厳を取り戻す。そう、決めたんだ」
────だから、自分が誘われた。
魔女だから、美しいからと虐げられる理由になるのか。モードは確かに傲慢だった。高慢だった。性格はお世辞にも良いとは言えず、人を傷つけるようなことも言ってきた。だが、シャガの言葉を思い返した。──罰せられるべきは己の言動であって、美貌ではない。
魅了罪が法として認められてしまった今、嫉妬を買った人が罪もなく罰せられてしまう現状に恐怖を覚えた。それこそ、シャガの母のように。自ら恨みを買ってしまったモードとは違う。ただ、美しいというだけで。
雪が降りしきる中、青みのかかった髪を宙に靡かせ、恍惚とした表情を浮かべていた女性が脳に染み付いている。
魅了罪は彼女が進言したと聞いた。きっとそれは──自分を殺すために。自分のせいではないと思う反面、言い様のない罪悪感が背後から強く抱き締めた。
「だからね、モード。──あたし達と一緒に来ない?」
止めなければならない。怖いとは思えど、自分は殺されても構わない。自分のせいでシャガやシャロンのような思いをする人が居るのであれば──彼女を、止めなければ、ならない。
口をきゅっと一文字に引き結んだ。胸が張り裂けそうなほど痛み、無意識に強く握ってしまっていた掌に、爪が食い込む。だが今は、その痛みがなければ、心を蝕む黒い影に、飲まれてしまいそうだ。下唇を軽く噛んでから、唇をそっと開いた。
「…………わたくし、お役に立てるよう善処しましょう」
シャロンが手を叩いてうさぎのように飛び跳ねる。赤みのかかった髪が左右に揺れた。シャガはといえば、特に果敢せずといった様子で噛むようにパイプを咥えている。
わたくしの名はモード・レヴィ・オドネル。この名を冠している以上、まだ舞台から降りる訳には行かない。与えられた役割がある限り、アドリブだろうと構わない。音楽が流れ、舞台に上がるのであれば。どれだけブーイングを受けようとも、どれだけ罵声を浴びせられようとも、紙くずを投げつけられようとも──舞台に、上がらなければ。そこに台本がある以上は、晴れやかな笑顔で、最後まで、演じきらねばなるまい。
──華々しく、最後まで踊ってみせましょう。




