祭の夜
翌日も道風は纐纈の家を訪問した。
纐纈の前で、持参した紫陽花の折り紙に息を吹き掛けると、それは生花と変わらぬ鮮やかさとなった。
「見舞いの花です。…失礼」
断ってから纐纈の額に手を当てる。
「熱はだいぶ下がったようですね」
「はい。よく眠りましたから」
本当は食欲が無くて余り食べていないし、眠ると悪夢にうなされて何度も起きたのだが、それは隠した。目の下の隈は隠しようもないが。
道風は思い遣りのある面持ちで頷いた。
―――――――やはり真相はばれているらしい。
「他に何か話を聴いたようですね」
「あの、和行あにさまから少し伺いました。えーと、えーと、そう、道風おにいさまがおもてになるお話とか!!」
それは聴いた話のごく一部に過ぎず、また、道風もそれが解っているようで微苦笑している。
「それ程もてませんよ。纐纈さんがいますし」
「そうですか?…そうですかー?」
話を逸らす為に口にしたことだが、纐纈の意識は疑惑のほうに傾いてしまった。
(だって折り紙の花束を渡すとか如才ないし)
一人で若干、いじけてしまった纐纈を、道風は困ったように見つめる。
昨日折った狛犬が、まだ布団の住人である纐纈に甘えるように身を擦りつけた。
二日後、風邪が治った纐纈は、道風に夜市に連れて行ってもらうことになった。
そこは人外が集う夜の市場。
曖昧模糊とした不可思議こそが無形の掟。
薄暮と華美が入り交じったような空間で、普通の人間はごく僅かだ。
纐纈たちは、白術士ゆえに人外の枠にも置かれる。それがこうしたお祭り騒ぎなどの時には仲間外れにされず便利であった。
余り遅くなり過ぎないように、と母に言われて、纐纈は迎えに来た道風と共に送り出された。
夜市には砂利ではなくおはじきが敷き詰められ、歩くとざりざりと音がする。
おはじきは月光の皓々とした光を跳ね返している。
初夏の夜市は賑わっていた。
市の中央には一角獣――――ユニコーンの等身大の飴細工が置かれ、生きているような精巧さだ。時折り、その青い目は妖しく動く。
大輪の花が乱れ咲く桶や、虹が練り込まれた丸薬。
宙を泳ぐ金魚。
動く髑髏まである。
小さな立方体の明かりを幾つも灯して、浴衣の袖口から懐にかけて吊り橋のようにした青年もいる。大道芸人だ。
中には知った顔もいて、白狐の精の青年と、樹木の精の少女の二人連れは、纐纈たちとも知り合いだった。
こういう時の常で、女性同士はきゃあきゃあとはしゃぐのを、男性同士は苦笑いを浮かべながら所在なさげに見ているのだ。
そこには、お互い苦労するよな、という同族意識・同情が少なからずある。
一頻り女性たちが交流を楽しんだあとで、二組はそれじゃあ、と別れる。
「自慢してしまいました。道風おにいさまに鼈甲の笄と珊瑚のブローチを買っていただいたって。でも樹美さんも、素敵なビイドロを買っていただいたそうですから、おあいこですよね」
それはどういう〝おあいこ〟なのだろう、といまいち道風が測り兼ねていると、纐纈が大声を出した。
「ああっ」
「纐纈さん!?」
道風が、纐纈が巾着切に遭ったのだという事態を理解するのと、纐纈が走り出すのは同時だった。
「待ちなさい、纐纈さん!危険ですっ」
叫ぶ声が聴こえていないようだ。
浴衣姿で道風より先を駆けてゆく。
とうとう夜市から離れた袋小路まで、巾着切を追い詰めた纐纈の気は昂っていた。
そして相手の姿を見て、あ、と小さく叫ぶ。
相手は纐纈の家に忍び込んだ盗賊の獺だったのだ。
向こうもまた驚いた表情だ。
こうまでくると因縁めいたものさえ感じる。
纐纈は浴衣の袖から狼の折り紙を取り出そうとした。
が、そうする前に首元に冷たいものが押し当てられる。
「動くなよ、林葉のお嬢さん」
「……立花頼迪、さん」
背後から立花頼迪が刃物を纐纈の首に当てていた。
「あんたとはつくづく縁があるな。俺の名前をご存じってことは、あらかたの事情はもう聴いたのかな」
纐纈がごくごく僅かに顎を引く。
「未廣さんのことなどを」
未廣、という名前を出した時、冷たい刃の感触が少し痛んだ。
「急々如律令!」
飾り気のないまっさらな正方形の紙が光りながら飛来する。
頼迪が避けなければ彼が匕首を持つ右手を鋭く切っただろう。
纐纈は解放され、道風の背の後ろに回された。
対峙する嘗ての兄弟弟子二人。
(こんなお祭りの夜に)
纐纈は悲しくなる。
「…この嬢ちゃんを殺せば、お前もちったあ俺の苦しみが解るかな」
「そんなことにでもなったら、私は貴方を許さない、頼迪兄さん」
「許さねえのはこっちのほうだぁっ!!」
叫ぶと同時に着流しの袖から出した蛇の折り紙に息を吹き掛ける。
それはしゃあ、と道風に向かい牙を剥いて威嚇した。
「未廣の身体、全部消してしまいやがって!骨の一片残らずに!それが弟のすることか!?確かに人じゃねえよ、お前は!!」
道風が、ぐ、と苦痛を堪えるような顔をしたのを纐纈は見た。
それでも彼は上衣の袖から豹の折り紙を取り出し、息を吹き掛けた。
だが豹の攻撃を掻い潜って、蛇は執拗に二人に襲い掛かる。
「おにいさま。ここは私が」
纐纈は袖から白い紙で出来た棒を取り出し息を吹き掛け、正眼に構えた。
下駄をカラン、コロン、と脱ぐ。
裸足のほうが戦いやすいのは鉄則だ。
つつ、と銀の刃が動く。
纐纈は折り紙で出来た刀を上段から振りかざすと、すぱり、と蛇の首を落とした。
仮初めの命を失った蛇はただの紙に戻る。
その間に、道風に使役された豹が頼迪に襲い掛かった。
今度は頼迪が、取り出した折り紙の刀で豹を斬った。
特に構えず、悠々と豹を斬れる腕に纐纈は戦慄する。
息を整え、纐纈は自らを襲うであろう二の太刀を待っていたが、それはいつまで経っても無かった。
怪訝に思い頼迪の顔を見ると、感慨に耽るような痛みに耐えるような表情をしている。
それから極度に早い居合で纐纈の刀を斬り上げると、獺を連れてすれ違いに駆け抜けて行った。
「……どうして私と切り結ばなかったのでしょう」
「…私の姉は、纐纈さんと同じく剣術も達者でした。思い出したのではないでしょうか」
祭囃子の音が聴こえる中、道風と纐纈は袋小路に言葉なく佇んだ。
どーん、どおん、と上がる花火の音が聴こえる。
夜空を彩る菊花を、二人は見るともなしに見上げた。