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絶佳戦記  作者: 27
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第2話 あなたは美しいもの

「わたくしはもうオドネルの人間じゃありませんわ──アニタ」


「はい。そうですね、オドネル様」


 白い絨毯に足が沈めると、ぶちぶちと氷の結晶が壊れていく感覚が伝わってくる。そのざくざくという音をバックグラウンドに、言葉を紡げば、鈴のような声で極当然のように頷かれてしまった。


 重たい荷物を背に抱えているからか、沼に足が取られているかのような感覚に襲われる。歩き難さに苛立ちを覚えつつ、左側に瞳を寄せる。鈴のような声の主は、眉一つ動かさず、至極当然のように隣を歩いていた。


 アニタと呼ばれた少女は漆器のような黒髪を宙に遊ばせながら、軽快な足取りで前を目指す。自分よりも二倍ほどある荷物を背負っているとは思えない。


──頭痛がする。思わず額に指先を当てて左右に首を振るが、アニタはそれすら気にも留めない。


「アニタ、つまりね。わたくしは──」


「なるほど。理解しました、オドネル様」


 言葉を遮るようにアニタが声を上げ、両手をぽんと叩いた。その顔に表情は無く、声も淡々としている。まるでロボットのような言動に何を考えているのかは正直、主であるモードにも分からない。

 だが、12年も世話をして貰っていれば、流石のモードも深く考えないということを覚える。理解したと彼女が言うのであれば理解したのだろう。理解したというのを前提に話を促すことにした。


「そ、そう?ならいいわ。アニタ、ここまでで結構──」


「オドネル様が勘当された今、オドネル様と呼ぶのは不自然ですね。嫌味のようにも思えます。モード様と呼びましょう」

 

──欠片も理解していない。


 再度言葉を遮り、アニタが素早く人差し指を立てて提案する。彼女の表情はいつも通り無表情を保っているものの、どこか嬉々としたものが声色に含まれていたのは気のせいだろうか。


 自分の考えていることが相手を傷つけてしまうのではないかと案じるような内容だっただけに、この話の流れでは言い難い。タイミングを伺って、もう一度切り出すべきだろうか。


 気圧されたモードが「あら、そうね……」などと返事をしていると、アニタは不意に足を止めた。その場で背負っていた大きな鞄を地面へと降ろす。開こうと格闘しているのは、詰め込まれたことで変形し、荷物がはみだしている鞄である。開閉ですら大変そうだ。


「………アニタ」


「休憩しましょう、モード様。慣れない長旅です。お疲れでしょう」


 何をしているの、と問いかけるまでもなく、彼女はどこか柔らかな声で促す。つい毒気を抜かれ、モードは居心地の悪さを感じた。それはまるで、罪悪感にも似ている。

 地面に視線を落とすモードをさて置いて、アニタは鞄から小さなちりとりを取り出した。誰の反応を待つまでもなく、テキパキと慣れた手付きで積もった雪にちりとりを刺し込み、引き摺る。簡易的な雪掻きのようだ。


 疲れているかと問われれば、それは勿論疲れている。そもそもオドネル家のひとり娘として可愛がられていたモードが山道を歩くことなど、自分を含めて誰も想像すらしていなかったことだろう。

 道が整えられていないのもあってか、足が浮腫み、どこが痛いのかすらも分からないほどだ。オマケに雪が降りしきる程の寒さに体力が奪われるときた。


──もう、どれ程歩いただろうか。


 目指すは国境に佇む森の奥の奥。そこにひとつの家がある。廃家として聳えるそれこそが、モードの新居だ。流石に罪人とはいえ宿もない程、王の心は鬼ではなかったらしい。


 国境へは小さな馬車で出して貰えたが、道の悪い森の中は馬車では入れないらしい。ひたすら西に進めとだけ告げられたかと思えば、コンパスと共に森の中へと放り投げられてしまった。

 あくまで自分は罪人である身。オドネルの名も、もう己には存在しないに等しい。文句を言っても仕方がないと割り切り、コンパスが指す西方向へと足を動かし続けている。

 一時間以上は歩いているだろうか。それでも尚、一向に家らしきものは見当たらない。


 ちなみにアニタはといえば、モードより先に当然のように馬車に乗っていた。嘗てとはいえ主を見送ってくれるのか……などと目頭が熱くなったのも束の間、森の入り口で放り投げられた際にモードより倍ある荷物を背負って降車。何が起きてるのか理解する間もなく、アニタに促されるがまま歩き出した。この大荷物を前に、どこまで見送ってくれるのか分からない──などという程、流石にそこまで頭は弱くない。


 あくまで罪は当人のみであり、使用人には及ばないと耳にしたはすだった。特にアニタは使用人の中でも随一の働き者であることは父も認めている。少しズレた所があり、時々トンチンカンなことをやらかすのは玉に傷だが、そんな所も愛らしいと可愛がられていた。

 贔屓目もあるのだろうが……そんなアニタであれば、父が相応に良い待遇を用意してくれることだろう。アニタのためにも、オドネル家に残るべきだ。


 それなのに何故──着いて来る?


 彼女は出会ってから12年、表情から感情が読み取れたことは滅多に無い。ミステリアスといえば耳触りが良いが、本人曰く『表情筋が死んでいる』らしい。

 表情から読み取れない分、尚更何を考えているのか分からない。悶々と首を捻らせていると、肩をポンと軽く叩かれた。


「モード様。足をお休めください」


 その声に振り返ると、雪が丁寧に除けられた地面に、小さな布が敷かれていた。

 薄く、丁度一人分座れるかどうか程度の大きさのものだ。布の端には些細なほつれが伸びている。よく見れば縫い目が荒く、まるで手作りのようだ。所謂パッチワークというもので、様々なはぎれが縫い合わせてある姿は暖かみがあって可愛らしい。


──帰れと言うべきだろうか?


 一瞬躊躇ったが、タイミングが悪すぎる。頭を軽く左右に振って、考えを捨てた。言葉に甘え、おずおずと腰を降ろすと、アニタが流れるような動作で膝掛けを掛けてくれる。全く気の利く子である。


 アニタは鞄を漁り、石をふたつと分厚い外国語の書籍を取り出す。石を両手に持ち、勢い良く打ちつければ、擦れる硬い音が耳に届いた。次第にぱち、ぱちと光が飛び散る。火花を起こしながら、アニタは静かに問いかけてきた。


「スープ、如何ですか?旦那様が豆をくださったんです。きっと煮込めば暖まるでしょう」


「…………任せますわ」


 我ながら、素っ気ない。モードが素っ気ない理由を、聡いアニタであれば察してくれるのではないか、という期待を込めてのものだ。だが裏腹に、彼女は気にも留めていない様子で本に火口を近づける。ぽっ、と小さな炎が角に灯り、ゆらゆらと揺らめきながら周囲に小さな光の円を描いた。


──のも束の間、炎はじゅっという小さな音を立てて消え、本の角からは灰色の煙と焦げた匂いだけが立ち登る。


「…………あ」


「……………でしょうね。雪が降ってるんだもの」


 アニタの小さな腑に落ちた声に、呆れて苦笑いを浮かべる。そうですね……などと呟きながら、アニタは少し申し訳なさそうに眉尻を下げる。視線を落とし、いじいじと本の装飾を人差し指でなぞった。あからさまに肩を落とすアニタはどこか、小動物じみていて愛らしい。


 とはいえ茶化す訳にも行かず、目のやり場に困る。ふと顔を上げてみるも、空は顔を隠していた。頭上は高い木が葉を重ねているのみだ。まあ、実際に見えた所で結局曇り空なのだろうが。

 感傷に浸りたかったが、諦めることにする。艷やかな黒髪に視線を戻した。


「あー…………あのね、アニタ」


「…………はい」


 特徴的な高い、鈴のような声はか細く、今にも消え入りそうだ。そこにはあえて触れず、モードは一言一言選び、噛み締めるように言葉を紡ぐ。こんなにも主の為を思える良い子ならば尚更、罪人と共に生活をさせるべきではないだろう。


「わたくし、あなたが大好きよ」


「はい。知ってます」


────────知っているのね。


 言葉が喉元までせり上がって来たが、何とか飲み込む。確かに自分も嘘は言っていないし、事実彼女も嘘を言っているわけではないだろう。しかしどこか腑に落ちない。

 よく考えなくとも、アニタとは昔からこういう人間だ。よく言えば素直で嘘が吐けない。悪く言えば──脳と口が直結している。


 深く溜息を吐き、片目を掌で覆った。どうにも調子が崩されてしまう。切り替えねば、と頭を左右に振り、再度口を開いた。


「だからね……もう、帰りなさい」


「モード様、貴方の地位は既に剥奪されています。従う理由はありません」


 返答とすら呼べないその切り返しは、予想外だった。


 ここ数年、アニタがモードに反抗したことはない。反抗されるにしても、まさかここまで真っ向から喧嘩を売られるとは思ってもいない。寧ろ想像すら出来なかった。取り繕う余裕もなく、思わず口を半分開いたまま見つめてしまう。


「………………………………………………え?」


 アニタの表情はといえば相変わらず無表情で、声色も淡々としている。何を考えているのかサッパリ分からない。

 言葉の意図が見えないままハッと我に返ったモードが、ぱくぱくと金魚のように口を開閉させる。だがアニタ本人は至って通常運転で、自分のスペースを確保すべくちりとりを片手に雪と格闘している。彼女にとっては大したことでもない、と示すかのように、こちらを見ようともしない。


「え、いや、え………アニタ……?」


「貴方がとってもとっても我儘で幼稚で意地が悪いってこと、私は知っています」


 言葉の棘が容赦なく突き刺さる。今まで権力と地位の恩恵に当たり、周囲に甘えて生きてきた自覚があることが尚更威力を増していた。特にアニタは一番近しい使用人だったため、その甘えのパンチを真正面から受けてきた筈だ。


 ぐうの音も出ず、胃が締め付けられるようにキリキリと痛んだ。思わず両手で抑えて前のめりになると、女性とは思えない濁点付きの呻き声が口から零れ落ちる。


「でも、だからこそ──あなたが罪に問われるような人間じゃないってこと、知ってますよ。だって」


 顔を上げると同時にアニタは瞳をどこか満足気に輝かせ、ちりとりを地面に放り投げる。それは静かに宙を舞い、音もなく白いクッションに包まれた。

 そのまま顔を出した地面に直接腰を降ろし、モードに向かい合う。身体を動かしたためか、寒いためか、頬にほんのりと桃色が挿している。モードが喉から声を絞り出すよりも先に、アニタが言葉を繋ぎ合わせる。


「だって私も、モード様のこと──大好きですから」


 二人の交錯する視線を邪魔するように、はらり、はらり、と白い結晶が風に流されて踊っている。静寂に包まれ、耳鳴りが微かに鼓膜を叩いた。

 堪え切れず、頬が緩む。口角が上がるのがモード自身にも伝わり、どうにか誤魔化そうと力を入れる。しかし、努力も虚しく顔が引き攣ってしまう。この笑みは呆れなのか、それとも──そんなことはさて置こう。


「そうですわね、ごめんなさい。あなたはわたくしと来るべきだわ。だってあなた、どうせ後からこちらに来る運命よ。罪に問われてね」


「…………と、いうと?」


 紅玉のように煌めく、発色の良い赤色の瞳に真っ直ぐに射抜かれる。白い雪とのコントラストが美しく、とても華やかだ。この瞳は、一体何度人を魅了すれば満足するのだろう。


「あなたは美しいもの、アニタ」

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