第1話 美しいというのは、罪である
「何で、そんな……どうして……」
──嗚呼、楽しくて仕方がない。
口角が歪んでいくのが自分でも分かり、片手をそっと頬に添える。指先で頬骨を撫でれば、掌の冷たさが熱を持った頬に伝わって心地良い。
生まれたての子鹿を彷彿とさせるように、両足が小刻みに震える。これは、地面に白く清らかな絨毯を敷いて行く程の寒さからだろうか。それとも、胸の中で円を描くように渦巻く、ドス黒い興奮からだろうか。
小さな顔。大きく明るい、宝石のように輝く青い瞳。長くカールした睫毛。絵に描いたように尖った顎。高く小さい鼻。薄い桃色の唇。雪のように白い肌。風に靡き曲線を作る、艶めく金色の長髪。狭い肩幅に豊かな胸。抱き締めたら折れてしまいそうな程華奢な腰、そしてそこから伸びる、傷ひとつ見当たらない滑らかな細く細い足。加えて彼女は貴族の令嬢ときた──何ひとつ取っても完璧な"美少女"が、眉根を寄せ、目を見開いて恐怖と驚愕の色を見せている。
だがしかしその姿もやはり……いや、その姿こそが、美しい。
思わず頬が緩む。溢れる笑みを堪えることなく、呪文のようにブツブツと疑問の言葉を繰り返し呟く姿を眺めた。覚束ない足取りで一歩、また一歩と後退りする彼女は滑稽としか言い表せない。言葉の追い打ちをかけるべく、私は口を開いた。
「貴方はわたしにこう仰っていましたね、レディ・オドネル」
「黙りなさいッ!」
語尾に被せるように鋭い声色が飛んでくる。視線を感じ、思わず口を噤んだ。目を細め、睨むような視線。鼻筋に皺が刻まれ、整端な顔は歪んでいる。その容姿を誇っていた筈の彼女は跡形もないが、気にも留めていないようだ。
肩を竦めて、首をやや傾げる。眉尻を下げて微笑みで受け流した。呆れた、と示すべく。
その表情に応えるように、彼女はまるでりんごのように顔を赤らめる。小さな桃色の唇を尖らせて、怒った猫のようにフーッと荒い息を吐いた。威嚇のつもりなのかもしれないが、気にすることはないだろう。遠慮無く言葉を紡がせて貰うことにしよう。
"美しいというのは、罪かしら?"
「……と。今ならお答え出来ます──"美しいというのは、罪になりました"。罪人・オドネル」
終幕を迎えたサーカスの道化師をイメージしながら、右手を胸に当てて腰を折る。
チラリ、と瞳だけを配らせれば、オドネルは右へ左へと首を動かしながら、おろおろと狼狽えていた。眉尻を下げて目尻に大粒を溜め込んでおり、今にも溢れ出しそうな姿でさえ、美しい。先ほどまでの威勢の良さが嘘のようだ。
涙は女の武器、とはよく言ったものだが、身に沁みて痛感している。涙を武器に出来るのは、これ程の美少女だけなのだろう。
頭を上げると同時に、オドネルは震える足でよろよろと歩み寄って来る。今にも卒倒しそうに青筋を立て目線を泳がせながら、口火を切った。
「お父様……わたくしは、お父様の娘です」
口を引き締め、無表情で隣に立つ初老の男性がピクリ、と肩を震わせて応える。言葉を選んでいるのだろう、口は引き結んだまま。丁寧に整えられた顎髭に手を添え、愛でるように撫でる。宝石のように輝く青色の瞳は視線を何度もこちらに向けていた。
暫く間を置いた後、ゆっくりと深く息を吐いた。それはまるで溜息のようにも思える。一瞥し、彼の顔色を伺う。男性は唇を舐め、耳に響く低い声で、静かに言い放った。
「私に娘は居ない」
「…………そん、な」
言葉のナイフが彼女の心臓へと深く突き刺さる。幻覚でも見えそうな程、あからさまである。堪えていた涙が溢れ出し、大粒の雫が頬を伝う。幾重もの線を作り、顎から絶えず滴り落ちた。
流れる涙を拭うことすらせず、オドネルは視線を逸らさない。訴えかけるかのように、青い瞳は影を落としたままだ。
強いて一言で表現するのであれば"悲痛"──そんな表情だ。
『人魚のようにしばらく体を浮かせて──そのあいだ、あの子は古い小唄を口ずさみ、自分の不幸が分からぬ様子──まるで水の中で暮らす妖精のように。でも、それも長くは続かず、服が水を吸って重くなり、哀れ、あの子を美しい歌から、泥まみれの死の底へ引きずり下ろしたのです』
どこかで読んだ本の一節。それがメリーゴーランドのように上下しながら軽快に脳裏を過ぎった。
これもまた、人の死だ。レディ・オドネルが社会から殺される──人間として、殺されてしまう。彼女の誰もが羨む華やかな人生は、哀れ、泥まみれの死の底へと引きずり込まれてしまうのだ。
美しい女性の死とは、何故こんなにも儚く芸術的で、幻想的で、魅惑的で、そして……滑稽なのだろう。
──レディ・オドネルは涙を流して尚、美しい。
「許さないわ、レイラ・ジーヴァス」
「……はて、何をでしょう?」
苦々しげに呪われるが、それがまた心地よい。これは所謂、負け犬の遠吠えだ。挑発する為に白々しく腕を広げる。肩を一度上げて、首を傾げてみせた。彼女の鋭く碧い瞳の中に映り込んでいるのは──醜く微笑みを浮かべる女の姿だった。
彼女は重たそうなドレスの袖で乱雑に涙を拭い、目を瞑る。胸に両手を添え、顎を上げて大きく深呼吸をすると、静かに首元に指を伸ばした。
青い宝石のような瞳が覗くが早いか、唇を一文字に引き結ぶ。覚悟を決めた──そんな表情を前に、背筋に冷たいものが駆け抜けた。こちらが反応するまでもなく、彼女は上着を勢い良く脱ぎ、躊躇いもなく投げ捨てる。
空を切る音を立てたかと思えば、真っ赤な上着に白い雪が纏わりついた。美しく装飾されたフリルやレースはじわじわと濡れ、侵食されていく。背筋を凛と伸ばし、しっかりと前を見据えた碧い瞳には──空から射し込む光が輝いていた。
そしてオドネルは、高らかに宣言する。
それは彼女の覚悟を表しているのか、まるで……何も恐れるものなどない──と。何があっても自分は揺らがない──と。そう、言い放つかのように。少なからず自分にはそう思えた。そう受け取ることしか、出来なかった。
「分かりました。わたくしの罪、しっかりとこの身に受けましょう」
光を弾き、月のように煌めく金色の髪を靡かせ、踵を返す。そのままオドネルは振り返ることもなく、堂々と道の真ん中を歩いて遠ざかっていった。
鏡なんて見なくとも、自分でも分かっている。その小さな身体を見つめる表情に、既に笑みがないことくらい。ただの、負け犬でしかないことくらい。
──嗚呼、悔しくて仕方がない。
最後まで彼女は、私の憧れだったというのか。
こうして──12月28日。
モード・レヴィ・オドネルは"魅了罪"により有罪と判断され、国外へ追放されることとなった。




