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絶佳戦記  作者: 27
10/11

第10話 啜る姿も美しい

──────遅い。


 陽は既に顔を半分隠しており、墨のような闇が景色を蝕んでいた。このままだと夜が耽けてしまう。大丈夫だろうか、と身を案じた頃に、漸く待ちわびた足音が耳を突いた。ざくざくと引きずるような音だ。跳ねる様に反応し、玄関の方へとに駆け寄る。


「あら、開きませんわ」


 ガッと重い音が何度も繰り返される。立て付けの悪い扉を開くことが出来ないようで、何度も扉が触れる音がした。慌ててドアノブを引っ掴み、やや上に押し上げながら開いてやる。色々と雑用をする内に見つけたコツだ。扉が開く同時に、隙間から冷たい空気が一気に駆け込んでくる。


「おかえりなさいませ、モード様」


「ただいまアニタ。ありがとう」


 頭に雪を積もらせたモードがふわりと頬を緩める。荒い息は白く、霧のように凍りついていた。部屋の中を揃えた手で差し促すと、彼女は重たそうに足を一歩前に出す。鍋に豆の入ったスープが作ってあることを思い出し、暖め直して来ようとキッチンへ向かった。視界の端に、椅子に崩れこむ姿が見える。彼女の首が赤く煌めいたのは、気のせいだろうか。


────開けなさい、アニタ。


 響くような凛とした声は、幻聴だ。脳裏に嘗てのモードが過ぎる。火のついた鍋を掻き回しながら、アニタはぼんやりと思い出に浸った。

 その姿は今よりも幼く、綺麗なドレスを身に纏っている。彼女はいつもナイフより重い物は持てないと、扉を必ず開けるように指示をしていた筈だ。


 だが、今日は自ら扉を開けようとしていた。それはオドネルの令嬢ではない、という覚悟の現れなのかもしれないが。加えて、痛いはずの身体を引きずりながらも、彼女の口は一度も「痛い」という言葉は出ていないことが気にかかる。成長したともいえるであろう彼女に──どこか、複雑な気持ちが渦巻いた。


ドロドロと粘度のあるスープが鍋の中で円を描く。その姿は、どこか自分の心境に似ていた。


「…………どうぞ」


 音を立てないようにスープを机にふたつ並べると、モードは背もたれに預けていた身体を起こした。ぱあ、と花を散らす様に目を輝かせる姿が愛らしい。向かいの席に座り、自分も木で作られたスプーンを手に取る。

 それを合図というように、モードもスープの器を少し引き寄せた。いただきます、とふたつの声が重なる。背後からは暖炉の炎が、まるで太陽にでもなったかというように、堂々と明かりを落としていた。


「…………それ、どうしたんですか」


 スープを無言で口に運ぶ。耳鳴りが聴こえそうな程の静寂の中で、食器同士が触れる音がくっきりと耳に届いた。重苦しく続く雰囲気を打ち消すように口を開いたのは、アニタからだ。モードは一度首元に手を添えると、口角を上げて微笑んだ。


「あら、これですか?お借りしましてよ」


 貰ったわけではないらしい。モードが人差し指で持ち上げるように見せつけた。

 逆三角形のパーツに複雑な模様が掘られているペンダントだ。その先に埋め込まれている赤い石が煌めく。


「…………そうね、どこからお話すれば良いのかしら。アニタは魔法なんて信じていませんもの」


「魔法……?」


 脳裏にとある人物が過ぎる。深い紺色の髪を揺らし、瞳孔の小さな鳶色の瞳を持った女性が三日月のように唇を歪めて薄気味悪い笑顔を浮かべている。こんな辺境の地で尚思い出さなければならないとは──どこまでも、いけすかない女だ。


 言われてみれば、彼女の見せる魔法を、アニタはマジック程度にしか思っていない。いつか気が向いたら種を明かして恥をかかせてやろうとまで思っていた程だ。魔法やら幽霊やら、そういう非現実的なものを信じていない……というよりは、そういったものに興味がない。故に、存在しようが存在しまいがどうでもいいのだ。そもそも気にいらない者がみせるのと、我が主であるモードがみせるのであれば話が違う。反論してやろうかとも思ったが、とりあえず最後まで話を聞くべきだろう。問いかけることにした。


「仮に魔法が存在するとして、魔法が関係あるんですか?」


「そうですわ。これ、魔力を引き出してくれる道具なの。コツが居るらしいのだけど……まだわたくし、上手く引き出せません」


 少し恥の入った顔でふわりと笑みを浮かべるモードを呆然と見つめる。どうやら彼女は本気で言っているようだ。その笑顔を見て、思わず反応に困ってしまい視線を何度か左へと追いやる。

 何か今、サラリと非現実的な話に非現実的な話を連ねなかっただろうか。何を言っているのか1ミリも理解が出来ないが、どこから質問すればいいのかも分からない。こめかみに人差し指を添えながら、言葉を選んだ。


「えーと……つまり、モード様は魔法使いになりたいと?」


「なりたいといいますか……わたくし、なるべく早くお役に立たなければならないのよ」


──とりあえず、あの灰色の女が"いけすかない女"リストに追加されることだけは理解した。


 どうやら自分は"魔女"と名乗る女性とは総じて気が合わないらしい。何を吹き込んだのかは知らないが、勝手に現実世界に置いていくことだけは遠慮して欲しい所存。

 恐らくこの吃った口調からして、モードは順を追って説明するタイミングを見計らっているのだろう。その上ではとんだとばっちりだが、実害はない筈なので良しとして貰おう。


 アニタは訝しげに一瞬目を細めるも、即座にいつもの無表情に戻る。続きの言葉を促すように問いかけた。


「"役に立つ"ということは、"協力する"というお話になったのですか」


「ええ、その通りですわ」


 想像以上にすんなりと答えられてしまい、目を丸くする。もっと数日間悩むものだと思っていたのだが──彼女の顔は、晴れやかだった。


 シャガと名乗った女性とどのような話をしたのかは到底分からない。だが、考えられうる限りの最悪のパターンだけは避けているらしい。仮にも出会って数日しか経っていない女に唆されて自暴自棄になったり、復讐に燃えたりしてしまってはどうしようかと身を案じていたが、杞憂だったようだ。

 それどころか、どのような形であれ彼女は自ら前進しようとしていることだけは分かる。目を逸らしていた現実をどのように受け止めたのかは、ゆっくり知っていけばいいだろう。


 ふと吐き出した息は、どこか安堵に似ていた。


「でもね、アニタ。あなたは好きにして頂戴ね」


「絶対言うと思ってました。私は着いていきます」


 言い聞かせるようにかけられた、柔らかで優しい声。それを跳ね返すように素っ気なく返すと、モードは可笑しそうに喉の奥でくつくつと笑いを零した。手で口元を覆うが、崩れた表情を隠しきれていない。


「そうね。あなたならそう言ってくれると思っていましてよ」


「…………楽しそうですね」


「ええ。楽しいわ。何だか、今日会った方達に似ていますの、わたくし達」


 何が面白いのか。茶化されたような気分に恥ずかしさが込み上げ、食い気味に問いかけるも彼女は一層頬を緩めるのみだ。何が、と言われれば正確に答えられないが、何かが気に食わない。じわじわと侵食するように熱くなっていく顔を見られないよう、逸らした。自分の膝を見つめる。


「…………魔法とか言ってるくせに」


 ボソ、と厭味ったらしく呟きつつ、相手の顔色を伺うように一瞥する。怒られるかもしれない──という心配など知ってか知らぬか。モードは瞳孔を小さくすると、唇を半分開いたままスプーンを持つ手を止めた。キョトン、と呆けた顔でアニタを見つめる。

 意外な反応に、アニタも穴が開きそうな程相手を凝視する。もしや──本気、だとでも言うのか。暫く丸く大きな瞳を細める。片側の口角だけを上げている。まるで父親に悪戯を仕掛けた時のような表情だ。


「あら、本当でしてよ?見ていて頂戴」


 鼻で笑うようにそう言うと、モードは静かに椅子を引いて立ち上がる。大きく息を吸い、瞼を降ろした。囲うようにペンダントに手を添えた。


──その瞬間、球のような黒い物体が姿を現す。まるで宙から絞りだされるように顔を出したそれは、段々と大きさを増していく。


 一見黒に見えるその球は、赤、青、黄、紫、白など様々な色を混じらせていた。目が眩む程眩しく発光しており、モードの白い肌を明るく照らす。


 思わず自分も腰を上げる。弾かれるように椅子がガタリと揺れた。それを気にも留められないくらい、その光景はあまりにも非現実的だ。


──これは、魔法なのか?種があるのではないか?


信じ難い光景に失った声を何とか絞り出そうとしたその瞬間、ぱっ、と周囲は闇に包まれた。同時にモードが膝から崩れ落ちる。鼓膜に衝撃を与える程の大きな音にビクリと肩が跳ねた。


「…………あ……大丈夫ですか?」


 ハッ、と我に帰り、咄嗟に腕を前に突き出したものの、勿論間に合うはずもなく、その手は宙を切った。机に手を突いて身を乗り出すと、モードは肩で荒い息を吐いていた。アニタの方のゆっくりと視線を上げ、へにゃりと力なく笑う。


「大丈夫ですわ。わたくし、まだ上手く力を引き出せなくて……人一倍疲れてしまうのよね。信じて貰えたかしら?」


「無理をしなくても……」


 無理をしなくても、モードの言う事なら半分は必ず信じるというのに。そう言おうとしたが、途中で口を噤んだ。アニタが差し出した手を掴み、モードはゆっくりと立ち上がる。軽く腰回りを叩くと、乱暴に椅子に腰を降ろした。その衝撃でやや椅子が後ろに下がる。折角埋めた床の穴が開いては困るので、是非やめて欲しい。


「わたくし、今日はアニタに詳しく説明する気はないの!」


 何やら開き直ったかのように、モードは胸に手を当て、満足気に鼻を鳴らす。無言でこてん、と首を横に倒して応えると、モードは木のスプーンを持ち直した。冷めてしまったスープを一口啜り、美味しそうにはぁ、と一息吐いてから言葉を連ねる。


「一週間後。一週間後にわたくし、アニタに見て貰いたいものがあるの。アニタはそれを見てから、本当に着いてくるか決めて頂戴。少し……つらいものを見せちゃうかもしれないけど」


「…………はぁ。と、言いますと?」


 眉根を下げて高らかに声を上げるモードを前に、呆れたように力なく返す。拍子抜けだ、とでもいうように、モードは一度口を尖らせたものの、すぐ何事もなかったかのように瞳を輝かせる。相当自信があるらしい。そして、空いている手で拳を作り、頭上に掲げた。そして宣言するかのように声を張り上げる。


「────わたくしの、覚悟よ」

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