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反転

 頼迪はまだ庄吉と海辺にいた。そうだろうと思ったから、未廣は送り鼠に頼んで桃色の着物を着込み、また西の海へと舞い戻ったのだ。

 未廣は聖母のような表情だった。柔らかく、泣き出す一歩手前の子供を前にあやすような顔で、頼迪に向かい、笑いかけた。

「痩せたわね。頼迪」

 それから、堪え切れないように涙をこぼした。

「ごめんなさいね。貴方に、辛い思いをさせて。…こんなことまで、させてしまって…」

 頼迪は凪いだ眼差しで、未廣を両腕で包み込んだ。

 海鳥が鳴く。一対の恋人が佇む傍を、庄吉はそっと離れた。

「頼迪。今日、私はずっと貴方と過ごすわ。ずっと一緒にいる」

 だから堪忍してね、と、未廣は続けた。

 その意味を、頼迪はまだ知らない。

 

 和行も朝日路も憔悴していたが、それにも増して道風の憔悴ぶりは酷かった。

 彼は今、絶望の只中にいた。姉が蘇ったことも纐纈が死んだことも、全てが夢のような心地だった。夜眠れば、翌朝には纐纈がおはようございますと言うのではないかと思いさえする。自分は確かに、頼迪の絶望を理解出来ていなかった。彼はこんな思いで七年間も過ごしてきたのだ。その間、どんな人生だっただろう。自分は纐纈を喪って数日も経たないのにまるで抜け殻のようになってしまっている。

(もう少し、ましだと思っていた)

 喪失感に苛まれながらも、現実を受け容れ、それまでの日常を繰り返していけるものだとばかり。だが実際は。

 今では姉の未廣が告げた言葉だけが、唯一、道風の頼るよすがだった。

 未廣は纐纈を亡くして失意の底にいる弟に告げたのだ。

 自分が必ず纐纈を蘇らせるから、と。

 その前に頼迪と過ごす時間をくれ、と。

 未廣が今までに約束を破ったことは一度もなかった。そして未廣は道風に約束したあと、弟を抱擁した。優しさに満ちた温もりは、喪われて久しいもので、道風も危うく涙するところだった。纐纈を亡くした衝撃が強過ぎて感情が鈍磨してはいたが、姉である未廣への肉親の情もまた、道風の中に喚起されていたのだ。


 昼が過ぎ、夕方になっても未廣は頼迪と海辺にいた。茜色に海が照り映え、大きな夕日が海に沈もうとしている。寄り添う二人の長い影が砂浜に伸びる。

「そろそろね」

 未廣が呟く。頼迪がその言葉を質そうとした時、こちらに向かい歩いてくる卓磨を先頭にした死術士たちが見えた。卓磨の手には未廣が飛ばした折り鶴がある。

「どういうことだ?」

 頼迪の問いに、未廣は答えない。二人の前まで来た卓磨が未廣に言った。

「本当にそれで良いのかい?」

「ええ。お手数をお掛けしますが、どうぞよろしくお願いします」

 卓磨は名状し難い面持ちで、それでも未廣に頷いた。

 そして魂玉を持った死術士が前に進み出た。



 夜になっても道風は纐纈の遺体の傍を離れようとはしなかった。

 玄隆たちも道風の気持ちが解るだけに、咎め立てることはない。道風は今ではぼんやりとして、纐纈に昔贈った装身具や買い与えた鼈甲の笄、珊瑚のブローチなどを掌の上で弄んでいる。そうして彼の頭の中では、纐纈との思い出がくるくるとコマ回しのように写し出されていた。

 その時、布団に横たえられていた纐纈の、組まれた手がぴくりと動いた気がした。

 がば、と道風が身を乗り出す。自分の望む余りの目の錯覚かと最初は思った。だが、纐纈の顔色は、蒼白のそれから、生きている人間特有の生気を帯びた色に変わりつつあった。

道風は言葉も無いままにそれを見守っていた。

 ついに纐纈が目を開けた時、道風は信じられない思いだった。一体どうして纐纈は生き返ったのか。いや、本当に生き返ったのか。今、目の前にいる纐纈は自分の願望が見せる幻ではないのか。

 しかし纐纈は珊瑚と同じ色をした小さな唇を動かして「道風おにいさま」と呼んだのだ。

「纐纈さん―――――――――」

 奇跡だ、と思った。

 隣室に待機していた和行と朝日路がその声を聴きつけて飛んでくる。

 纐纈がそろりと上半身を起こして不思議そうな顔をするのを、誰もが信じられない思いで見ていた。

「なぜ。莫迦な。心臓は…」

 朝日路が歓喜を交えた震え声を出す。彼にもまだ事態が呑み込めず、信じられていない。

 纐纈の胸の開いていた空洞には、今では心臓が元の通りに収まり、とくとくと動いている。

「あら?私、山岸さんに呼ばれて、それから…」

 今度こそ、道風が纐纈を兄たちの目を憚らずに抱き締めた。

「纐纈さん!」

「どうされたのですか、道風おにいさま。あにさまたちも」

 和行も朝日路も、そして道風も今では何が起きたのか察しがついていた。



 波が寄せては返す。

 夜の海は群青より昏い青だ、と頼迪は思う。足取りは重石を乗せたようだ。いっそ止まって海中に向かおうかなどと戯れに考える。

 彼はたった今、最愛の女性と永遠に別れたところだった。

 未廣の決意は固く、頼迪の説得にも懇願にも応じようとしなかった。

 未廣は魂玉と自分の心臓を使い、纐纈を蘇生させるよう、死術士たちに願ったのだ。一時だけでも生の世界に帰らせてもらってありがとう、と頼迪に言って。

 それから、また置いて逝くことを許してね、出来ることなら幸せになって頂戴、と。

 頼迪は、頷いた。

 頷きながら、そんなことが出来る筈がない、と思った。未廣は、聡明なのにそこに思い及ばないのかとも思った。けれど未廣のその言葉が、自分の未来を言祝ぐものであると頼迪にも解っていた。それでも、未廣を詰らずにはいられない気持ちがあった。

 潮騒が、頼迪の気持ちに同意するように鳴っている。

 二度目の喪失が一度目のそれより重いのは、自分に課せられた罰だろうか。




挿絵(By みてみん)





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