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絶佳戦記  作者: 27
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第5話 美しき魔女

「やぁやぁ、ありがとう」


 静かに置かれたティーカップに、"魔女"は両手を頬の横に掲げて大袈裟に驚いてみせる。二本の指で摘むと、そのまま躊躇いもなく口をつける。


 "魔女"と名乗る女性が訪れたのは、日が傾き、今にも沈もうかとしていた頃だった。アニタの指示の下、濡れ雑巾を片手に全部屋を回っていた最中で、まるで窓の外のように白く染め上げられた家具という家具がようやく本来の色を取り戻し始めていた頃だ。


 軽快なノックにふたりの手が同時にピタリ、と硬直する。ここは森の奥の更に奥。ご近所さんといえば狸か狐か……あるいは、熊くらいなこの辺境の地に客人が来るなど、耳にしていない。風が扉を揺らしたのだろうか、とでも言いたげにふたりが顔を見合わせるも束の間、家を揺らしながら轟音が鳴り響いた。

 ただでさえ立て付けの悪い扉を勢い良く開かれ、慌てて玄関先を見に行ったことは言うまでもないだろう。


 案内する間もなく堂々と拭いたばかりで輝き……まではしないが、見れない程ではなくなった机に座る姿を見て、モードは慌てて向かい側の席に着いた。

 アニタは眉ひとつ動かさなかったが、怪訝そうに相手をまじまじと見詰めた後、とりあえず客人らしき不審者は饗さなければという判断に至ったのか素早くお茶を用意してくれた。


 お前は誰だ、とオブラートにぐるぐると巻いて問いかけた所、彼女は自身を"魔女"だと名乗り、今に至る。


「………………それで、どのようなご用件でこちらへ?」


 ここはもう、空き家ではなくなったのですよ。と皮肉を込めれば、"魔女"はにんまりと口を歪める。灰色の髪がふわりと重力に流された。シニヨンのように結った髪は、横髪の一部が残され、まるで重力など知らないかのように幾重もの円を描くように巻かれている。やや色素が薄いのか、重い瞼から覗く灼眼はアニタよりも明るく、発色がいい。


──灼眼?


 モードにはどこか引っかかり、眉根を少し寄せる。訝しげな表情を見せたが、気にしないようにとす、と即座に元の微笑みを浮かべた。どちらが早いか、"魔女"は懐に手を伸ばす。東洋の民族衣装を着崩したようなドレスの袖から、一本の長いパイプを取り出すと、それを見せつけるように三度程横に振った。吸ってもいいか、という合図だ。モードが頷いたのを確認すると、彼女は満足気な表情で火を点けることもなくその先端を咥えて大きく息を吸う。


 口を先端から惜しげもなく離すと楽しむように顎を上げ、更に大きく息を吸い込んだ。ふぅ、と細く長い息と同時に厚い桃色の唇から白い煙が溢れだす。彼女の肺の中が空になると、やっと声が聞けた。


「あんたの事情は知っているぞ。"魅了罪"だったか?馬鹿馬鹿しいのぅ……その上で、会いに来た」


 サラリと"魔女"は反国的なことを述べるが、モードの唇は三日月のような弧を描いたまま、割れることはない。瞳だけで先を促すように、相手の瞳をしっかりと見据えていた。


「"魅了罪"ってのはなぁ、なぁに今に始まったことじゃない。ほら、聞いたことあるじゃろ?魔女狩り、とか」


 そう言うと、"魔女"はゆっくりと背もたれに深く体重をかけ、二本の足だけで立った椅子をゆらゆらと前後に揺らす。キィ……と椅子の足が軋む、微かな音が鼓膜を打つ。


「そこで気になったんじゃ。そこのお嬢様はさぁ、一体全体それに素直に納得しているんか?」


 テーブルの上に乗せられた簡素なランプだけがお互いの顔を照らし出す。薄暗い空間にぼんやりと浮かび上がる"魔女"の姿は、嘗て本で見かけた挿絵と重なる雰囲気を醸し出している。実際その姿は記憶の中の姿と似ても似つかない。歳が想像よりも幾分も若く、精々20年も生きているか、いないか程度に見えるのだが。


 しかし、モードには面白いものでも聞かせろと舌なめずりでもしながら品定めをするような目線に覚えるのは、嫌悪というよりも──畏怖を感じた。


「わたくしはオドネル家に誇りを持ってますの。愛する父の判断は間違っていないと、信じていますわ」


──冷静に。そう、冷静に。


 自分に言い聞かせながらそう答えると、後ろに控えるアニタからの視線を感じた。だが、それに応える余裕などない。彼女が何を思っているのか知る余裕など、モードにはない。

 この"魔女"の話を正面から受け止めてしまえば、自分の罪と罰を受け入れられなくなってしまう。理不尽だと思えば恨んでしまう。不条理だと思えば憎んでしまう。今まで過ごして来た愛する我が国に、我が父に、失望などしたくない。自分が舞台から降ろされるべき役者であるならば、潔く、華々しく階段を踏みしめたい。


 出来るならば余計なことなど言うな、そして不躾を謝罪しろと相手に一発お見舞いしたい気分ではあるが、如何せんそれをする度胸などなく、加えて腕力もない。


「あんたの父は実際、権力を取って娘を捨てたんじゃけどの」


 鼻で笑うかのような言い草に、思わず頭に血が登る。顔が爆発したかのように熱くなっていく感覚がするが、ここは堪えるべきだと膝の上で両手を握り込んだ。掌に爪が食い込む痛みが己と理性を繋ぎ留めてくれる。挑発に惑わされてしまうわけにはいかない。この女が何を企んでいるのかが分からない以上は。


「────罰せられるべきはお前さんの傲慢さであり、美しさではない」


────と、うちは思うんじゃけどのぅ。


 下唇を噛み、視線を膝の上へと逸らした。指の逆剥けを探しながら、言い返すための言葉を探す。


 そんなことはモード自身も分かっている。しかし、どうすることも出来ないのだ。自分の感情など抑え込み、全てを奪われることを恐れず、役割を演じ切った。

 舞台を降りた役者がライトに当てられることなどない。あってはならない。だからこそ、恰も納得しているかのように見せかけることで自分の精神を保つことの──何が、悪いというのか。


 瞼を閉じ、噛み締めるように言葉を吐き出す。その声は挑発による怒りからか、理不尽な現実を突き付けられた悲しみからか、それとも他の何かからか、震えていた。


「…………………………何が、言いたいんですの?」


「話の内容は"お前さんは境遇を呪うべき"じゃって話。ただ…………そうじゃなぁ、会いに来た本題に入るなら」


────うちらの仲間にならんかえ?


 思わず眉を上げ、目を丸くする。動揺したモードが振り返ると、黙って聞いていたアニタも何を言っているのか分からないと言いたげに相手を凝視していた。


 そんな二人の表情でさえ如何にも予想通りというのか、"魔女"は眉根一つ動かさず、パイプを噛むように咥えて大きく息を吸った。口から離し、楽しむかのように大きく息を吸うと、ゆっくりと細く吐き出す。モードの視界を遮り、煙はまるで熱せられた雪のように、ゆっくりと空中に溶けていく。


「あんたの故郷──ヴァルハサンに一発痛い目見せてやるための、ね」

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